水都攻防戦
〜２．水の巫女〜

　それから数日後の事である。
アンギルダンは町の地形を確かめながら神殿前広場まで歩を進めた。
大通りを中心に建物が連なり入り口は港だけと言う構造である。
神官たちに話を聞くと水の神殿の地下にも水路が走り、
そこから船を浮かべ外に脱出する事が可能らしい。
もしも仮に市街地戦となったら港との出入り口に壁を築き、
住民の脱出の時間を多少なりとも稼ぐことができる。
アンギルダン自身は実際に見たことはないとはいえ、
水の都の到る所で圧倒的な信頼を得ているミズチの守りを、
突破されるとはあまり考えたくなかったが…万が一ということもある。
それに魔王には妖術宰相ゾフォルが蘇らせた破壊神円卓の騎士と称される魔人たちがいた。
奴らならミズチの守りとて万全とは思えなかったのだ。
そんな事を考えながら広場のベンチに腰をおろし、
旅の中で食べ損なったナジラネのパンケーキを頬張った。
ナジラネのパンケーキと言えど堅めに焼けば半月ほどは持つ、
ただし味の保証はしかねるものとなるが。
ふと気を緩めて広場を眺めるとグラジェオンの足跡がその姿をいっぱいに広げ、
言葉に出来ない偉容を見せ付けている事に気がついた。
「すばらしい…。」
昔、地の精霊神グラジェオンが妹である水の精霊神アキュリュースのために作り上げた、
と伝えられるのがグラジェオンの足跡である。
精霊神と言えど兄にとって、妹はなんだかんだ言いつつも可愛い存在であるらしい。
以前山の中腹から見た眺めとはまったく違う、
ほとんど三方向に広がるその姿はまさしく神の仕事であった。
眺めに圧倒され広場の淵まで進んだアンギルダンの背に、
モンスターが放つようなゾクリとする気配が走った。
「誰だっ！」
「きゃっ！」
驚いたアンギルダンが振り向くとそこには見知らぬ若い女性が居り、
突然振り向いたアンギルダンに驚き尻餅をついた。
それを見て狼狽したのはアンギルダンだ。
見ると透き通るような空色のローブを纏う、おっとりとした感じの美しい女性だった。
とてもあのような強烈な気配を放つ様には見えない。
危うく「化物！」と叫び、得物を腰から抜き放つ所だったとは口が裂けても言えない。
彼女の手を取り起き上がらせ、アンギルダンは非礼を侘びた。
女性はお尻の埃を叩くと動じた風も無くアンギルダンに言った。
「こんにちは、良いお天気ですね。」
「まったくですな。このような日はのんびりと昼寝でもするに限る。ハハハ！」
アンギルダンが豪快に笑うと、その瞬間二人の回り一帯に無数の光球が現れた。
驚くアンギルダンと違い、女性にはそれが当たり前の様であった。
「やっぱり、この子たちも、アンギルダン将軍のことを気に入ってくれたみたいですよ。
ミズチの心ってよほどのことがないと人前には姿をださないですから。」
「ミズチの心？」
「はい。私はここの神殿の巫女ルフェイといいます。
ここには死んで体を失ったミズチたちの心がいるんです。
私はよくここでミズチの心と話をするんですよ。」
「ルフェイ殿、失礼だが…以前お会いした事はないようだが？」
水の巫女と会ったのはここが始めてのはずであった、
自分の記憶をいくら紐解いてみても、この美しくほややんとした女性に見覚えは無い。
ルフェイはにっこりと微笑んだ。
「この水の都で見知らぬ赤い鎧のかた、
となれば最近やってこられたアンギルダン・ゼイエン将軍しか
いらっしゃらないでしょう？」
「確かに。めずらしいものを見せてもらったおかげで頭が回らんようだ。」
アンギルダンは苦笑しながら頭を掻いた。
「それにしてもあなたがあの水の巫女か、噂はかねがね聞いている。
改めて紹介させていただこう、私はアンギルダン・ゼイエン、以後御見知りおきを。
ただ将軍は止めて頂きたい、とっくにクビになっているのでな。こそばゆてたまらん。」
そして手刀を首筋に当てぽんぽんと叩いた。
二人が笑いに包まれているところに、神殿から神官長が現れた。
「ルフェイ様！またミズチとおはなしをされていたのですか？
そろそろおつとめの時間ですが。」
「あ、はい。わかりました、神官長様。
アンギルダンさん、それではまたお会いしましょう。」
ルフェイと神官長はアンギルダンに頭を下げ神殿の中へ消えて行った。
広場に残されたアンギルダンの回りではミズチの心たちが舞い続けていた。

　アンギルダンは着々と防戦の準備を進め、部下を連れ様々な所に足を伸ばした。
国境沿いの蔓橋、街道の側面を走る断崖絶壁、等々で罠を仕掛けていった。
魔王バロルとの戦いということで尻込みする者も世には多いなか、
バロルに家族を殺された村人あがりの冒険者や
ノトゥーンの神罰をバロルに与えてやると意気込む若い神官など、
様々な人間が集まり徐々に人材は整ってきた。
アキュリュースに戻ると傭兵たちの調練に励んだのである。
それなりの成果を上げたことでアンギルダンは満足していた。
時間が無いので失敗したら責任者を殺していくという強硬策も考えたが、
ディンガル帝国ならともかくアキュリュースでは恐怖の代償になる魅力に乏しいので、
諦めたのはアンギルダンの心の中だけの秘密だ。
アキュリュースに居る間アンギルダンはルフェイと会うことが多かった。
最初は意識して会っていたわけでは無いのだが、
何故かアンギルダンが神殿前広場に行くと良いタイミングで、
ルフェイがぽけーっと日向ぼっこしているのである。
なんとなくアンギルダンがルフェイを意識するようになったのはそれからであった。
その後しばらくすると二人は夜忍んで会う間柄になっていった。
ある休日にアンギルダンはルフェイを誘い水の都の外に出た。
真っ青に晴れた快晴と呼ぶにふさわしい日であった。
船守の老人に口止めしてもらい、
お忍びでグラジェオンの足跡の外側に連れ出したのである。
と言っても、それほど遠くに出たわけではなく、
足跡の岸に腰掛け都を眺めながら、
アンギルダンお手製弁当を開げてのんびりとすごす程度であったが。
それでも殆どアキュリュースから出たことが無い、
と言ったルフェイは子供の様にはしゃいで喜んだ。
ルフェイにとってアキュリュースが彼女の全てであり、世界であった。
特にグラジェオンの足跡に浮かぶ、アキュリュースの光景に目を奪われたようだった。
温かい風の中ゆっくりと時間がすぎていく。
「それにしてもアンギルダンさんはお料理上手ですね。美味しいです。」
「ハハハ。一人暮しが長いもんでね、お恥ずかしい限りだ。」
アンギルダンは戦地を転々とし、冒険者としても世界を放浪していた。
そこで様々な物を食べ、自分の料理の腕も磨いていった。
水の神殿の最高位に居る水の巫女と比べその技術は歴然としていた。
アンギルダンはルフェイに膝枕をしてもらいながら雑談を楽しんでいた。
「水練は如何ですか？」
「…ぼちぼちだな。」
「あ、うふふ。」
アキュリュースは水辺、というより水の真中にある町である。
傭兵たちは重い鎧を着込みながら水辺の戦いに挑む可能性が合った。
そのため水練を怠らない様にしていたのだ。
もちろん鎧を着込みながら泳ぐと言う状況は悪夢そのものだが、
少しでも生き残る可能性が上がるなら泳ぎを上手くする価値はあった。
傭兵たちの中でアンギルダンは圧倒的に泳ぎが下手だった。
それを知った部下たちは珍しく欠点を曝け出した仕事に関しては厳格な上司を、
なんとも意味深で味のある表情を浮かべながら見つめるのだ。
アンギルダンとしてはそれが悔しくってしょうがないのだ。
さらにルフェイはアキュリュース育ちだけに非常に泳ぐのが上手いとあっては…
アンギルダンも意地になろうというものだ。
しかし産まれついての適性であろうか、
水練を重ねてもアンギルダンの泳ぎは下手であった。
「ルフェイ、この戦いが終わったら俺と一緒に外へいかないか。」
突然アンギルダンが言った。
「私は水の巫女です、皆に迷惑をかける事は出来ません。
アンギルダンさんが残って下さい、
冒険者を辞め水の都に腰を落ち着けて下さい、
アキュリュースは良い所ですよ。」
「それもいいな。」
だがアンギルダンが冒険を止められるかというと、
それは自身にもわからなかった。
腹を摩りながらルフェイは見透かす様な視線を向けた。
温かい日差しの中次第にアンギルダンはまどろみ、
次に気付いた時ルフェイはアンギルダンの頭上でキラキラと光るものを眺めていた。
「人魚の鱗…？」
驚きのあまりアンギルダンの目は一瞬で醒め、体を起こした。
ルフェイはそれを急いで背に隠した。
それよりもアンギルダンの目に止まったのは、
ルフェイの膝下に落ちていた見覚えのある袋だった。
「なぜルフェイがそれをもっているんだ？」
「……………。」
ルフェイは目を背け答えない。
「やれやれだんまりか、それにしてもあのミズチめやりおるな。」
アンギルダンは苦笑せざるを得なかった。
「他人の物を女へのプレゼントに使うとは、さすがに思いもしなかったな。ハハハ！」
おもしろそうに笑うアンギルダンに対して、ルフェイは安堵の溜息をもらした。
「だが、鱗のままでは芸がないな。
せっかくだ、耳飾にして送り直そう。
きっと良く似合う。」
アンギルダンはルフェイから鱗を受け取ると、さっそく耳飾の形を考え始めた。
巨体に似合わず手先は器用なのだ。
ルフェイはそんなアンギルダンを見ながら幽かに口を開いたが何も言わずに口を閉じた。

　同じ頃。
一方大陸中央に位置する帝都エンシャントから、
アキュリュースを攻略する為の軍団が出発した。
大陸北西部に帝国兵の軍靴の音が響き渡ろうとしていた。
そしてそれは大陸全土を覆うであろう魔王の野望の足音であった。



『A Lua Branca』の１周年記念贈呈品の第２章。