水都攻防戦
〜１．水の都〜

　分裂していたディンガル帝国を統一した統一帝バロル・ランガスター・ディンガル。
彼は統一後あまりに革新的で理想的な改革を押し進めようとした。
しかし、人々は変化を嫌ったため改革は一向に進まなかった。
バロルは人々を理解できず、苦しんだ…。
業を煮やしたバロルは自分の政策を強硬に実行するための力を闇に求めた。
…バロルは闇におち、魔王となった。
その友人であり部下であったアンギルダン・ゼイエンは、
その姿に失望しバロルと袂を分かち出奔した。

　バロルの元から逃げ出したアンギルダンは各地を転々としながら暮らしていた。
ある時は傭兵として、またある時は冒険者として飯にありついていたのだ。
そして今、彼は水の神殿から傭兵として雇いたいという申し出を受け、
水の都アキュリュースに向かっていた。
アキュリュースは大陸最西方に位置する風光明媚な地である。
断崖絶壁と南北の谷間に挟まれ、
グラジェオンの足跡と呼ばれる湖の中ほどに浮かぶ水の都。
それがアキュリュースであった。
水の神殿による自治が行われており、
治安維持や防衛は雇われの傭兵たちが担っている。
今回アンギルダンが呼ばれたのには魔王バロルが絡んでいた。
既にバロルの中で理想は消え失せ、闇の力、恐怖の力によって
世界を支配しようと考えるようになっていた。
そしてバロルは西のアキュリュースや東のウルカーンに
魔の手を延ばしさらに世界制覇を目的に動き始めていた。
水の神殿はバロルを良く知り、さらに経験実績が豊富な指揮官として、
アンギルダンに白羽の矢を立てたのである。
勝ち目が薄い戦いであった為最初は乗り気でなかったアンギルダンだが、
闇による恐怖の支配に反対して殺されかけ逃げ出した以上、
最後までバロルと戦いつづけるのが筋であろうと思いなおした。
さらに一発バロルの顔をぶん殴ってやりたい気持ちもあった。

　そのアンギルダンはアキュリュースの付近まで来たのは良いものの、
モンスターとの戦いの果てに道に完全に迷っていた。
深い森が続いていた。
何処まで行っても緑のアーチが続き、日の光を遮っている。
森の中は薄暗く湿っていて、なんとなく不気味な物を感じさせた。
行けども行けども山林の中、方角は合っている筈なのだが…、
「ふぅ、まいったまいった。まぁ、なんとかなるだろう。」
帝国統一の英雄らしからぬ、好い加減な台詞をはきながら、
アンギルダンは木の下で旅の中で負った傷を癒しながら休みをとった。
その時遠くから何かの鳴声が聞こえてきた。
アンギルダンにとっても聞き覚えのない鳴声であった。
不思議に思い少し見晴らしのよい場所に出ると、そこから周囲が一望できた。
眼下に広がる満々と水を湛えたグラジェオンの足跡と水の都、
その奥には山脈が連なり青い空が広がっていた。
大陸随一と呼ばれるだけはある、美しい場所であった。
アンギルダンは手前の湖畔に、巨大な蛇が水面から鎌首をもたげていたのに気がついた。
「なんだ、あれは…？」
見たことも無いような生き物であった。
アンギルダンは美しい景色を見たことで気を取り直すと、水の都に向け再び歩き出した。

　それから２時間程度歩きつづけ、アンギルダンはグラジェオンの足跡の湖畔に辿りついた。
遥か彼方に小さな船が島へ漕ぎ出されていた。
あの辺りまで行けば人がいるのか…。
そう考えたアンギルダンは両の足に力を込めて前進した。
ふと湖畔に打ち上げられた緑色の蛇のような生き物がいるのに気がついた。
先ほど山中から見た妙な生き物だった。
山中から見た時はとんでもない大きさのように見えたが、
今アンギルダンの目の前に伏せている水蛇のような生き物は、それほど大きくはなかった。
それでもアンギルダンの巨体を一飲みにしてしまいそうな、
大きな口を持ち胴回りも相当な物であった。
「死んでいるのか…」
呟きながらその顔の前に移動すると、水蛇の目が小さく見開かれた。
そして巨体からは想像できないか細い声を上げた。
よくよくその体を見てみると数多くの傷を負っていた。
何が原因か、事故かそれ以外の理由なのか、アンギルダンに判別はつかなかった。
傷を負い独り死を待つのか…
その姿はなんとなく自分に通じる物があるような気がした。
やれやれとアンギルダンは手を広げて嘆息した。
我ながら人が良いもんだ、と。
何をすれば良いのか良くわからなかったが、
とりあえずアンギルダンは湖水を掬い水蛇の乾いた体にかけてやった。
心なしか水蛇の目に生気が戻る。
そして手持ちの元気の薬を水蛇の傷に塗り込んでいく。
痛いのか水蛇が幽かに鳴いた。
なんとなく妙齢の女性を連想させるような声だった。
「おれも欲求不満だな。ハハハ！」
笑い飛ばしながら薬をぬり込む作業を終えると彼はふと考え込んだ。
打ち上げられたこの巨体をどうするか、それが問題であった。
辺りをぐるぐると回りながら考えたが結局一番単純な方法でいくことにした。
アンギルダンは水蛇に言葉をかけた。
「あの湖に戻りたいんなら力を振り絞れ。俺も手伝ってやるから頑張れよ。」
アンギルダンは赤い全身鎧を脱ぎ薄手になる。
その時胸元から小さな袋が落ちた。
アンギルダンにとってはお守り代わりとも言える、
放浪中に見つけた人魚の鱗が入っている袋だった。
袋から人魚の鱗をとりだすとアンギルダンは光にかざした。
それは美しく無骨な武人であるアンギルダンも見惚れるほどであった。
すると水蛇が一声鳴いた。
「なっなんだ！？」
アンギルダンが驚くと再び水蛇が鳴き、口を開いた。
「…欲しいのか？」
その視線は明らかに手に持つ小さな物体を指していた。
アンギルダンは複雑な表情を浮かべ鱗を見つめた。
そのまましばらく見つめつづけた後、
アンギルダンは鱗を袋に入れ水蛇の口の中に放り込んだ。
「ま、いい機会だ。
信頼した王は既に居らず、敬愛した王妃も既に亡い。
美しい物を眺めながら黄金の思い出に浸るのは止めて、
おれも変わらなくてはいかんということか。」
そしてぽんぽんと水蛇の体を叩いた。
「それじゃいくぞ、鱗の駄賃代わりに頑張ってくれよ戦友。」
アンギルダンは渾身の力を込めて水蛇の巨体を押した。
最初はまったく動かなかったが、
徐々に両者の息があってきたのか少しづつ動きはじめ、
ごろんごろんと転がり始めると一気に動き出し湖面へ落ちていった。
アンギルダンは安堵の溜息をつくと、その場に腰を下ろした。
水蛇は岸の近くをぐるぐる回り、別れを惜しむ様に湖面を二度三度と飛び跳ねた。
「やれやれ、また陸に打ち上げられても知らんぞ。」
アンギルダンが高笑いしながら水蛇に手を振ると、水蛇は湖の中に消えて行った。

　一晩やすみアンギルダンは再びアキュリュースに向かった。
ついにアキュリュース行きの小船が出る船着場に辿りついた。
ここから湖をこえ水の都へ入ることが出来る。
ようやく辿り着いたと言う感慨と、
これから自分を襲うであろう激戦を思うと複雑な物であった。
船に揺られつつ徐々に大きくなる水の都を見ながらぼーっとそんなことを考えた。
ふと水面を見ると木の板やら何やらがぷかぷかと浮かんでいた。
アンギルダンが怪訝な表情を浮かべると、それを見た年老いた船頭が言った。
「アキュリュースに入りこもうとしたディンガル兵の船でサ。」
「なんだと！」
「いやいやそうは言っても密禎みたいな先遣隊でサお客さん。」
うーむとアンギルダンは唸った。
既にバロルの魔の手が伸びてきていることにも驚いたが、
船の破壊のされ方も気になった。
力任せに船を粉々にするという尋常ではない破壊であった。
「水の精ミズチの力でサ。」
「ミズチ？もしかしてあの蛇みたいのか？」
「そうでサ。ミズチが悪意を持った人間を拒んでサ、
船をぶっ飛ばしてくれんでサ。
うちらの水の巫女様もすげぇンでさ、
ミズチの生まれ変わりだとか化身だとか言われるくらい、
こーんな大きなミズチといとも簡単に心通わせることが出来なさる。
エルズの女王様もスゲェらしいっすが、今の水の巫女様にはかなうまいて。」
まるで我が事のように語る船頭の話を聞いているうちに、
船はアキュリュースへと辿りついた。
アンギルダンは休憩もそこそこに直ちに水の神殿に向かった。
ディンガル帝国を相手にするのだ、準備は早ければ早いほどよい。
正式に契約を結ぶと、神官長に「我らに出来ることはありますか？」と問われた。
アンギルダンは答えた。
「傭兵の募集を続けて欲しい。
神官団と住民は避難訓練を繰り返し、落ちついて行動できる様に。
一般住民からの徴兵や義勇兵は無用。
中途半端な訓練を受けた素人衆は玄人衆の足を引っ張る。
鍛えながら戦う余力はおそらくあるまい。
あと皆が飢えないだけの食料がいる、
十分な食料が用意できぬようならさっさと降伏するべきでしょう。
出来れば詳細な地図も用意して下さい。
このあたりは天険と呼ぶに相応しい、詳細な地図はそれだけで武器になる。」
アンギルダンは矢継ぎ早に指示を出すと、すぐに傭兵たちをまとめ、
次々ディンガル帝国を迎え撃つ準備を進めはじめた。



『A Lua Branca』の１周年記念贈呈品。