水都攻防戦
〜５．水都決戦〜

　ネモを水際で仕留めるべくアンギルダンたちは、
陸に上がり様を狙い武器を振り下ろした。
しかし一瞬にして白豹の姿は消え、武器はむなしく地面を叩いた。
「どこだっ！」
皆驚愕した。
必死にネモを探すアンギルダンらを嘲笑うかのごとく、
ネモは突然後方から現れると傭兵の一人の喉を掻き切った。
嫌な音を立てかみきられた喉から血が吹き出て行く。
それは非常にゆっくりと流れて行く光景であった。
「知らなかったろう？これが転移魔法だ。
破壊神ウルグ様から頂いた絶大なる力の賜物よ。」
ネモは致命傷を受け倒れた傭兵の頭に足を載せた。
「だがもう使わんよ…面白く無いからな。
何の為にここまで歩いてきたと思う？
さぁ愉しませろっ！おれが満足する様にな！！」
ネモはまず指揮官であるアンギルダンに狙いを定めた。
その巨体に似合わぬ俊敏さで頭蓋を砕かんと飛びかかったのだ。
アンギルダンはとっさの事にも関わらず、かろうじてその突撃を腕で防いだ。
防いだと言うよりも、我武者羅にネモの口に腕を突っ込んだといった方が近かった。
そのままネモの突進の勢いに押され、アンギルダンの体は地面に叩きつけられる。
押し倒されれば殺されるアンギルダンは、必死に足を蹴り上げネモを吹き飛ばした。
ネモはくるりと地面に降り立ち、アンギルダンも起き上がった。
アンギルダンは殺される事は避けたが腕がやられていた。
ネモの牙が食い込んだ痕からはどくどくと血が流れ出し。
腕は使い物にならなくなっていた。
ネモが口を開け魔法を紡ぎ出した。
「ブレイズ。」
炎の高位魔法であった。
傭兵たちのあたり一面があっというまに炎につつまれる。
業火を必死に避けながらアンギルダンは悟らざるを得なかった。
守勢に回るとなにも出来ずに殺される…！と。
「皆、攻めろっ！攻め勝つしかないっ！！」
アンギルダンは斧を持つ手に力をためながら叫んだ。
それをうけ傭兵たちが業火を潜りぬけネモに切りかかる。
槍や剣がネモの体に突き刺さった。
しかしそれはネモの皮膚で止まり、
貫く事はおろか僅かな血さえも流す事はなかった。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄っ！」
ネモの嘲笑が響き渡った。
そしてその尾が鞭の様にしなり手当たり次第傭兵たちを打ち据えて行く。
尾鞭とも言うべきそれに次々武器を叩きおとされ、急所を一撃され、崩れ落ちる傭兵たち。
それでも必死に抵抗を続ける傭兵たちに対し、
嘲る様にネモの尾の一撃は破壊力を増していった。
武器に当たれば武器を砕き、体に当たれば肉が弾ける。
そんな物が旋回し巻き付き薙ぎ反転しネモの位置に関係無く、
予想の全くつかないところから襲い掛かってくるのだから堪ったものでは無い。
あっというまに動ける傭兵はその数を減らしていき、
尚且つ立っている傭兵ともなると片手で数える程度であった。
それを見て内心アンギルダンは焦った。
闘気とパワーをしばらく体内に溜め込み、
一撃で放出し敵を砕く、秘技メガバースト。
アンギルダン自ら最強の技でネモの急所を掻っ捌いてやるつもりであった。
既に闘気とパワーの充電を済ませ、
アンギルダンはいつでも攻撃に移る事が出来た。
しかしその巨体と怪力に似合わぬ素早さを誇るネモに当たるかと言うと、
馬鹿正直に正面から向かっては無理というものであった。
切るに切りかかれないアンギルダンの姿を察し、
傭兵の一人が這いつくばりながらネモにアイスクラフトを投げつけたのである。
アイスクラフトは氷の精霊が閉じ込められた玉である。
もちろんネモに効くようなシロモノではなかった。
しかし思わぬところからの思わぬ攻撃によりネモの視界が一瞬遮られたのだ。
「はっ！」
赤い鎧から闘気の渦が放たれ、周囲の物を吹き飛ばす。
アンギルダンは渾身の力で踏み切り、ネモの顔面にその大斧を叩きつけた。
港に鈍い音が響いた。

　水の神殿の奥まった所にルフェイの部屋はある。
そこには今は住人が二人いる。
ルフェイと産まれたばかりの娘イークレムンである。
そのイークレムンが先ほどから泣き止まないにも関わらず、
ルフェイの姿が見えなかった。
イークレムンは早くも本能的に敵の存在を感知している様であった。
神官長がイークレムンをあやしているが、泣き止む気配は無い。
ルフェイはイークレムンについて余り話さなかった。
特に父親について知っているのは本人を含め僅かな数であった。
神官長はその一人である。
ふと神官長は人魚の鱗で作られたイヤリングの入った袋が、
イークレムン小さな手に握られていることに気が付いた。
ルフェイの覚悟を悟り神官長は溜息をつかずにいられなかった。

　その光景はまさに信じられない光景であった。
ネモはアンギルダンの一撃をなんと歯で斧に噛みつくことで受けとめたのだ。
さらに斧を噛み切ったのである。
「馬鹿な…っ！」
歯型に刳り貫かれた斧を見てアンギルダンも色を失った。
思わずよろめく様に後退した。
受けとめたと言えネモの頬は文字通り耳まで裂けてしまい、
鮮血がぼたぼたと大地に降り注いだ。
ネモは無言でその流血を眺めた。
暫くの無言の時間の後徐々にネモの白い体毛が逆立ち、
遂には針山の様になっていった。
「このおれが血を流しただと…闇の賢者サマが人間相手に流血だと…。
許さんッ！絶対に許さんぞ虫けらども！」
ネモは吼えた。
「じわじわと嬲り、皆殺しにしてくれるわ！！」
圧倒的な重圧が一面に広がった。
そしてネモの周囲から数多の火球が出現し、轟音とともに傭兵たちに降り注いだ。
アンギルダンたちは知らなかったが、複合魔法のファイアボールであった。
アンギルダンも直撃こそしなかったが、衝撃を受け大地に突っ伏した。
「さすがに強いッ、人間の力では絶対に勝てん…！
魔人を倒せるような奴がいたら尊敬してやるぜ…。」
港は火球の破壊力で穴だらけになり、ネモを除いて無事な者は誰もいない。
その中を悠然とネモは歩きだした。
「信じられぬ脆さだ、手を抜いてやったにも関わらずのこの脆さ。
システィーナ様のおいたわしい１件があるとはいえ、
この脆き者たちに御執心されるウルグ様の御心が知れぬ。」
ネモの体から先程以上の魔力が放たれる。
それだけでネモの足下が吹き飛ばされ抉られると言う凄まじい物であった。
「止めだ。冥土の土産に見せてやるぞ！円卓の騎士の本気を！！」
アンギルダンは必死に四肢を動かしたが、どうしても体に力が入らない。
目を瞑り死を覚悟した。

　その時鈍い音ともにネモの金切り声が耳を劈いた。
アンギルダンが目を開くとそこにはにわかに信じられぬ風景が広がっていた。
見知った娘が白豹の両側頭部に手刀を突き立てて、必死にしがみついていたのだ。
一人と一匹を中心に魔力が渦を巻いた。
「ルフェイ…？逃げろっ！逃げてくれ！！」
一体何をするつもりなのかわからなかったが、嫌な予感がした。
ネモはルフェイの束縛から逃れんと必死にもがく。
しかしルフェイは離れない。
「はっ離せぇ！」
「嫌です。あなたはここで死んでもらいます。」
ルフェイの指が光るとネモは更に苦しみ出す。
魔力の渦は益々濃くなっていく。
「やめろやめんか、自爆だぞ！跡形もなく死ぬつもりか！」
「効果はあるみたいですね…それだけが心配でした。」
ルフェイは自分の生命力、魔力をすべて使いネモを倒すつもりであったのだ。
自分がずっと住み続けた町への愛着であろうか、
水の巫女としての責任か、
娘への愛か、
アンギルダンに死んでほしくなかっただけかもしれない。
そのどれでもないかも知れないが、すべてが理由であるかもしれなかった。
アンギルダンは斧を杖にたち上がるとネモに向かって歩き出した。
女性、しかも深窓の令嬢が戦っていると言うのに、
戦争のプロである自分が寝ている事は許されない。
しかしネモとルフェイの魔力が壁になりまったく近づく事が出来なかった。
「無念…ここまできて何も出来ぬとはっ！」
アンギルダンは歯軋りしたがどうしようもない。
ルフェイとアンギルダンの視線が一瞬重なり合った。
アンギルダンに向かってルフェイは何か言おうとしたが、
結局寂しげに微笑んだだけであった。
「このっおれがあああああぁぁぁぁぁぁぁ…」
ネモの絶叫を最期にルフェイは光の中に消えていった。

　光が消えるとそこには誰も居なかった。
ルフェイもネモも居らず、ただ爆発によって出来た巨大な穴があるだけであった。
港がまずは安堵に包まれる中、アンギルダンは立ち尽したまま動けなかった。
頭の中にはミズチの声が響き渡っていたからだ。
ミズチの声など聞いた事が無かったが、そう直感したのだ。
頭の中に聞こえる声の内容は衝撃的な物であった。
無駄死にだ…
せっかく命をかけたのに…
逃げられた…
アンギルダンは導かれる様にゆっくりとグラジェオンの足跡に顔面を向けた。
そこにはふらふらと宙を浮かぶ巨大な白豹がいた。
その口には真っ赤に染まった無残な姿のルフェイが咥えられていた。
最後の最後でネモはルフェイの腕を引き千切り、
さらに転移する事により辛うじて直撃を避けたのである。
ネモはルフェイの体を湖に投げ捨てると、よろよろと逃げ出した。
「この円卓の騎士ともあろうおれが…なんたることだ…。」
アンギルダンはわき目も振らずに湖に飛び込んだ。
その水音で皆ネモの生存を知り戦慄した。
そして鎧を着たまま湖に飛び込んだアンギルダンの愚行に対しても驚いた。
アンギルダンは必死に泳いだ。
泳いで泳いで泳ぎつづけた。
しかしネモに追いつけない。
「駄目だ、沈む！隊長が死んでしまう！」
港から声が上がった。
事実アンギルダンは力尽き、その体は沈んで行った。
その時に一匹のミズチがアンギルダンに近づいていった事に誰も気付かなかった。
ネモはネモで金縛りから脱したミズチたち相手に、思わぬ苦戦を強いられていた。
全力をだせればなんとも無い相手であったが、
ルフェイの特攻を受けネモのダメージも大きい物であった。
その状態で次々襲いかかるミズチの相手をするのは少々酷な条件であった。
それでも魔法を矢継ぎ早に唱えミズチを手当たり次第殺していくネモ。
後少しで岸に辿りつくと言う所で、一匹のミズチがネモの直下から姿をあらわした。
その背にはアンギルダンがしがみ付いていた。
「この赤鎧野郎が！」
すれ違い様アンギルダン最後の一撃が煌き、縦にネモの腹を掻っ捌いた。
反動で斧は粉々にくだけ散ったものの、
ついに己の得物が円卓の騎士に一撃を加えたことを、
アンギルダンは満足げに見つめた。
その隙に一気にミズチたちがネモの体に貪り付いた。
だがネモはそれすらも跳ね返し、アンギルダンへ魔法を放った。
アンギルダンを乗せていたミズチが庇うように、
魔法の直撃を受けアンギルダンは宙に放り投げられた。
アンギルダンは死にゆくミズチからルフェイの声を聞いたような気がした。
しかしネモはアンギルダンの考える間も与えず襲い掛かる。
アンギルダンはネモの牙を見ながら、あぁ死ぬのかと思った。
すると不思議な物で感覚が妙に冴えだし懐の異物感を思いだした。
アンギルダンはその異物を握り締めるとネモの口に放り投げた。
それは放物線を描きネモの口にとびこんでいった。
そしてぐしゃりとした嫌な音とともにネモの喉、顎、頬、頭蓋から氷の槍が飛び出たのである。

ネモは吐血し、口元を血に染めながらもにやりと笑った。
「けけけけけ。思った以上に…やるじゃねぇか、褒美だ。良い事を教えてやるぜ。
円卓の騎士サマは…死ぃんでもなぁ…。
破壊神たるウルグ様が…、そこにぃ…居られる限り…は。
何度でも蘇る…なぁんどでもぉなぁぁぁぁ！
あの女やてめぇのやった事なんざ、これっぽっちの意味もねぇってぇわけだ…！！。」
ネモは大きく息を吸い込んだ。
「ぎゃぁっはっはっはっはっはっはっはっはっ！！」
断末魔の哄笑とともに、ネモの体は膨れ上がり爆発した。
アンギルダンは真っ逆さまに墜落しながら、ネモが爆発するのを見届けた。
「おれたちの勝ちだ…！」
最後の最後で勝負をわけたのは、特産品とも言うべきアイスクラフトであった。
自分の世界である水の都を守るために命を賭けた、ルフェイへの最大の手向けになるだろう。
そんな事を考えながらアンギルダンの意識は薄らいでいった。

　アンギルダンが目を覚ましたのは暫く後であった。
いつのまにやら傷は治っていた。
しばらくボケっとしていると、
どうも傍らにルフェイが付き添ってくれていた様に思えてしょうがなかった。
現実にはルフェイは死に、遺体はネモにより湖に投げ捨てられている。
今思うとルフェイは水の精ミズチが人型を取ったもののような気がした。
少なくとも彼女がミズチと一心同体の如く、
強く強く結ばれていた事だけは確かだろう。
もしかしたら帰るべき所に帰っただけなのかも知れぬ。
そう思うと少し気が紛れた。
あたりを見まわすとそこには見覚えがあった。
アンギルダンが初めて湖畔に降り立った地であった。
沖を見ると捜索隊であろうか、何艘もの船が湖に漕ぎ出されていた。
アンギルダンは大声で叫び、手を振った。

　ネモが敗れた事を知った魔獣軍はあっというまに崩壊、
ほうほうの体で逃げ出していた。
ついににネモのアキュリュース攻略戦は終結したのだ。
ネモは妖術宰相の手で蘇り魔獣軍を率い続けることとなる。
彼に言わせればアキュリュースの敗北も、
「寝覚めの余興にしては面白かった。」であった。
本心かそれとも悔し紛れかは本人のみぞ知る。

後にネモが激しい戦いの末、勇者たちに力を封印されぶーたれ猫になってしまう事。
アンギルダンが勇者の強さに一兵卒で良いから部下になりたい、と言うほど心酔する事。
それらは又別の話だ。



『A Lua Branca』の１周年記念贈呈品の第５章。