水都攻防戦
〜４．賢者の行進〜

　ディンガル帝国の侵攻を打破ったとあり、
アキュリュースはお祭り騒ぎとなった。
とはいえ、アンギルダン自身はあまり喜ぶ気にならなかった。
帝国軍を殆ど全滅させたというのは正直誤算だった。
この結果を受けた悪意と焦りの化物となった魔王バロルは、何を思うのであろうか。
そこまで考えた時にアンギルダンは戦慄を禁じえなかった。
最悪円卓の騎士を使ってくるだろうと予想できたからだ。
もちろん当初の予定通り進んでも、バロルのプライドを刺激し無い程度の被害を与え勝つ。
そんな上手い具合に事が進むなんて思いもしなかったが。
それだけミズチの破壊力は衝撃的であったのだ。
陰鬱なままアンギルダンは神殿前広場に足を運んだ。
帝国軍が進行してからと言うもの、ほとんどアキュリュースには戻ってこなかった。
当然長い間ルフェイにも会っていない。
出来上がったイヤリングを渡したかったし、久し振りに顔を見たかった。
お祭り騒ぎの中ではあるが水の神殿がルフェイの指示をうけ、
アキュリュース側ディンガル側関係なく怪我をした者の治療が行われていた。
傭兵たちを筆頭にしてその行為に異を唱える者たちも多かったが、
アンギルダンは
「過去捕虜交換を利用した将もいるのだし、選択肢を多く持つことは悪い事では無い。」
と皆を説得した。
もちろん敵に貴重な医療物資を使うなら、
味方のために残しておいてほしいとも思ったがそれを億尾にも出さず、
最大限利用しようと考えるアンギルダンであった。
しかし残念な事に神殿前広場にルフェイは居なかった。
顔見知りの神官長に戦中作り上げた人魚の鱗で出来たイヤリングを渡してその場を辞した。
次の戦いへの備えで頭がいっぱいであったアンギルダンは、
神官長の目に疑うような光があった事に気付かなかった。

　そのしばらく後、
アキュリュース攻略失敗に続きウルカーンでも帝国軍敗れる。
その報が大陸全土を駆け巡った。
帝国軍は圧倒的多数に奢り、魔道文明を研究する研究者が多数いるウルカーンを嘗めた。
そのため彼らが作り上げたマグマゴーレムの前に成す術も無く敗れ去ったのだ。
多くの人は魔王バロルの野望は早くも挫折したと思った。
しかし肝心の魔王バロルはまだ諦めていなかった。
特に自分の元を去りさらに仇成すアンギルダンに対する憎しみは深い物であった。
バロルはエンシャント城内謁見の間に、円卓の騎士ネモを呼びつけた。
玉座に座るバロルの顔は仮面のようなまったくの無表情で、
そこから人間らしい感情を読み取る事は出来なかった。
白い老豹の姿をした円卓の騎士ネモ。
老いているとはいえ刺青のような黒い紋様が刻まれたその体躯は、
非常に立派であり見る者を威圧せずにはいられなかった。
しかしネモからは見るからにやる気が全く感じられなかった。
バロルは眼下でめんどくさそうに体を丸める老いた白豹に向かって言った。
「ネェェェモォォォ…、聞いてのとおり、
アキュリュースとウルカーンの攻略はともに失敗した。」
言葉が紡ぎ出されたその刹那、バロルの目が大きく見開かれた。
嫌な音と共にネモの後方の壁に大きな穴が開いた。
ネモはそれをつまらなさそうに一瞥した。
「ネェェェェモォォォォォ…。これ以上は待たん、殺されたくなければ行け。
水の都とアンギルダンの首を余の前に献じるのだ。」
その地獄から響いてくるかのような声を受け、
ようやくネモは重い腰を物臭げに上げた。

　円卓の騎士ネモと彼の率いる魔獣、人間の混成軍がアキュリュース目指して動き出すと、
その動きは瞬く間にアンギルダンのもとに届けられた。
アンギルダンは再び傭兵たちを引き連れると、吊橋の付近でネモを待ち伏せたのだ。
少数の精鋭をアンギルダンは連れ、罠をはり獲物がかかるのを待った。
「しっかり油は浸しておいただろうな？」
「もちろんで。」
吊橋に油ををたっぷりと塗り込み、ネモが渡る時を狙い焼落す算段であった。
その獲物たちは異様な風体であった。
例によって金縁黒鎧の兵士たち、その動きや表情に余裕が無い。
そしてそれに続くげに恐ろしげな魔獣たち、
双頭の蛇アスプや鳥に似たアクウィラ、
その他バシリスク、ルーパス、ブラックドッグの姿も確認できた。
まさに魔王の軍と呼ぶべき構成であった。
そしてその中には４人の屈強の兵が担いだ輿に乗るネモの姿があった。
その周囲では複数の楽師がやはり余裕の無い表情で必死に楽器を奏でていた。
聞いた事も無いような楽曲に彩られたその進軍模様は、
美しく騒がしくそして不気味なものであった。
そのネモの乗った輿が吊橋を渡り始めた時アンギルダンは奇襲をかけた。
火の下位魔法を使えるものは魔法を、その他の者は火矢を、
ネモに向け一斉に浴びせたのである。
油をたっぷりと染み込ませた吊橋はあっという間に燃え落ち、
ネモは勿論可哀相に担ぎ手や楽師たちも奈落の底へ落ちて行った。
勝利を確信したアンギルダンたちが歓声を上げると、
ネモを失った帝国軍は動揺しそのまま崩壊するように見えた。
だが崩れなかった。
なんと魔獣たちが逃げ出そうとした兵を次々噛殺したのである。
アキュリュースの傭兵たちは呆気に取られ呆然とその風景を見つめていた。
同時にそれはまだ戦いは終わらない、
ネモは死んでいないと魔獣たちからのメッセージであった。
事実ネモは暫くすると崖から這い上がり、
何事も無かった様に別の輿に乗り再び進み始めた。

　この事実はアンギルダンのプライドをいたく傷つけた。
いままで己が自分が磨いてきた戦闘の技術を否定されたような気がしたからだ。
アンギルダンは軍隊の指揮官である、その様に生きてきた。
ネモのようにたった一人で戦況を打破したり、
軍隊と遣り合う存在などは絶対に認めることは出来なかったのである。
「おれの全力をもって打ち砕いてくれようぞ！」
アンギルダンは全身を震わせながらうめいた。
だが…
その後もアンギルダンの攻撃の攻撃をネモは意にかえさなかった。
傭兵たちが街道沿いの崖に岩をしかけ、帝国軍を圧殺しようと罠を仕掛けた時である。
帝国軍の幹部の一人がネモに言った。
この男は先の戦いで神殿の治療を受け、帝国へ生きて帰った一人であった。
「ネモさま、ここは断崖に挟まれ罠を仕掛けるに絶好の立地です。
一気に駆け抜けるが良作かと思います。」
ネモはゆっくりと首を幹部に向けた。
「…この円卓の騎士サマが人間如きの罠を意にかえすと思うか？
このまま進むに決まってんだろ、減速も加速もゆるさねぇ、このまま進むんだよ。」
幹部は驚き抗議した。
「そっそんな…！」
ネモは大口を開け幹部の頭を噛み砕いた。
「不味い。闇の賢者たるこのおれに進言などとは…思い上がりるんじゃねぇ。」
幹部の死体に魔獣たちが貪り付いた。
それを見た他の幹部たちは真っ青になってその場を去った。
軍が再び進み出した事を確認するとネモは丸くなった。
「あぁめんどくせぇめんどくせぇ。」
罠により帝国軍は大きな被害を受けた。
ネモ自身も巨岩に潰されたはずだったが、平然と巨岩を持ち上げまた進み出したのだ。
万事この調子であった。
ついにネモが指揮する奇妙な行軍はグラジェオンの足跡の湖畔まで辿りついた。

　不本意ながらアキュリュースへの撤退を強いられたアンギルダンは、
港と町を繋ぐ門に家具やらなんやらでバリケードを築くと、
信頼にたる精鋭たちを率いて立て篭もった。
アンギルダンも自身の敗北を認めざるを得なかった。
今まで培ってきた経験やプライドをネモに木っ端微塵にされたのだ。
それでもアンギルダンは、敗北は認めてもネモの存在を認めるつもりはなかった。
どんなに譲歩しても国家の総力を身体能力で、
打ち破るような輩の存在を認める事は出来なかったのだ。
精鋭たちは戦闘能力による選定ではなく、戦う意思があるかによって選んだ。
ある者は魔王に対して憎悪をたぎらせ、またある者は意地になり、
あるものは自身の正義の為に残った。
残りの面子はすべて水の神殿の神官たちとともに住民の避難にあたってもらっていた。
アンギルダンは港の縁にたち湖を隔て陣取っているであろう、円卓の騎士ネモを見据えた。
湖畔にはここまでなんとか辿りついた帝国軍がところせましと包囲していた。
半年以上にも渡った長き戦いの最終局面がついに訪れようとしていることを、
アンギルダンの肌は鋭敏に感じ取っていた。
一方のネモである。
「さぁて、この闇の賢者様がチョットは本気をだしてやるかな。」
ここまでめんどくせぇめんどくせぇと言い続けてきた老豹であるが、
ようやく少々本気を出すことにした。
ネモは輿からおり背伸びををするとゆっくり帝国軍の前に進み出た。
そして一歩二歩とグラジェオンの足跡に足を踏み入れた。
ネモの体は浮き上がり水面の上を滑る様に進み出したのである。
足を動かすごとにその体はバチリバチリと雷光を発し、轟音を伴った。
ゆっくりとしかし確実に、老いた白豹の巨躯は水の都に向け進んでいった。
中ほどまで進むと例によってミズチたちが水の中から姿をあらわした。
以前とは比べのにならない荒々しさをもってネモと向かい合った。
対峙するネモとミズチたち。
ネモは口を開き咆哮した。
するとミズチたちの体を光輪が包み、ミズチの動きを封じたのだ。
「殺すのは簡単だがめんどくさいのでな。精霊程度これで十分よ。」
ネモは久方ぶりに使う自らの力を確かめる様に、その目を細めた。
それでも渾身の力をこめ脱出しようと試みたミズチが苦悶の叫びをあげた。
円卓の騎士の魔力はミズチですらどうしようもない物であったのだ。
アンギルダンたちから見て光の輪につつまれ悶え苦しむミズチを背景に、
悠然と雷を放ちながら進み来るネモの巨体は一種の神々しさすら感じさせた。
そしてついにネモはその前足を、アキュリュースの港に乗せたのである。
アンギルダンはじっとりと汗にぬれた両の手で、得物である大斧を握り締め叫んだ。
「くるぞっ！」



『A Lua Branca』の１周年記念贈呈品の第４章。