竜を食む鳥
〜２．魔性の騎士〜

　カルラの攻略発表を知ってからと言うもの、
ロストール王国総司令ゼネテス・ファーロスは、内政的なことは全てエリスに任せて、
ギルドの床の上に座って毎日毎日朝から晩まで待っていた。
「ゼネさん待ってももう無駄だよ…、
敵方の人間なんだろ？ギルドを通して呼んでいて、
それでも来ないのだからさ。ここにも大分前から顔出して無いし…」
ギルドの主人がゼネテスに言う。
「いや、彼女は来る。ここに来る。生憎と俺は諦めが悪いもんでね。」
只でさえ致命的といえるほどの深刻な人材難の中、
ここに来てのレムオン・リューガを中心としての貴族連合の出兵拒否。
とにかく人が足りない、質も量も問題外だった。
優秀な人間を少しでも集めなければ…とゼネテスは内心焦っていた。
其処で彼は敵であるリューガ家の人間に声をかける事にしたのだ。
その理由は彼女の実力が卓越していた事がまず挙げられた。
過去大陸史上二人しか手に入れていなかった竜殺しの名を、いとも簡単に手に入れた天才児。
そして彼女は他の貴族たちとは違うとても大きな物を感じさせていた。
それがゼネテスの気を引いたのだ。
彼女ならば…理由がどうあれ、もしかすると…との思いがゼネテスにあった。
ギルドのドアが軋んだ音をたてる。
２人が振り向くとそこには胸当てを装着した美しい金髪の女性が立っていた。

　ビアトリス・リューガ。
リューガ家当主レムオンの『異母妹』にして、「竜殺し」又は「金色の智者」と称される神の寵児。
ロストール王国の産んだ異能の怪物であった。
ビアトリスはカウンターに持っていたキマイラの首を置いた
「あっ…報酬ね、ちょっと待った…」
無造作に置かれた首を見て動揺する主人。
「仲間達だけじゃ持ちきれないのだけど。」
「はっ…？」
「マスターとゼネテスの手貸して。」
主人が心配そうにゼネテスとビアトリスを交互に見つめる。
ドアを開けビアトリスの仲間、
魔法少女ユーリスとリルビーの吟遊詩人レルラ＝ロントン、ビアトリスの弟チャカが
両手にミノタウロスやリッチやらの首を抱えて入って来た。
ゼネテスと主人が外に駆け出すと山の様に積まれたモンスターの首があった。
「は…うぅ。」
主人は腰が砕け尻餅をついた。
「ゼ、ゼネさん、あの人はバケモンかこれだけのモンスターを平然と…アレはもはや人間じゃない！」
「おいおい言い過ぎだろ。」
ゼネテスは何をいまさらと言ったふうであった。
突然肩越しに主人の首にビアトリスの腕が巻きいた。
「マスターったら酷い、か弱い娘を人間じゃないだなんて。」
ビアトリスは主人の耳元でニコリと笑った。
ゼネテスから見てビアトリスの美しさは以前より増しているような印象があった。
まるで強くなるたびに美しくなるかの如く。
仕草一つ一つに冒険者であることを忘れさせ、娼婦であるかのような艶かしさすら感じさせる。
怯える主人を見かねてゼネテスがビアトリスに声をかけた。
「ビアトリス、少し面貸してくれ。」
いかにも魔法少女然とした青と白で彩られた服を着たユーリスが妙に嬉しそうにはしゃぎだした。
「えっなんなんですか、対立する両家の禁断の愛ですか？そーなんですね！」
「ねぇちゃ〜ん！」
「ゼネテス気を付けてね。…油断すると食いちぎられるよ。ナニをとは言わないけどさ。」
チャカの不安そうな声と小さいながら著名な吟遊詩人として名を馳せるレルラの声が被る。

そんな三人にモンスターの首を雨霰とビアトリスは叩きつけると、
二人の叫びを聞きながら、ギルドの裏に二人は移動した。
「率直に言う、ちか…」
「嫌。」
返答は簡潔だった。
「そう言うな。まだ何も言ってねぇだろ？」
「嫌なものは嫌。」
「何故だビアトリス。」
「だって私がレムオンと行動を共にするのは当然でしょ？レムオンの女だから私。」
ビアトリスは潤んだ目でゼネテスの目を見つめる。
「今はカルラより、貴方と王妃様の方が怖いの。フフフ、ねっ、分るでしょう？」
ゆっくりとビアトリスは腰の剣を抜き放ちゼネテスの胸に剣先を押しつけた。
そしてツツツと剣先を胸に滑らす。一筋の血が胸から滴る。
先日ゼネテスの叔母エリスがレムオンの出生に関して宮廷で詰問した。
レムオンにとって政治生命はおろか生命すら一瞬にして失いかねない爆弾であった。
そのさいはゼネテスの執り成しで事無きを得たが、なにも状況は変わらない。
カルラを前にしての自殺行為とも言える出兵拒否は、これが原因である事は明白であった。
ゼネテスは狭い路地に剣を突き立てられながらも、何をしても絵になる女だと思った。
しばらくビアトリスとゼネテスは見つめ合ったまま微動だにしない。
つまらなそうにビアトリスは踵を返した。
「ビアトリス！おまえさんの椅子は空けておく。
何時でも来い、俺は待っている。」
後姿を見送りながらゼネテスはやれやれと首を撫でた。

　ビアトリス・リューガは仲間と弟と別れリューガ邸へ歩を進めた。
別段リューガ家に忠誠を誓っている訳でもなく、
ともに心中する義理はない彼女ではあった。
が、ファーロス家以外の貴族に圧倒的な指導力を持つ、
『義母兄』レムオン・リューガを今失うのは彼女の本意ではなかった。
元々彼女がリューガ家の一員に加わったのは貴族の政争に巻き込まれたからだ。
彼女はノーブルと言うロストール王国の田舎町で実弟チャカと共に、
父母の形見である収穫期には小麦が黄金色に輝く畑を守る農婦だった。
このノーブルを治めていたのがエリエナイ公つまりレムオンだったのだ。
勿論直接治めていたのは彼自身ではなく、代官のボルボラと言う男であった。
このボルボラという男はなかなかの悪代官で、
片田舎の小さな町にレムオンの目が行き届かない事をいい事に、
やりたい放題していたのだ。
重税をかけて私腹を肥やしそして貯めこんだ金で、
リベルダム製戦闘モンスターを買い込み村人たちを恐怖で押さえつけていた。
恐怖による圧政は弓の弦を引き絞りすぎれば切れる様に、いつか破綻する物だ。
ビアトリスはボルボラに対しての暴動を起こし見事成功させた。

　だが…ボルボラが裏で王妃エリスと結びエリエナイ公レムオンの出生の秘密を探っていた為、
事態は非常にややこしい物になったのである。
なんとエリス配下の密禎フリントがこの反乱に一枚噛んでいたのである。
あまりにもすんなりと成功した裏には、
彼がノーブルの住人を焚き付けていた事実があった。
さらにはレムオンはレムオンで秘密を守る為に冒険者を名乗り暴動に紛れ込んでいたのだ。
結局フリントは死亡したが秘密に関する密書は息子のミルがエリスに届けることになった。
レムオンは秘密の言い逃れの為、ビアトリスを異母妹にしたてあげたのであった。
この瞬間父母の形見を守り続けていた農婦ビアトリスは死んだのである。
ビアトリスは自らを翻弄する運命を呪いながら、冒険者として世を回り見聞を広めた。
そして同時にレムオンと共に貴族として顔を広めて行った。
そんな中彼女に最も良くしてくれ親友となったのが、
ファーロス家の血を引くティアナ王女であったのは皮肉であったのかもしれない。
冒険者としてはめきめきと頭角をあらわした彼女は、
金色の智者と言う通り名まで得て、王国を代表する冒険者にまで成長した。
時は流れディンガル帝国が大陸全土に宣戦を布告し世界が動き出す中、
帝国の朱雀将軍アンギルダンとの戦いにゼネテス配下として参加した辺りから、
彼女は気付いてしまったのだ。
自らの存在が身分制の強い母国に有って例外中の例外であることに。
そして高い評価を受ける自らの才能と合わせて一つの考えが彼女を支配した。
元々利用されたのだ逆にこちらが利用し返しても罰は当たるまい…。
農民から有力貴族の一員となった今乱世を利用して盆暗貴族ども相手取るのも悪くない…。
ロストールの支配、いや大陸全体を己のものとするため、ビアトリスは動きだしたのである。
そんな彼女にとってレムオンに死んでもらっては困るのだ。
…特に今はまだ。
だからこの前も結局出生の秘密を暴れ動揺するレムオンに、
彼女は閨房で「いいこと」を囁いたのだ。

　リューガ邸につくと彼女はすぐさまレムオンの私室に急行した。
そこではレムオンが難しい顔をして考え込んでいた。
ビアトリスはまず天井に目をやる。
一睨みすると、大きな鼠はビクリと体を振るわせ姿を消した。
いくら王妃配下の密禎が優秀であろうと、竜殺しに目をつけられては死ぬしかない。
そして密禎の役目は生きて帰ること、死んでは意味がないのだ。
レムオンは机とにらめっこしながら言った。
「ビアトリスか。」
ビアトリスはレムオンの横の椅子に座ると、唇を口付けんばかりにレムオンの耳に近づけた。
「なにを悩んでいるのです？当ててみましょうか？」
「ふん。あまりに簡単すぎて問題になるまい。田舎町の反乱とは訳が違うのだ。
一番危険な役目についてだ…お前なら兎も角、能無し貴族には荷が重い。」
「確かに敵陣の中に入り込み事を成すのは至難…。
しかし私に一つの考えが御座いますわ。」
ビアトリスの甘い息がレムオンの耳を擽った。
「ひとつ聞く。
俺がお前の意向を少しでも尊重すると心の隅ででも思っているのか？」
レムオンはその端正な顔を凍りつかせたような無表情で問うた。
「きっと尊重すると心から思っていますわ。
私は可能性の女神、そして貴方と共に歩む事の出来る女。
フフフ、それがお分かりにならない公爵様では御座いませんでしょう？」
「そ、そうか…。」
再びビアトリスは囁いた。
「シドア侯は如何でしょう。」
「シドア侯？
笑えん冗談だ、馬鹿も休み休み言え。」
ビアトリスは笑っていった。
「かの御方はエリス様との面会時に三時間以上も待たされたと耳にしております。
しかもその時エリス様は旅商人の子と他愛のない雑談をしておられたとか…。
可哀相な侯爵様、きっと屈辱と自らの非力さに胸を振るわせたことでしょう。」
「なんだと…。貴様その話をどこで…」
レムオンは戦慄を禁じえなかった。
ビアトリスはレムオンの口を指で塞ぐと続けた。
「噂ですわ、噂好きな友達が集めてきただけの噂話ですわ。
フフフ、シドア候に恥を注ぐ機会を御与えになれられてみては？
一寸の虫にも五分の魂とは良く言ったものですわ。」
「…」
「必ずや、リューガ家の為心血を注いでくれるでしょう。」
「…」
シドアで良いのか、しかし奴は無能だ、だが代わりがいるのか、
義母妹は駄目だ目立ちすぎる、弟をまき込む訳には行かぬ…
レムオンの脳内でぐるぐるぐるぐると思考が回り始めた。
「フフフ。」
ビアトリスはそれを確認するとゆっくりと部屋を出た。
レムオンはビアトリスが退出するのに気付かなかった。