竜を食む鳥
〜４．ロストールの情景〜

　カルラ動くの報を受けたゼネテスは、参戦する全部下を夕刻広場に終結させた。
貴族連合の参戦拒否によりファーロス家の私兵のみ。
そしてスラム街を中心にした義勇兵達。
ロストール王国の危機に貴族が出陣せず、虐げられていたスラム街の人間が出陣する皮肉。
それでも青竜軍全体との兵力差は１０倍。
ファーロス家の正装をしたゼネテスが正面に据え付けられた壇上に上がる。
それにあわせ大きなファンファーレが鳴り響いた。
「みんな王国の危機によくあつまってくれた。
知っての通り死神カルラがロストールに、
勇猛なディンガル兵をわんさか連れてこっちに向かってる。
アンギルダンのとっつあんにやられこちらの兵は少ない、
しかも多くの貴族は出兵をボイコットしている。だが勝算は有る！」
ゼネテスが大きな身振りで言い切った。
兵からおおっという声が漏れる。
「この戦いは破壊魔の魔の手から大事な者を守る戦いだっ！
恐れるな、竜王様の加護は我々に降り注ぐ。
全身全霊を持って戦え生き抜け、そして勝てっ！」

　ゼネテスの演説はロストール平民街にも聞えていた。
平民街に有るオッシ道場。
アイリーンとダランベールの師でも有るオッシは、
机に足を投げ出しつまらなさそうに呟いた。
「ふん、貴族の為に働くなど…。
俺は平民街が危険にならん限り動くつもりはないな。」
「しかし…カルラですよ。ボク達も危ないんじゃ…」
オッシの弟子が言った。
「カルラを退けた所で何が変る？結局何も変らない。
あのファーロスのどら息子が何かするとでも？
なにもしてこなかったからどら息子なんだろ。違うのか。」
「それは…」
弟子は師匠に言葉を返すことが出来なかった。
「プライドだけ高く何も出来ない貴族ども、
自分達の事だけしか興味がない貴族ども、
俺達のことを虫けらの様にしか思っていない貴族ども。
奴ら支配継続の為に俺が命を賭ける必要がどこにある？
馬鹿馬鹿しいにも程が有るってもんだ。」
「……」
「ロストールが多くの人にとって守るに値するような国なら、
二人揃ってはディンガルに付きはしなかったろうよ。」
ゼネテスの声はまだ聞えていた。

　一方演説の声は王城にも聞えていた。
ファーロス家の密禎ミルは王女アトレイアに出征の別れを告げに、
彼女の部屋を訪れていた。
部屋の前に立つと時を同じくして中から珍しい客が出てきた。
ビアトリス・リューガの仲間で吟遊詩人レルラ＝ロントンであった。
「やぁ。君がミルだね、こんにちは。」
レルラは人懐っこい笑顔をミルに向けた。
ミルは礼を返すと言った。
「レルラさん、一つ聞きたいのですが、
貴方でしょう？おれ達のことを吹聴して回ったのは。そして…」
ミルの目が冷たく光る。
「姫にデジャワの変について語ったのも。」
レルラはミルの回りをクルクル回りながら答えた。
「そうだよ。だからしっかりやってね、
僕の語る物語が悲劇だなんてイヤイヤだよ。」
そのままレルラは手を振るとさっさと行ってしまった。
「だからアトレイアを悲しませちゃ駄目。じゃね〜。」
なぜ一介の吟遊詩人であるレルラ＝ロントンが、
そのようなことを知っているのか詰問したかったのだが、
レルラの無邪気な言動にミルは気を削がれてしまった。
ミルは気を入れ直すと静かにアトレイア王女の部屋をノックした。
軋んだ音をたてながらドアが開き、控えめな印象の女性が顔を出した。
その表情はミルを見るなり明るくなった。
ミルを部屋に招きいれるとその女性アトレイアは心配そうに口を開いた。
ミルはそれを押し止め、恭しく礼をする。
「姫、この度ゼネテス将軍の配下として参軍することになりました。
それで姫に一度ご挨拶にと。
ルルアンタも連れてくるべきだったのですが…時間が無いっていわれちゃいました。
連れてこれなくてすいません。」
アトレイアの表情が憂いを帯びる。
実はミルはその表情が好きだ、
ミルには闇の王女と言う呼び名が、実は誉め言葉のような気すらしていた。
日陰に生きるミルにはティアナのような華々しさは遠めにも眩しすぎた、
だから闇中花のような年上の女性に気にかけ、惹かれていったのだろう。
そして二人してルルアンタに気を利かされた事に、
考えが及ばない辺り似た者同士と言えるかもしれない二人であった。
「そうですか…ミル様も御出陣なされ青竜将軍と戦われるのですね…。」
その言外の意味はだいたい把握できる。
「大丈夫、大丈夫です！」
ミルは言い切った。
「この程度なんてことはないです。
あのシャリに姫の闇と戦わされた時の絶望と比べれば全然へーきです。
俺は姫に必ずや吉報をもってきますから心配しないでください！」
嘘である。
苦境も苦境、まさに末期的状態ですらあった。
でも、ミルの役目は騎士、アトレイアに弱気な所は見せられない。
これから人を指導するものが弱気であって如何する、とばかり、
ミルは己を叱咤し精一杯の空元気を見せた。
そうこうするうちに時間が来たのでミルが部屋を出ようとすると、
突然アトレイアがミルの背中に抱きついた。
思わず動揺するミルにアトレイアの声が響いた。
「今度…今度ミル様がいらっしゃった時…」
「…それから先はおっしゃらないで下さい、楽しみにしていますから。
きっと姫特製のクッキーとかもらえたりすんですよねっ。」
ミルはアトレイアに向き直りぎゅっと抱きしめた。

　そのころエリスの部屋にも珍客が訪れていた。
崩壊したリベルダムを拠点にするリベルダム解放軍からの使者を名乗る、
胸鎧と巨大な石弓を持った茶髪の女であった。
危急のときらしく挨拶などを一切無視する単刀直入ぶりを発揮し、
開口一番にエリスは言った。
「御使者殿は一騎で何用かな？」
使者は答えた。
「解放軍による青竜軍の撹乱と引き換えに援助して頂きたい。」
エリスは顎に手をやると、少し考えるかの表情を作った。
「あいにくと事態はさほど悠長ではない、あまり興味はないな。しかし…
それよりも物は相談だがそなた、次の戦参軍してくれぬか？
カルラ進軍のこと聞いていよう。
そなたがこちらのいう事を聞いてくれるなら、こちらも援助の件引き受けよう。いかがか？」
「！」
使者は即座に、首を縦に振った。
それを見てエリスはにっこりと微笑んだ。
「フフフ、そうか引きうけてくれるか、ありがたい。
金銭と引き換えに、解放軍が誇る剛弓ティナ・ミイス殿が、我等が配下になるのだな。」
ティナ・ミイスと呼ばれた娘は、ひざまづいたままゆっくりと頷いた。
もともと相棒月光のセラとともに闇の住人の狩人として有名だった女冒険者だが、
ロティ・クロイス暗殺事件に巻き込まれ、一時は剣奴にまで身をやつしていた。
しかし今は解放軍の要として指導者クリュセイス・クロイスの信頼も厚い人材であった。
「今回の戦、かなり分が悪くてな。
その上レムオン坊やが貴族をまとめて今回の戦参加せぬと申しておる。
故にファーロスの私兵で立ち向かう。将星も乏しい。
そなたのような人材を欲していた。
頼むぞティナ殿、わが甥ゼネテスの力になってくれ。」

　ミルは体の火照りを静めるべく城の中をうろうろとうろつき最後は城壁に出た。
城が高い位置にあるため城下の眺めはなかなかのものだ。
吹きぬける風が気持ち良いなかまだゼネテスの演説は続いている。
カルラ率いる青竜軍。カルラ自身の能力、ロストール出身の副官、
大陸最強の呼び声高い剣聖、圧倒的な兵力…まさに脅威であった。
しかしミルに言わせれば外患よりも、むしろ恐ろしいのは内憂であった。
レムオン・リューガ率いる貴族連合の兵は王都に残る、
そしてファーロス家の人間は殆ど出払い王妃エリスのみが残る。
腹の空いた猛獣の前に餌を置くようなものだとミルは思っていた。
なにも起こらない方がどうかしている。
そしてなによりリューガにはあの女ビアトリスが居る。
ミルはビアトリスに対し嫌悪と恐れが入り混じったような感情を持っていた。
凶暴さと美しさを兼ね備えた美獣。
ファーロス家三族郎党を皆殺しにし、その血で唇に朱を塗り化粧をする。
聖者の首を狩りその首に口付けをする。
その程度のことはやりかねない女、と言うのがミルの印象であった。
ゼネテスは彼女を最後の切り札と思っているようだが、
ミルに言わせればジョーカーである。
身を滅ぼすかもしれない諸刃の剣。
そんなカードは破り捨てるに限る。
エリスでもゼネテスでも一声かけてくれればリューガ家もろとも殺るものを…
ミルは忌々しげにリューガ家の屋敷の方角を睨め付けた。
軍才、カリスマ性、剣力と尊敬に値する能力を持つゼネテスでは有ったが、
芸術家肌というか、天才肌というべきか、
己の美意識から外れることは一切したがらない所がある。
そんな甥ゼネテスにほとほとエリスは甘い。
権力の座に身を置く者達、其処にあるのは勝者と敗者と傍観者のみ。
必死にもがき守り、攻め、戦う者達。
別れる勝者と敗者。
称えられ生き残るのは勝者のみだ。
ゼネテスの演説も終幕を迎え様としていた頃であった。
ミルは城壁の壁に手を置き誰に語るでもなく呟いた。
「ゼネさん俺は怖いよ。なにか全てが一日でひっくり返ってしまいそうで。」

　ついにゼネテス・ファーロス率いるファーロス家私兵、
義勇軍混成部隊もカルラを迎え撃つべく動きだした。
両雄は虹色の山脈のふもとで対峙した。
そしてゼネテスが出払って数日後、リューガ邸でひとつの動きがあった。
ビアトリスの私室に執事のセバスチャンが弁当を持って現れたのだ。
セバスチャンが言うには、主人のやり方が正しいとは思えない。
だからゼネテスを助けに行ってくれということであった。
だがセバスチャンはレムオンに対して誠忠無比の男である。
そのため主人の計画を知っている数少ない人間だった。
ビアトリスは彼の目配せで一体何を言いたいのか理解した。
王都を出て適当な所で弁当を開くと案の上密書が入っていた。
ビアトリスは仲間達とそれを確認し焼き捨てた。
密書の内容は合格点が与えられるものであった。
ビアトリスは馬に跨りゼネテスのもとに向かいながらいつまでも高笑い続けた。