刺客

　バイアシオン大陸最強の軍事国家ディンガル帝国。
大陸北部を領有するこの国家には、仇敵とも呼ぶべき国家が東方に存在していた。
通称東の６王国群。
ロセン王国を盟主にした軍事同盟を持ってディンガルに対抗する国家達であった。
現在ロセンの王は暗愚王と呼ばれるペウダの時代であったが、
その力は今だ侮りがたいものであった。
事の発端はそのペウダが南のロストール王国王妃エリスに唆された事から始まった。
「女狐」と異称される王妃は強大なディンガルの目を逸らす為、ペウダを利用したのであった。
ペウダは自ら５千の兵を率い国境周辺を荒らしまわらせた。
この略奪暴行の限りを尽した軍事行動が、
後に青い復讐鬼を生む事になるのだがそれはまた別の話だ。

　一方ディンガル帝国も黙ってはいなかった。
すぐさま大陸最強と名高い勇者であり皇族でも有る
ネメア・ランガスター・ディンガルに兵を与えロセン軍撃破の命を与えた。
だがその数はたった２８騎であった。
当時からディンガル皇帝エリュマルクとネメアの間は最悪と言って良かった。
ネメアのあまりに高すぎる名声の前に、
常日頃から皇帝の器では無いと陰口を叩かれつづける皇帝にとって、
ネメアの抹殺は男の意地と誇りにかけての至上命題であった。
断ると殺されると悟ったネメアは２８騎を率いてロセン軍に戦いを挑むべく出陣した。
だが２７騎は全てが全てネメアに心酔する者達であった上、
ネメアにとっての幸運は２８騎の中に野に下っていた名将アンギルダン・ゼイエンが居た事であった。
年齢名声実力全てにおいて他の２６騎を圧倒するアンギルダンは自然と副将の地位に座り、
ネメアの為に一計を案じた。
すなわち
小柄な４騎は後ろで銅鑼や太鼓を腕折れるまで叩きつづける。
すばしっこい４騎は手当たり次第幕舎に火をつけていく。
そしてネメアを含む２０騎が夜陰に紛れて敵本営に向け突撃する。
と言うものであった。
この策は当った。
敵将ランバガンの生け捕りに成功し、ペウダは命からがら逃げ帰ったのだ。
ネメアの勇姿に恐怖したペウダはこの後ロセンの門を閉ざし鎖国を開始したのであった。
後にネメアの２８騎と呼称される歴史的勝利である。

　この勝利に沸きお祭り騒ぎになった帝国にあって、
皇帝エリュマルクの心は憎悪や嫉妬、怒りなどあらゆるネガティブな感情に支配されていた。
ネメアに対し何度も何度も呪詛を唱え器物に当り散らす。
マイナスの感情こそが人を変革する最たる感情である。
一通り当り散らし多少落着くと、皇帝は腹心の供を連れ城の地下に潜って行った。
彼等がたどり着いた所は死刑囚だけを集めた牢屋であった。
皇帝は前に立つと宣言した。
「知っての通りお前達は死刑だ。
このままでは惨めに後指差されながら死んで行く。
だが我が策に乗れば妻子父母の生活の保証をしてやろう。
さらに前金で１万ギア、生きて帰ってくれば３倍、そして釈放してやる。」
牢の一同は色めきたった。
「死んでもかかぁや餓鬼の面倒を見てくれんですか？」
「故郷の老母の面倒も…？」
皇帝は頷いた。
「もちろんだ。名誉の戦死者として扱ってやる。」
それを聞くと牢に居る全ての罪人達が皇帝の前にかしずいた。
「行かせて下さい！」
「やらせてください！」
「死なせてください！」
罪人達の意思を確認すると、皇帝はにやりと笑った。

　皇帝はその足で城下のスラムに出かけた。
スラムの中にある一つの家のドアを叩き中に入る。
その中には中年の男と寝台に眠る姉弟が居た。
皇帝は挨拶もそこそこに用件を切り出した。
「ネメアを殺せ、死を恐れぬ奴らを配下につけてやる。
いかにネメアといえどあれほどの大勝利の直後、必ず付け込む隙はあるはず。」
「…」
「行き倒れた貴様達家族に食をあたえ、舶来の薬の面倒を見てやってきたのだ。
私の磐石の治世の為に死んで来い。」
男は聞いた。
「残された子らの面倒は見てくれるのだろうな？」
「皇帝の名に賭けて誓おう。仮に生きて帰ってこれたらこれ以降貴様の家族に苦労はかけん。」
男は承知せざるを得なかった。
暫く後皇帝の刺客達は帝都を出立し川を越えた。

　一方ネメアの２８騎は皇帝から祝福の使者がやってくると、
なにが祝福だと口々に怒りの声を上げた。
アンギルダンはそれが暗殺者であろうと予測した。
普段からの皇帝と勇者の仲の悪さを考えれば当然の予測であった。
２６騎は色めきたったが、流石になんの証拠も無しに殺す事は出来ぬ。
其処でアンギルダンは使者を労う名目で酒宴を開いたのだ。
そこで何も変哲がなければそれで良し、もし尻尾を出すようならばそこで殺すつもりであった。
逆に怪しんだのは使者に化けた刺客達である。
自ら罠に飛び込むようなものであるからだ。
しかし虎穴に入らなければ虎子は得られない。
「この機会をりようしてやろう」
使者は言い部下に指示を与えると、僅かな供を連れ虎穴に足を踏み入れた。

　酒宴は互いに一物を隠し持った状態で始まった。
山海の珍味は並びはしないシンプルな宴であった。
宴が適当に進むと使者はネメアに申し出た。
「古来から宴には悪鬼を払う舞が付物。剣舞をもって宴のささやかな御礼とさせていただきたい。」
ネメアが答える前にアンギルダンが口を挟んだ。
「剣舞には相方が必要、不肖アンギルダンがお相手しよう。」
二人の剣舞が始まった。
超人的な強さを誇るネメアにアンギルダンの行動など余計なお世話だったかもしれなかった。
しかし古来より豪傑があっさりと殺される例は非常に多い。
ネメアだけが例外であるとは言いきれない。
しかも酒が入っている以上大事を取るべきであったのだ。
しかし使者から殺気は微量たりとも漏れてこない。
動きも水が流れる様に流麗であり滞る事まったくなかった。
２８騎の面々は多かれ少なかれ首を傾げた。
そうこうするうちに宴は終わり使者は場を辞した。

　アンギルダンは嘆息した。
仮に使者と供の者がが刺客であれば、そのそぶりをまったく見せなかった事になる。
エリュマルクはよほど優秀な飼い犬をもっているらしい。
対ロセン軍から皆気が張って疲労が溜まっているその体で酒を飲んだのだ。
少量の酒とはいえ彼等の体を確実に蝕んでいた。
アンギルダンは仕方無しに最低限の警備は置いておき２８騎を解散させた。
とは言いつつも使者達がまだ刺客ではないと決まったわけではない。
すばやい者に使者達の陣を見て来いと指示を出す。
「まったく敵が多い事じゃな、光強ければ惹かれる者も多くなると言う事か…」
再びアンギルダンが嘆息した瞬間、後ろの幕舎が燃え上がった。
魔法弾が飛んできた方角に目をやると、黒衣の男達が次々と抜刀する所であった。
「者ども出会え！」
アンギルダンが叫ぶと２８騎達が次々幕舎から飛び出してくる。
剣技や胆において２８騎の面々は刺客達に劣る物はなかったが、
覚悟の量や意気込みに関しては刺客達が圧倒していた。
そして先手を取ったのは刺客達である、様々な利は刺客達に有った。
刺客達は勇士達を次々屠ると我先にとネメアの幕舎に襲いかかる。
アンギルダンも腰から大斧を抜き放った。
「おのれやってくれたな！」
アンギルダンがネメアのもとに行こうとすると、行く手を使者が遮った。
「帝国建国の英雄アンギルダン、またの名を赤い巨星だったな。
組織の長は貴様と見た！長を倒せば自ずと勝ちは我等の物となるは自明の理！」
片手剣がキラリと光りアンギルダンの肩を切り裂いた。
素晴らしい剣速であった。
「いくぞ！」
さらに剣が加速する。
アンギルダンは受けるのが精一杯であった。
しかしアンギルダンも並の武芸者では無い、大斧でアンギルダンが反撃した。
斧を剣で受けると腕が痺れた。
使者は驚き間合いを取った。
「これよこれ、この感触この匂いこそが戦場よ！」
大斧の重みを感じ嬉しそうに笑う老人を前に、使者が舌打ちをする。
指揮者である自分が一人に梃子摺るのは不味いと思い始めたのである。
今度は使者がネメアに向かい駈け出した。
そして逆にアンギルダンに遮られる。
二人は再び武器を構え向かい合った。
ネメアは幕舎から出撃すると愛槍ランカを軽々と振りまわし迎え撃った。
飛びかかる刺客の胴を貫きそのまま地面に叩きつけ、
ランカに縋りつく刺客を別の刺客目掛けて投げつけた。
そしてぐるりぐるりとランカを振りまわし近づく敵を薙倒す。
柄を刺客に叩きつけると怪力で骨を砕き命を奪う。
もとより刺客達に武の心得があるものは少ない。
いくら鬼気迫るモノを持っていようとネメアの敵ではなかった。
ランカが一閃する度、一人二人三人四人と次々ネメアの槍技の前に屈していった。
それを見た２８騎は生気を取り戻し次第に刺客達を圧倒していく。
実力では上回っているの側が落着いたのである当然の結果であった。
そして残るは使者だけとなった。
その間男はアンギルダンと一騎討ちを続けていた。
そして暗殺の失敗を知った。
男はアンギルダンを渾身の力で吹き飛ばすと、ネメアに切りかかった。
「うわぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁ！」
似た境遇の部下達の執念、己の情愛、夢を乗せ男が絶叫した。
男が最期に何を見たのか今となっては知る由も無い。
獅子の槍撃は男の頭蓋を捕らえ躊躇いもなく命を奪ったのだから。

　その後何事も無いように帝都に帰還した勇者を前にして、
皇帝エリュマルクの憎悪がより一層深化したのは言うまでも無い。
ネメアと言う巨大な太陽の前に闇とならざるを得なかった男達の話だ。