人買い

　バイアシオン大陸の中心エンシャント、
ここは大陸最大の国家ディンガル帝国の首都であった。
中心には周辺から多くの物ががやって来る。
さらにはそれを目当てに一攫千金を狙う者、都会に憧れる者、
商売でやって来る者、帝国への仕官口を求めてやってくる者。
そして木を隠すには森とばかりに犯罪者も多くやって来る。
彼等が隠れるのはスラムと相場が決まっていた。
そこで互いに後ろめたい物を持っているもの達、
生活に困窮するもの達が時には手を取り合い、時には争い、したたかに生きていた。

　魔王バロルの治世の頃辣腕を振るった妖術宰相ゾフォルも、
お尋ね者として今はスラムに身を潜める一人だ。
そんなゾフォルであったがスラムの中ではなかなか人望が有った。
類稀な知識を持った老翁はスラムの生き字引として一目置かれたのである。
スラムでも貧しいながらに生計を立てているものは居る、
そのようなものを相手に簡単な冠婚葬祭を執り行ったり、
ノトゥーンやライラネートの言葉を噛み砕いて伝えていた。
もっともその言葉にはシスティーナの伝道師たる彼のアレンジが、
かなり含まれていたがスラムの人々には関係無い事であった。
他にも何か揉め事が有った時調整役を務めるのはゾフォルであった。
ゾフォルの名に妖術宰相を連想した人間もいなかったわけでは無いが、
貴族の子弟を自称する詐欺師なども多い関係上只の騙りとしか思われていなかった。
もっとも大物中の大物妖術宰相の名を騙るとは、
大胆なのか阿呆なのかと評価は万別であったが。

　そんなこんなでスラムで生活していたゾフォルの元にある日貧しい身なりの少女が現れた。
それは説法の最中であった。
彼女は身なりに似合わぬ上等な反物を携え、亡き両親の供養を申し出たのだ。
「ふむ、立派な心がけじゃな。」
ゾフォルは説法を中断すると、彼女の申し出に他人事ながら感心した。
それにしても身形から察するに相当貧しい生活をしていたはずであった。
上等の反物は何であろうか。
「よかろう。」
ゾフォルが頷くと少女はゾフォルに感謝し、何度も頭を下げた。
簡単ながら少女の両親の菩提を弔っていると、
説法の現場にいかにもスラムの住人然とした男達が入って来た。
明らかに貧乏なのではなく犯罪に手を染めスラムに居ついているタイプの住人であった。
その中の殊更人相が悪い男が言った。
「爺、話しの途中悪いがその餓鬼は俺等が金を払った物でね、
まさか庇い伊達しねぇだろうな？」
ゾフォルはチラリと少女を見た。
「それほど屈強な男達が揃っていながら、商品を取り逃がすとは間抜けなことじゃな。」
スラムでは賢者の森での間引き、人身売買とそれ絡みの誘拐は珍しい話しでは無かった。
明日の食事はおろか今日の食事に事欠くものも多いからだ。
人買いの後ろに控える男達の雰囲気が変る。
もちろん険悪な方向にである。
才能は無いくせ、いらんプライドはあるようであった。
控える男の一人がゾフォルの前に進み、少女に拳を上げた。
「いらねぇ手間掛けさせやがって！」
しかしその拳は振り下ろされなかった。
ゾフォルの杖が下から男の顎を直撃したのだ。
男は老翁の一撃にゆっくりと崩れ落ちた。
「商品に手を出すのは感心せんな。」
ゾフォルは男を一瞥した。
「情けない奴だ。だがその娘は渡して貰うぞ、爺。」
人買いがゾフォルを睨み付け、別の男に顎で合図をする。
その男が少女の手を取ると、目にも止まらぬ速さで杖が男の手を叩く。
「わしはその少女に頼まれ、両親の菩提を弔っている所じゃ。
終わるまでは手出しはさせん、外で待っておれ。」
爺…
下手に出ればつけ上がりやがって…
男達がうめく。
「…分った、良いだろう。」
人買いは忌々しげ男達を引き連れ部屋の外に出ていった。
暫く後ゾフォルが少女の親を追善供養を終えると、
少女は何度も礼をしながら人買いに連れられ去って行った。

　ゾフォルが説法を再開させようとすると、観衆の一人が素っ頓狂な声を上げた。
「なぁあの女の子は何でそんな上物の反物持ってたんだ？」
確かに言う通りである、皆は顔を見合わせた。
これほどの上物の反物があれば身売りなどする必要は無いはずであった。
ゾフォルは１つの可能性に気がついた。
「フム、なるほど…漠然と親御さんの形見か何かとでも思っていたが。
もしかしたら己を身売りしてこれと引き換えたのかもしれぬな。」
それを聞いた観衆の顔に驚きが走る。
「皆のものすまないが今日の説法はここまでだ。
殊勝な少女をこのままにしておく訳にもいくまい。」
皆も頷く。
ゾフォルは説法を切り上げるとぼろを纏い、
反物と部屋の奥から小さな袋を持ち出し人買いを追った。

　ゾフォルが人買い達に追いついたのはエンシャント港であった。
宰相時代どのような場所で非合法な事が行われていたかは把握していた、
さらにスラムに潜伏して以後も情報収集を欠かした事は無かった。
そのため人買いを見つける事は容易であった。
ゾフォルは人買い達の乗る小さな船に上がり込むとまず人買いに反物を突っ返した。
「これで少女を返してもらおうか。」
「…爺。いい加減死にてぇのか？」
人買いがゾフォルを冥い視線で射貫いた。
その後ろには目を血走らせた男達が殺気を盛大に撒き散らせていた。
ゾフォルは人買いの手を取り訴えた。
「わしは紛いなりにも僧侶、あのような少女を見逃すことはできん。」
もちろん口から出任せも良い所であった。
システィーナの伝道師が光の神々の神官としての、
道徳や倫理を振り回すなど滑稽以外何物でも無い。
己の滑稽さから生まれる笑いを噛殺しながら切実に訴える神官を演じながら、
ゾフォルはそのドサクサにまぎれ人買いに小さな玉を幾つか握らせる。
人買いに復活の真珠を掴ませたのであった。
それがなにかを察すると人買いが表情をいやらしく笑った。
「爺さんも好きだねぇ…。稚児にでもするつもりかい？」
人買いの言葉を老人は適当に流す、いちいち説明するのもおっくうであった。
少女を連れ船を降りると人買いの部下達が二人を取り囲んだ。
「ボスっ殺っちまいましょうぜ！」
「馬鹿野郎！商売相手に手を出すんじゃねぇ！！」
やり取りを見てゾフォルのぼろにしがみつく少女。
その小さな手はふるふると振るえていた。
ゾフォルは皺だらけの手で少女の頭を撫でてやると人買いに言った。
「わしはいっこうに構わん！」
それは先程までの好々爺と違う、非常に重く腹を抉るような声であった。
職業柄人買いの胆はかなり据わっていたが背に冷たいものが走るのを否定できなかった。
一瞬自分を見た目が人間の目では無かった、なにか別のもっと恐ろしい目をしていたのだ。
人買いは確信した。
この老翁は騙りじゃねぇ…本物だ。と。
「かっ勝手にしろっ、こちらが先に手ぇ出したんだからな…。」
返事を聞いたゾフォルは闇の性を丸出しにして笑った。
「それは嬉しいな。」
ゾフォルはてくてくと一人の男に近づく。
その無防備な動きを見て男はこぶしを一閃した。
ゾフォルはその手首を掴み男の巨体をひっくり返すと、頭から地面に叩きつけた。
受身も取らずに叩きつけられた男は悶絶する。
「痛かろう、受身を取る能も無ければな。」
ゾフォルが哄笑する。
その哄笑を合図にゾフォルを囲んでいた男達が一斉に襲いかかった。
少女を胸に抱えゾフォルは男達の合間を巧みにすり抜ける。
ここにきて男達も相手がとんでもない実力者である事に気付き始めた。
ゾフォルは印を結び呪文を唱え始めた。
人買いと男達、誰もが聞いた事の無い魔法であった。
魔法が完成すると奇妙な事が起こった。
男達の体に奇妙な斑点が出来、次々と血を吐き倒れて行ったのだ。
ユナイトスペルバクテリオであった。
ゾフォルはつまらなそうに男の頭を蹴り上げると言った。
「これほどの高等魔法を味わえるとは、幸せな奴らよ。」
腰を抜かせていた人買いに一声かけゾフォルは少女を連れスラムに帰っていった。

　ゾフォルが隠れ家に少女を連れかえると待っていた説法の観衆が歓声を上げた。
しかし余りに五月蝿くて静かに話しも出来ぬ。
ゾフォルは野次馬達を追い返すと少女を座らせ綺麗な水を勧めた。
話しを聞くと大方ゾフォルの想像通りであった。
極貧と言って良い生活で有ったが自分を大切にしてくれた両親に恩返しがしたかった、
しかしどこにも金が無い。
そこで自分の身を売り反物に変えたのだ。
思わずゾフォルは自分の母を思い出した。
実母のまるで化け物を見るかのような形相は今でも忘れぬ。
自分には絶対出来ない行動であるだけに少女の行動は胸を打った。
ゾフォルは少女にも幾つかの復活の真珠を与えた。
「これを売り路銀に換えなさい、そして冒険者を雇い水の都アキュリュースに行け。
あそこは好い所だ。おまけに水の神殿の神官見習になれば三度の飯に困らん。」
そしてなによりエンシャントやリベルダムと違い滅びたりしない。
しかし少女は顎を縦には振らなかった。
只でここまでしてもらうわけにはいかないと言った。
「ふん、恩返しをして貰う義理など無いな。わしが勝手にやっている事だ。」
しかし少女はガンと言って聞かない。
このまま居座られても迷惑であったし、なにより少女を巻き込む。
そこでゾフォルは一つの妙案を思いついた。
「判った。ここはひとつ体で返してもらおうか。」
少女は体をシャンとして次の言葉を待った。
「肩を揉め。魔法なんぞ久方ぶりに使って疲れたのでな。」

　翌日護衛の冒険者を伴い少女は去って行った。
別れ際に人買いに連れられて行った時と同じ様に何度も何度も頭を下げながら。
少女のその後についてゾフォルは一切合切知らぬ。
水の都に行ったのかそれとも自分の意思で行き先を選んだのかすら。
それでもゾフォルは満足であった。
自分が不幸を呼ぶ者ではないことが証されたのだ。
それで充分であった。
暫く後スラムの道を歩いていたゾフォルは二名のディンガル兵に襲われた。
港でゾフォルらしからぬ軽率さでバクテリオなど使ったからであった。
もっとも一般人など何人集まってもなんの問題も無いのだが。
その時騒ぎを見つめる観衆の中に、興味深い雰囲気を湛える若者が写った。
無限の可能性を感じさせる才能であった。
ゾフォルは若者に語り掛けた。
「そこの若いの。どう思うかね？嘆かわしい世の中ではないか。
このまま見捨てるか？それとも、助けてくれるかな？」