竜を食む鳥
〜１．死の宣告〜

　１２０１年大地の鳴動を伴い竜王が目覚めた。
竜王が目覚めた時は乱世となる。
竜王が乱世を呼ぶのか、乱世に合わせて竜王が目覚めるのか…
それは誰にも判らなかった。
広大な大地。バイアシオン大陸。
そのロストール王国の王城のある大都市。
ディンガル帝国の辺境に存在する穏やかな田舎町。
行商人が旅先で寄った黄金色に輝く畑小さな町。
広大な大陸にあって地図にもない村。
大いなる魂たちの物語は、竜王の目覚めとともに始まった……。

　過去魔王バロルを四人の仲間と共に打倒した勇者ネメア・ランガスター・ディンガルは、
主である破壊神ウルグを復活させようと暗躍した円卓の騎士バルザーを滅ぼした。
この時彼は想像以上に闇が世界を覆っていることに気が付いたのだ。
それは彼の身の回りでも同じ事であった。
ネメアの唯一の肉親叔父でディンガル帝国皇帝である、エリュマルクも闇に侵されていたのだ。
ネメアは叔父を殺し帝位を簒奪した。
闇に抗することができる国家を作り上げる為であった。
そして、宰相ベルゼーヴァの指揮の下、豊富な国力を生かして大軍隊を組織。
同時に、それを率いる４人の将軍を大抜擢した。
魔道アカデミーを主席で卒業した皇族ザギヴ・ディンガルを帝国内務統括、玄武将軍に任命、
さらに、少数種族であるコーンス族からジラークを登用、
西方攻略軍総司令、白虎将軍に任じ、アキュリュース攻略を命じ…
無名の兵卒であったカルラ・コルキアを青竜将軍に抜擢。
東方小国家連合、及び商業都市リベルダムの攻略を命じ…
かつてバロル帝のもとで名をはせた老将アンギルダン・ゼイエンを南方攻略軍総司令、
朱雀将軍に任じ大国ロストールの攻略を命じた。
獅子帝ネメアの世界統一構想に基きディンガル帝国は、
バイアシオン大陸の全国家に宣戦を布告したのであった。

　そして今南のロストール王国は辛うじてアンギルダンの挑戦を退けた物の、
圧倒的な国力と兵力、人材の質と量に裏打ちされる帝国の圧倒的軍事力により、
西の水の都アキュリュースは降伏、
東の東方諸国、自由都市リベルダムは滅亡、崩壊の憂き目に遭っていた。
帝国はアンギルダンと言う優秀な将軍を失いつつも、
勢いを損なうことなく大陸統一という覇道を突き進んでいたのである。

　重い…
重い、重くて体が動かない。
なにか黒くて大きいものが覆い被さっている。
分らない…
何も分らない、理解できない、認識できない。
今起こっているのは何？
只分るのは背の下に感じる、ざらついた藁の感触だけ。
「ちいとガキだが…上玉だな」
「ああこんな青臭いガキには勿体無ねぇ、けけけけ。」
「知ってるかペウダの豚野郎、ガキはおろか野郎や後ろの方もイケルらしいぜ…」
「この顔タマンねェ、かまわねぇよ俺等も変態になっちまおうぜ」
黒くて大きい何かが体を押さえつける。
どれくらいそうしていたのだろうか。
ふと唯一動く首をそむけた。
そこで数々の農具を見た、ここは納屋。
鎌、鍬、鋤…鎌、鍬、鋤…鎌、鍬、鋤…
ほうけたように事実から目を背けなければ、
現実の重さに耐える事が出来なかったのだ。
一瞬重しがとれた、力の限り蹴り上げそのまま跳ね起きる。
無我夢中で農具を手に取った後は覚えていない。
いや正確に言えば違う。
ただ細切れの様になった人の体と血の海の中で、笑い続けていたことだけは覚えている。

　ディンガル帝国の青竜将軍カルラ・コルキアは、
本拠とするロセンの城塞の一室で、軍務報告の聞きながらまどろんでいた。
夢の中で己、或いは太陽を見る事は無いと言う。
逆にいえばそれを見るということは気が狂っていると言う事だ。
徐々に覚醒する中カルラは自嘲気味に自分を省みた。
感情とは関係なく薄っぺらい笑みを浮かべられる身体。
驚くほど何も感じない心。
自分でも何処か壊れていると分る。
生まれつき人を殺し尽くしても痛痒を感じぬ怪物だったか？
否。
あの時狂ってしまったのだ。
父母恋人を殺され、納屋の中藁の上に転がされた、あの時あの瞬間に…
だからこそ、心のそこから笑わなければいけない。
幸せだったあのころのように屈託なく笑えるようにならなければいけないのだ。
「カルラ様？」
副官のアイリーン・エルメスの声がカルラの鼓膜を振動させた。
アイリーンはカルラから見ても凛々しい女性剣士である。
カルラは彼女の不器用ながら直向な所を気に入っていた。
そこには狂わなければこうなっていたかもしれないと言う、諦めを含んだ憧憬がある。
「聞いていらっしゃいましたか？」
カルラはばつが悪そうに赤インクが入った瓶を指で捏ね繰り弄ぶ。
「いんやぁ〜今日もいい天気だねアイリーン。…ごめん寝てた。」
「皆さん一生懸命対ロストール王国の策を練ってきたと言うのに、酷いのではありませんか？」
アイリーンは美しい黒髪を揺らしながら大袈裟に溜息をついた。
青竜将軍の命で部下達に様々なロストール攻略計画を立案させていた。
カルラは机の上のビンをちょこんと倒した。
中に入っていた赤インクが机の上の大陸地図を赤く塗りつぶしていく。
それを眺めながらカルラはいつも通りの微笑を浮かべた。
朱色に染まるロストール、なんという美しく嗜虐をそそる光景であろうか。
「今回は小細工は無し。」
「えっ？」
「悪いのだけど全軍に伝えて。
細々たる戦術など無用、正面から堂々と攻めたてよ。今回の戦い多分勝てるしね。」
零れた赤インクが鮮血のように机の足伝いに滴り落ちていった。

　一方南の大国ロストールの王都ロストールでは。
ロストールの実力者、女狐こと王妃エリス・リューが１人の青年との会話を楽しんでいた。
ロストール王国といえば、先日にはディンガル統一の名将としてその才を大陸に轟かしていた、
朱雀将軍アンギルダン・ゼイエンの攻撃を凌ぎ切った国である。
その国の事実上の支配者と呼ばれるのがこのエリスで、
面談する青年の名はミルという、過去にエリスの密禎であった石火のフリントの子である。
父の死と共にエリスの配下になり、今や密禎としてはもちろん、
冒険者としても「聡き流星」と言う異名を持つほど高い実力を備えている男であった。
エリス配下の中でも随一と呼ばれた父に比肩する、いや若さを考えれば、
まさに無限の才能と呼ぶに相応しい才覚であった。
血生臭い王宮に身を置くエリスにとって、ミルとの対話は一服の清涼剤である。
「フフフフフ、それにしてもミルよ。
私の所に１番に顔を出してくれるのは結構だが、
アトレイアが悲しむのではないかな？」
「エリス様、からかわないでください。」
「からかってはおらんよ、事実を述べただけだ。
それに王女と騎士の恋愛など城の侍女達がほおって置かん。
これ以後は人目に気をつけることだな。」
扇に口元を隠してはいたが、楽しそうにエリスがにやっと笑ったのが良くわかる。
ミルはばつが悪そうに青い髪を弄くった。
「私はそなたに感謝しておる。
あの暗い闇の中に埋もれていたアトレイアから、
あのような笑顔を引き出したのだからな。
私も人の母として、彼女の幸せは嬉しく思う。」
ミルは一瞬だけエリスの顔が曇ったのを見逃さなかった。
聞けばエリスと実の娘ティアナ王女との間は最近とみに悪くなっているらしい。
まるで明るくなり前向きになっていくアトレイア王女と対を成すかのように。
これには東方の博士を名乗る少年が１枚噛んでいるとも言われ、きな臭さも漂う一件であった。
一方エリスはとてもアトレイアを可愛がっていた。
家族からの愛に飢えていたエリスに、
己を母のように慕うアトレイアの存在は、不幸な過去を鑑み余計に可愛くて、
しょうがないといった風であった。
城内では今や実の母娘よりも親子のようだとすら噂されていたほどである。
「ただミルよ。城の侍従や若い貴族は悔しがっている、
アトレイアがああも美しかったとは誤算だったとな。
しばらく夜道には気をつけろ、フフフフ。」
そのうちミルが場を辞しようとすると、隅に二つの気配が現れた。
ミルには同僚の密禎であることが、気配でわかった。
二人の顔立ちは殆ど同じ、つまり双子の姉妹である。
それぞれ片や向って左の髪に青い飾りを付けたヴァイライラ。
逆に右に赤い髪飾りをつけているのがヴィアリアリ。
外見からでは違う所を見つけるのが難しい彼女達ではあったが、
ミルも最近は冷静なヴァイ、直情的なヴィアでなんとか区別がつくようになった所である。
「エリス様っ、カルラがロストール攻略を宣言致しました。」
「そうか、くるべきものがきたようだな。」
エリスは顔を歪ませると、ミルに言った。
「急ですまぬが、ルルアンタと共に剣狼の牙と爪となって貰うぞ。」
ミルが頷く。
「一刻も早くゼネテスを呼べ。全ては其処からだ。」
ゼネテス・ファーロス、王妃エリスの甥でありロストール軍総指令であった。
以前アンギルダン将軍が進撃した時、ロストール軍は大敗北を喫してしまった。
そのとき敗残兵を即座に纏め上げ、逆転勝利に導いたのが彼であった。
そしてロストールの守護神としてカルラに立ちはだかる事が出来るのも彼だけであった。

　青竜将軍カルラは東方諸国とリベルダムを落した張本人であり、
その戦功並ぶもの無しと評される軍事的天才である。
さらにアイリーンのような他国人、その他冒険者などから人材を次々登用し、
しかも厚い忠誠を勝ち得ているあたりまさに非凡なものをもつ娘だった。。
同時にロセン王家完全殺戮やリベルダム破壊を次々行い蛇蝎の如く憎まれ嫌われている。
しかし現状では美点が欠点を遥かに凌駕し、カルラの能力はいまだ破綻を見せていない。
一方ロストール王国はディンガルの侵略を唯一凌いだ国である。
ただその際に主力に壊滅的打撃を被り、勝てども状況は悪くなるばかりであった。
さらに王妃エリス率いるファーロス家とレムオン・リューガ率いる貴族連合の政争は激しさを増し、
カルラのロストール攻略発表は南方の雄ロストール王国の滅亡を、人々に強く意識させるのは、
あまりに充分すぎるほどであった。