逃避行

　バイアシオン大陸北方にディンガル帝国という国があった。
神聖王国アルレシアを滅ぼしたメガ・ディンガルが創始した、
大陸の正統を担う国家であった。
しかし征服帝ランガスター・ディンガルの時代。
大陸制覇をめざしたランガスター・ディンガルは、
覇業の半ばで戦死してしまった。
帝国は分裂した。
しかしその混乱もまもなくおさまった。
統一帝バロル・ランガスター・ディンガルが登場したのである。
彼は統一の英雄と謳われるアンギルダン・ゼイエンら率い帝国の統一に成功したのだ。
部下であり親友であったアンギルダンをして天才と評された彼は、
統一後まもなく改革に着手した。
しかし天才の性急な改革は多くの反対をもたらし、バロルは苦悩した。
苦悩に追い討ちをかけたのは、愛妻キャスリオンの死であった。
そこに妖術宰相ゾフォルの甘言が入り込む隙が生まれたのだ。
バロルは闇に落ち魔王となった。
魔王となった彼はゾフォルに命じ、
破壊神円卓の騎士を呼ばれる者達を蘇らせ己の支配を磐石の物とした。
闇に落ちた彼の精神は闇に侵され、ゆっくりとだが確実に狂的なものを帯びていく。
ただ闇に落ちても改革の志を忘れず、推し進めたのは彼の最後の意地であったのであろうか。
これはその壊れゆく魔王バロルの周辺で起きた一つの話しだ。

バロルとキャスリオンの間には子供が二人居た。
娘のエスリンと息子のエリュマルクである。
そのうちエリュマルクは父が徐々におかしくなって来た事を感じると、
部下の勧めに従い辺境の守りを申し出て帝都を脱出した。
逆に帝都に残ったのがエスリンであった。
彼女は心優しい女性で父のもとを離れるに忍びなかったのだ。
しかし同時に闇に侵食されていく父を見続けるのも忍びなかった。
エスリンはバロルに闇の力を使い世を支配する事を止める様に進言した。
その勇気ある行動はエスリンが城内の幽閉塔に隔離されると言う結果を招いた。
そして彼女の監視役として円卓の騎士屈指の実力者��槍の主″バルザーをつけたのだ。
バルザーは破滅の槍という強力な武器をもっており、その為槍の主と異称されていた。
バルザーがつけられたのはその強大な力と共に、
人型を取っている、
円卓の騎士の中でも理知的である、
などの理由があった。
ながきに渡る幽閉生活の中、ミイラ取りはミイラになった。
バルザーがエスリンと恋仲になってしまったのである。
幽閉生活のなかエスリンはやることがない。
差し入れられる本を読んだり、
唯一の窓から空を眺めていたりするくらいが精々であった。
そんな中バルザーを相手にしたおしゃべりが唯一の楽しみであった。
その狭い世界の中で若く精悍な容姿を持つバルザーと、
母キャスリオン譲りの美しい金髪と目鼻立ちの整った娘が恋に落ちた事をどうして責められようか。
人知れず逢瀬を重ねて行く二人。
エスリンの体に新たな命が宿ったのも極々自然な成り行きであった。
当初バロルは二人の関係を無視していた。
バルザーほどの勇の忠誠を娘で買えるなら安い物であったからだ。
しかしある日状況は一変した。

　妖術宰相ゾフォルが魔王バロルに一つの予言を与えたのである。
ゾフォルには予言の才があった。
この能力は他者の不幸が文字となって浮かんでくると言うものであった。
そしてこれは後世ゾフォルがバロルに与えた四つの予言と称される物の一つである。
つまり、
「バロルは娘の子に滅ぼされる」
「死より生まれし獅子は槍の主を殺す」
「死より生まれし獅子にわれらが主は宿る」
「ザギヴがディンガルを支配する」
である。
この時ゾフォルが与えたのは「バロルは娘の子に滅ぼされる」であった。
ゾフォルの予言は外れない。
それを体験として知っているゾフォルは、バロルにエスリンの子の処刑を進言した。
エスリンの胎は既に大きい物になっている。
当然胎児の死はエスリンの死と同義であった。
これに沫を食ったのがバルザーである。
彼はすぐさま身重のエスリンを連れ城から逃亡した。

　バルザーはエスリンを馬車に乗せ帝都エンシャントを駆けた。
広場を抜けた所で突然エスリンが声を上げた。
「バルザーっ上！ゾフォルよ！」
予言を破るべく妖術宰相自らが単騎バルザーに襲い掛かったのである。
この追撃は二人の逃亡をいち早く知った彼の独断であった。
ゾフォルは民家の屋根を疾走すると上から炎の高等魔法を浴びせかかった。
バルザーはエスリンを庇いつつ炎を払う。
今度は風が吹き荒び次々に植物や露天商の売り物等、
野外にあったもの全てを巻上げると、馬車に襲い掛かったのだ。
風の高等魔法、ストームの応用編であった。
バルザーは必死にレンガやら枝やらを叩き落とす。
バイアシオン暦１２００年代には老人であったゾフォルも当時は壮健な中年であった。
好機とみたゾフォルは腰の剣を抜刀し、風を操りながらバルザーに切りかかった。
しかし突如馬車の中から投げ矢が飛び出ると、ゾフォルの胸に突き刺さった。
エスリンが毒の投げ矢を投げつけたのだ。
思いもよらぬ反撃に体勢を崩したゾフォルをバルザーは見逃さない。
すかさず破滅の槍を妖術宰相の体に突き立てた。
流石の妖術宰相も吹き飛び地面に落ちていった。
「やったね！」
喜ぶエスリンをバルザーは嗜め再び馬に鞭を入れた。
「我の破滅の槍は闇の神器。闇に落ちた者には効果が薄い。恐らく大して効いてはおらぬはず。」
事実ゾフォルはすぐに後方から姿をあらわした。
風の魔法を操り自由に操る木板に乗って追い縋ったのである。
ローブを靡かせながら胸を反り返らせ、
はっーはっはっはっはっと高々と笑いつつも、
鬼人の形相で迫り来るその姿は、
妖術宰相の異名に相応しい異形であった。
ゾフォルが従える数々の車輪や木板が激しく回転しながらバルザーに迫る。
二人が身を伏せて速度が落ちた馬車に、ゾフォルが肉薄する。
ゾフォルの片手剣とバルザーの破滅の槍が火花を散らした。
いくらゾフォルが壮健であると言っても、本来近接戦闘においてバルザーの敵ではない。
しかし今はバルザーが手綱をひいているため槍を片手で扱わなければならず、甚だ不利であった。
それでも城壁が近づき一旦離れようとするゾフォルの隙をつき、破滅の槍で腹を切り裂いた。
手応えは合った。
それでも妖術宰相のローブが見事に切り裂かれただけであった。
ゾフォルはにやりと笑い、小馬鹿にしたようなジェスチャーを取った。
暴走する馬車はついに帝都エンシャントの門を抜き街道にでた。
「バロル様ならば運命に打ち勝てるやもしれんのだ！邪魔だてはゆるさんぞっ！バルザー！！」
一旦城壁を越える為馬車から離れたゾフォルが再び迫る。
バルザーは鋭い突きで突き放そうとした。
しかしゾフォルは次々乗り換えバルザーを翻弄し切りかかる。
街道にでてから左右上下の空間が広がり、ゾフォルの動きは益々躍動していった。
そんな中エスリンが身重の体を引き摺りバルザーにしがみついた。
「危険だ、下がれ。妻よ我を信じろ。」
「バルザー…。車輪…足場を狙って…」
バルザーは頷くと呪文を唱えだした。
「フレイムっ！」
闇の業火が風に乗り板や車輪を焼き尽くす。
バルザーは破滅の槍でも手当たり次第に板を叩き潰した。
エスリンも残りの体力を振り絞り、ゾフォルに毒の投げ矢を投げつける。
さらにバルザーは街道から外れ森の中に馬車を進めた。
流石のゾフォルも森の中に入られては車輪を操りきれなかった。
遂に二人は妖術宰相ゾフォルの追撃を振り切ったのだ。
ゾフォルは舌打ちを一つすると、大量の怪物を召還した。

　妖術宰相の追撃を振り切ったバルザーは、賢者の森まで馬車を進め休みを取った。
ここから森を突っ切り分断の山脈のふもとに出て、山越えを敢行するつもりであった。
妊婦に山越えは正直辛いが、ロセンへは川を越えなければならず、
ドワーフ王国とアキュリュースへは距離がありすぎる。
バルザーは転移の呪文を使う事も考えたが、
妊婦にどのような影響が出るかわからないだけにギリギリの所まで使用したくはなかった。
エスリンは馬車の外で雨が降り出した事に気が付いた。
馬車の幌を叩く雨音が耳に心地よい、その音は徐々にだが確実に強くなっていく。
エスリンは少し幌をたくし上げると外を眺めた。
緑が水を湛えている、幽閉されていた時とまったく違う風景。
「雨に打たれる植物ってこんなに綺麗だったんだ…。」
エスリンが思わず呟いた。
そのあたりの感情はバルザーには理解できない。
疑問を瞳に浮かべるだけであった。
「ねぇねぇもし逃げる事ができて、幸せになれたとしたら…この子の名前どうしようか？」
エスリンは大きくなった腹を摩りながらバルザーに聞いてみた。
その問いにバルザーは答えなかった。
「敵だ。」
彼の鋭敏な神経は敵の存在を察知していた。
強力な闇の怪物が近くまで接近してきている、
ゾフォルが召還した怪物であろう事は容易に想像が出来た。
「今場所を察知される訳にはいかぬ。ぬしは静かにここで待っていろ。」
頷くエスリンを軽く抱くとバルザーは外へと出ていった。

　エスリンは独りバルザーの帰還を祈っていた。
馬車には激しく打ち叩く雨音しか聞こえない。
バルザーの足を引っ張りたくないとの思いはあったが、身重の身で何が出来ようか。
突然エスリンはビクリと嫌な寒気に襲われた。
親しみと懐かしさと生理的嫌悪が同居した独特の気配、
その気配が馬車の中にゆっくりとだが確実に充満していく。
幸か不幸かエスリンにはそれが誰であるか判ってしまった。
バルザーが居ない今、エスリンは自分と胎児の命が風前の灯である事を理解せざるを得なかった。
徐々に強くなるその闇の気配にエスリンは恐怖した。
震える四肢を必死に動かし隅へと逃げるエスリン。
「エスリン…。愛しい我が娘よ…。」
声が馬車の中を木霊した。
ギョッとしたエスリンが振り向いた先には、闇が姿形を成した父が居た。
バロルは微笑みを浮かべながら娘に言った。
「我が邪眼からは何人も逃れることはできないんだよ。
ましてはエスリンは愛しい我が子、どこに居てもお前の気配は感じる事が出来るのだ。
このように一ヶ所に留まって居てくれさえくれれば、すぐにでも飛んで来れる。
素晴らしいだろう？」
エスリンはこれほどグロテスクな「愛しい我が子」と言う言葉を聞いた事が無かった。
その圧倒的な迫力の為かそれとも邪眼の魔力の為か、
もはやエスリンに逃げる力は残っていなかった。
バロルは１歩１歩確実に歩を進め、エスリンに近づいてくる。
エスリンの口は歯の根が合わず、喋ることさえ出来ない。
出来ることは夫の助けを祈ることと、父の言葉を聞くことだけであった。
「エスリンは私の宝だ。
お前は昔から父思いの良い娘だったからな、私の自慢の娘だよ。
父思いのエスリンのことだ、当然父たっての願い聞き届けてくれるな…」
エスリンは渾身の力を振り絞って首を横に振る。
実父は狂気の光を湛えながら、ゆっくりとその両手を実の娘の首に巻き付けた。

　バルザーが馬車に戻ってきた時、そこには血の海の中に倒れる物言わぬエスリンがいた。
その体と首は無残にも引き千切られ、目はカッと見開き恐怖に歪んでいた。
何が起こったのか暫く判らず、忘我したバルザーであったが、
時間が経つに連れ脱力するとがっくりと膝を着いた。
バルザーは妻と生まれて来なかった我が子の墓を作り、
その墓に水滴に濡れた植物を幾つか添えた。
墓の前に立ち尽くすバルザー。
その頬を涙が伝った。
「何故だ…何故、眼球から水が流れる…。」
妻の首を抱いてバルザーは賢者の森を後にしたのだった。
辛すぎてこれ以上賢者の森に居ることは出来なかった。
そしてバルザーは二度とバロルのもとには戻らなかった。

　しばらくのち賢者の森に住む男、オルファウスが墓の前を通った。
「？」
オルファウスは始め墓を不審がった。
形大きさは間違いなく土饅頭である。
しかしそのワリには備えているつもりなのであろう、植種はめちゃくちゃであった。
美しい花はなく緑の葉がついた植物を乱雑に集め、
乱雑に置いただけという印象であった。
目を凝らして見ていると、ふと中から声のようなものが聞こえたような気がした。
オルファウスは擬似墓とも呼ぶべき代物の裏に回って見た。
すると土饅頭の中から小さな手が伸びていて、
掌を握り、開くという動作を繰り返していたのだ。
驚いたオルファウスは急いで掘り起こすと墓の中から赤ん坊と女性の死体が出てきた。
オルファウスは赤ん坊を抱き上げた。
それは金色の髪を持った男の赤ん坊であった。
赤ん坊のお尻をぺんぺんと叩くと赤ん坊は、力強く泣き声を上げた。
「ふふふ、墓から生まれ出るとはまったく強い子ですねぇ。」
そして墓を埋め直すと名も知れぬ女性に語り掛けた。
「この子は私が責任を持って育てますからご安心を。」
オルファウスはこの赤ん坊の名をどうしようかと頭をひねりながら、屋敷に戻っていった。

　バイアシオン暦１２００年代初頭。
あれから三十年が経っていた。
バイアシオン大陸の世の中は大きく変化した。
最も大きな変化は魔王バロルが勇者ネメアに滅ぼされた事であろう。
獅子とも称されたネメアは父を倒すべく挙兵したエリュマルクの軍に参加。
そしてオルファウス、ケリュネイア、レーグと言う仲間を伴い、魔王を滅ぼしたのだ。
その時妖術宰相はバロルの居城を脱し、その身を何処へか隠していた。
結局の所バロルは娘の子に滅ぼされたのだった。
それを聞いたバルザーが何を思ったのは定かでは無い。
この時は既にゾフォルがバロルに与えた四つの予言は全て出揃っていた。
バルザーには二つ目と三つ目の予言が確実に連動している事が分った。
長らく破壊神ウルグに仕えて来た者の直感とも言うべきものであった。
バルザーはウルグ復活の為に暗躍した。
暗躍しながら死より生まれし獅子が食い付くのを熱望していたのだ。
そして今バルザーは破壊神復活の為、
自ら作り出した異空間においてネメアと激突していた。
「待っていた…。」
バルザーはネメアを正面から見据え言った。
逆にネメアもバルザーを正面から見据え返す。
「…バルザー。」
ネメアの側には以外にも何人か居るようだがバルザーの目には入らなかった。
「勇者ネメアよ。」
「私はネメアだ。勇者ネメアなどではない。」
「運命に抗おうとする者…。これを勇者と呼ばずして、誰を勇者と呼ぶ？
…だが、ムダだ。うぬとても運命には逆らえぬ。
我らが主、破壊神ウルグ様は必ずや復活される…。」
バルザーは破滅の槍を構え、
ネメアも愛槍ランカを構えた。
次の瞬間二人の槍が交錯した。



『A Lua Branca』のモリス様に贈呈した作品。