妄執

　ディンガル帝国帝都エンシャント。
この都には非常に巨大な墓地がある、皇族も皇后も庶民も平等に葬られる広大な墓地である。
それ故か、過去を思い返す多くの人間を常に惹きつける。
父フリントとともに行商をし、旅先の小さな村で父を亡くした後、冒険者として生きていたミルも、
エンシャントの墓地に惹きつけられている一人だった。

　墓地に足を運んだミルは墓地を歩きながらイズの墓石に目をやった。
そして墓場の散策を趣味とするドワーフ神官ドルドラムが語った皇后の話を思い出した。
ミルはエンシャントを訪れるたびにの墓地に足を運び、そこで様々な人に出会っていた。
自分との不義密通の罪で処刑された皇后の墓の前に佇む勇者、
魔王の狂気に巻き込まれ皆殺しになった家族を悼む官僚、
墓石の先にロセン兵に奪われた故郷をみすえる密偵、
略奪され殺された姉を慕う弟…本当に様々な人間が墓地に集まっていた。
そのなかでもミルにとって印象深い出会いは、墓場を散策し墓碑に人生を見るのが趣味という、
風変わりなドワーフドルドラムであったのだ。
このドワーフとの出会いがなければ、この墓地にやってくる人々の半分もわからなかったろう。
特に忘れられない話は、ふとミルが目に止めた墓石に、
「ほう、この墓が気になるのか？」とドルドラムが解説を始めた、皇后イズにまつわる話であった。

　ディンガル帝国皇帝エリュマルクが、甥であり魔王バロルを滅ぼした、
勇者ネメアを陥れようと、絶世の美女イズの誘拐を命じた。
イズは暗殺教団、施文院の大神官であり、誘拐自体が非常に危険な事だった。
しかも、犯罪である。勇者の仕事ではない。成功しても不名誉なことである。
しかしながらネメアが断われば、皇帝は命令に背いたことを理由に処刑するつもりだった。
退くもならず進むもならずという状態のなか、ネメアは命に従いイズをさらったのである。
どんな事情があるのかよくわからないのだが、ネメアはその命に従ったのだ。
エリュマルク帝はイズに恋し、皇后にした。しかし、イズは心を開かなかった。
その上、イズはずっとネメアばかり見つめていたのである。
エリュマルク帝はネメアをいよいよ恨み、イズを嫉妬のあまり殺し、
イズと通じていたとして、ネメアの処刑を命じた。
という一件の顛末を事細かにミルに語ってくれたのである。
「これが、自分をさらったネメア様への、イズ様の復讐だったのかもしれぬ。
…なんにせよ、悲劇的なことじゃ。」とドルドラムはため息をつきながら、
やり切れぬ様に頭を振って締めくくったのをミルは覚えている。

　皇后の墓は煤あるいは苔のようなものに覆われ、
黒々と汚れており絶世の美女の墓としてはなんとも禍禍しいものであった。
ドルドラムの言葉を借りれば復讐を完遂した恐ろしき美女の執念が乗り移ったかのような印象が有る。
そんなことを考えながらぼんやりとあたりを歩きながら時間を潰していると
、一人の町の娘とおぼしき女性が花束をイズの墓へ手向けているのが見えたのである。
珍しいこともあるなぁとミルが適当な場所で、なんとなく眺めていると、
突然町の娘は振り向きもせず喋りはじめたのである。
「冒険者様、こちらの墓がどなた様の墓か御存知ですか？」
「えぇ、まぁ。絶世の美女とうたわれた悲劇の皇后イズの墓でしょう。」
ミルは驚きながらも町の娘の傍によりながら答えた。
後姿だけながら、その娘の美しさは目を引いた。
腰まで届かんばかりの髪が微風を受け、かすかに揺れる姿がまたなんとも艶かしい。
「よく知っておいでですね。イズはネメアを憎んでいました。
自らを攫い、皇帝に汚された原因を作ったからです。
しかしネメアをみつめ続けるうちに、イズは本当にネメアに恋してしまったのです。
ネメアのあらゆる苦難を平然と乗り越える逞しさに。
最後は自らを救いに来た者たちの手を振り払ってまで、
ネメアのそばに居たがるほど、深く、深く、深く愛してしまったのです。
フフ、間抜けな話ですよね。」
ここまで誰に話すでもなく、墓石に向かい淡々と離し続ける娘の姿は、
どこか過去を自嘲しているようにも見えた。
「あなたは…何者ですか？」とミルが問いかいけようとした瞬間、
娘はスッと立ち上がり、ミルのほうへ振り向いたのである。
その顔を見てミルは絶句した。
口をあんぐりとあけ、固まり立ち尽くしたミルに軽く会釈をすると、
娘はしずしずと歩きながら去ってしまった。
「ご存知ですか？エリュマルク帝もまたイズを愛していたのですよ。
帝の愛は妄執となって、今だイズを離さないのです。」
ミルの背に再び娘の声が響くと、ミルは跳ねるように振り向いた。
だがそこには、ただただ無人の墓地の空間が広がっているだけであった。

「エリュマルク帝の執念ねぇ…」
娘はあれこそがイズ本人である！というほど美しかった様な気もするし、
エリュマルク帝の魂が娘の姿となって現れたといわれても納得できそうな、
そんなあやふやな感じであった。
髪が美しかったのは覚えているが、それがどれほどの長さで、
どんな色であったとか、てんで思い出せぬ。
思いだそうとすればするほど顔の輪郭がぼやけ、実体をなくしていくのだ。
娘の怪に頭を傾げつつも、ミルは再びイズの墓を見据えた。
確かにこの墓から感じる一種の禍々しさは、なにかの執念の呪いに似た印象はある。
ミルは懐から祝福の光輪を幾つかと祝福のお守りを取り出した。
祝福の光輪を一つ墓石の上に載せると、瞬く間に光輪は割れ、
墓を黒々と覆っていた得体の知れないものが雲散霧消し、
それまでの禍々しさが嘘のようにイズの墓は清純さを取り戻した。
残りの光輪を供え、祝福のお守りを墓石の裏側に貼り付けると、
ミルは跪き、望まない死を遂げた皇后に祈りを捧げ、イズの墓を後にした。
ふと振り返ると先ほどの町の娘がこちらに向け頭を下げ、
ゆっくりとイズの墓石の中に消えていくのが見えた。

　ミルが墓地を出てしばらくすると、すべての光輪は割れ、お守りは破れぼろぼろになり、
イズの墓は再び黒々とした禍々しさのなかに覆われ、何もなかったかのような姿を取り戻した。