竜を食む鳥
〜３．ロセンの情景〜

　しばらく後ロストール王国を虎視眈々と狙う青竜軍に、
客将扱いのダランベール・エルメスがふらりとやってきた。
この男は青竜軍副将のアイリーン・エルメスの幼馴染で、
小さい頃実の父母が死亡して以来のエルメス家の古い居候であった。
便宜上エルメス姓を名乗っているのはそのためだ。
デルガドと言う名工としても名高いドワーフ戦士と、
フェティと言う魔法使いのハイエルフを率い、
彼自身も剣聖として大陸に名を轟かせていた。
ダランベールが見たところ青竜軍の準備は万端であった。
暫く前朱雀将軍アンギルダン・ゼイエンがロストール王国に進軍攻撃。
知略の限りを尽くした奇襲にロストール軍主力は壊滅している。
しかし王国名家七竜家の筆頭ファーロス家の御曹司、
ゼネテス・ファーロスが残存兵力を纏め朱雀軍を急襲。
食料調達のため軍を散開させていた朱雀軍はそれを防げず敗走した。
アンギルダンはその時ゼネテスの手にかかり戦死している。
この戦いはアンギルダンにより主力が壊滅したロストール王国に止めをさす戦いであった。
カルラにとっては名将中の名将アンギルダンにすら成し遂げられなかった、
大陸史上初のバイアシオン国家の創出の名誉、
個人的には己の復讐の完遂と言う二重の喜びがあるのだ。
それを考えれば準備も入念になろうと言うものであった。

　さっそく青竜将軍の部屋に通されるとダランベールの目に、
書類の山と格闘しているカルラが目に入った。
カルラは大きなソファーにごろ寝しながら書類の山に目を通していた。
「やっほー、ダランベール相変わらず元気そうね。」
ソファーの上からカルラが声をかける。
「カルラもね。アイリーンは？」
「心配しなくてもだいじょーぶ。
仕事よ仕事、後で会わせてあげるから大丈夫。
取って食べたりはしないわ。」
カルラが親しげに声をかけ、ダランベールも返事を返す。
この２人は無名騎士無名冒険者の頃知り合った。
今カルラが居るロセンの王城にカルラ自身が忍び込んだ際に、
ダランベール達、当時はアイリーンを含めた４人が巻き込まれたのだ。
それ以来の付き合いである。
今はアイリーンがカルラの副将になり、ダランベールも青竜軍の客将として籍を置いていた。
席を勧められダランベールが椅子に座ると、カルラが書類の束をぽんっと渡す。
表紙にはゼネテス・ファーロス、レムオン・リューガ等々の名が載っている。
ゼネテスの項を見ながらを見ながらダランベールが嘆息する。
「凄い。良くこんなに調べ上げたものだよ。
仇を取る為いろいろ調べたと思うけど、全然かなわないや。」
「まぁね、お金使ったし。第一密禎出身のカルラ様率いる青竜軍が、
一般冒険者より情報に疎いだなんて洒落になんないでしょ？」
「言えてる。」
ダランベールは辺りを見まわした、壁に貼ってある地図が目に入る。
ロストール王国の部分が朱色のインクで塗りたくられているせいか、ひどく目立つ。
カルラが適当に作戦についての概要を語る。
別にダランベールは深く青竜軍に関わっているわけではないので、
そう何から何まで知る必要は無いのだ。
「発表からそれなりにたつのに、
ずいぶんとのんびりしてるね。神速の兵法家らしからぬ鈍行じゃない？」
「わっかんないかなー、まぁしょうがないけど。みてよコレのココ。」
カルラが一枚の紙っきれをダランベールに投げ付ける。
その紙にはディンガル帝国皇帝ネメア・ランガスター・ディンガルが、
遠征の中途合流する旨が記されていた。
その合流の日時は当分先に設定されていた。
「そういうこと、
まさかうちの皇帝が敵国深く出かけるというのにほっとくわけにもいかないでしょ。
でも心配なのよねー、ちょっと。」
「大軍の動員がか、それとも遅兵がか？」
まさかディンガル、いやバイアシオンが誇る獅子帝ネメアの動向についてではあるまい。
今回ロセンに駐留している青竜軍の半分を連れて行くことになっている。
それでも奇襲や謀略を持って一瞬にして勝負を決めてきたカルラにとって未知の大軍といえた。
兵の運用スピードがカルラ本来のペースではないと言うことも不安材料であった。
ダランベールの問いにカルラが頷く。
「それもあるし、後門の狼達も居るけど…、１番の問題は食料輸送かな。」
自由都市リベルダムの崩壊により、
中継基地を失ったロストール王国の貿易は甚だ難しい物になっている。
しかしロストール王国への物流の停滞は青竜軍の食料輸送にも影響を与えていた。
「自業自得だろ、己の復讐に軍を使った愚行の報いさ。諦めな。
なんならここで自由都市滅亡を悲しむ詩でもうたってやろうか？
かかる栄光失せ、光栄ある称号消え失せ、その力衰うるを見るも何をかせん。ってね。」
ダランベールの評は辛辣だった。
彼に言わせればカルラが他人の痛みや他人の思いに驚くほど鈍いのは、
自分すら第三者の視点で眺めているだからだと言う。
全てを三人称で見ている、そんな人間が他人に感情移入する事など出来やしない。
その言葉をふと思いながら、いつも同じ表情でカルラは微笑する。
カルラにとってダランベールは自分の過去を知る数少ない人物である。
副官であり彼と同程度の付き合いであるアイリーンにも話していない事を知っているのだ。
何故自分でそんな事を語ったのか今だにわからない。
しかしそれ以来カルラ・コルキアと言う人物にもっとも理解有る人間の一人となった。
「随分と御挨拶だこと、もう少し労ってくれても良いんじゃな〜い？」
カルラはいつもの微笑のまま言い返す。
「何処の将軍閣下だよ、同情したら殺すとか言った奴は。」
ダランベールが呆れた様に言い返すといつもの微笑のままカルラは肩をすくめて見せた。
話しが一段落するとカルラはアイリーンを呼んだ。
しばらくしてアイリーンが騎士礼をしつつ中に入ってくる。
そしてダランベールの顔を見るなり、露骨に複雑な表情を浮かべる。
カルラはそんなアイリーンを見ながら命を下した。
「アイリーン、今日はお客を寝所まで連れてった後、
ロセンの青竜軍について案内をしてあげて。後はそれで終わりにしていいわ。」
「お客様…ですか。わかりました、何処にいらっしゃるのですか？」
「ちょっとちょっとアイリーン、ボケるには早いんじゃな〜い。コレコレ。」
カルラはダランベールを指差す。
ダランベールの挨拶を無視してアイリーンが抗議した。
「まってください！なんで私がっ。」
「だ〜か〜ら〜、お客と言ったでしょ。
本来なら私が歓待しなければいけないのだけど、私ホラ忙しいじゃない。
だから副将にやってもらうのは当然でしょ、コレ命令だから逆らったら首ね首。
わかる？」
カルラはいつもの笑みを湛えながら立ち上がり、
ダランベールとアイリーンの背を押し部屋の外へと追い出した。

　ダランベールとその前を歩くアイリーン、互いに事務的な事以外一言も発しない。
久し振りに幼馴染に会いに来たダランベールはもちろん、
弟のような存在を前にしてアイリーンにしても少々感情を持て余し気味であった。
アイリーンは自分がダランベールの成長を妨げていると考え袂を分った。
その後ダランベールの成長振りを見ればその判断はまったく正しく、
いまダランベールは自分以上の剣力、名声を持ってこの場にいる。
片やディンガル帝国朱雀軍の副官を務めたことがあり、片や青竜軍の副官を務めている、
互いに押しも押されぬ倍バイシオンの有名人であった。
それは当然アイリーンにしても喜ばしい事であった。
しかしアイリ−ンはそれを素直に喜ぶ気になれなかった。
もやもやしていたものがダランベールと直接相対すると、
一気に大きくなりアイリーン自身を困惑させていた。
そんな中ダランベールがアイリーンに休憩しようと声をかけ、
適当な場所に腰をかけた。
「アイリーンが元気そうで嬉しいよ。」
再びダランベールが口を開く。
なんとなく気まずい雰囲気にアイリーンは少しだけ妙な気を使った上司を恨んだ。
「…まぁね。」
言葉が続かない。
沈黙に支配されることを嫌う様に再びダランベールが言った。
「…前に会ったのってアンギルダンのとっつぁんの所に行く前だっけ？」
すこしアイリーンは考え言った。
「もう少し後、将軍が戦死された直後。
エンシャントの広場で貴方に報告したのが最後よ。」
「もうそんなに、そんなになるんだね。」
彼は空を見上げ思わず嘆息する、空が無性に青かった。
「まだ昨日の事みたいだ…。
目の前でとっつあんが殺されたのも、アイリーンと別れたのも。」
少し間を置きダランベールはアイリーンの目を見つめた。
「僕はまだ弱いのかな？
アイリーンと行動を共にしてもらえないほどに。」
そんな事は無い事は明白だった、
ただアイリーンは素直に認める事をためらってしまう。
「……別人よ、昔と比べて。」
再び沈黙。
今度はアイリーンから口を開いた。
「貴方って完璧よね。」
「えっ何？」
「何でもない。」
しばらくボーとしていると、突然ダランベールが手を叩いた。
「危ないっ忘れる所だった！ほら、ほら、急いで急いで！」
ダランベールはアイリーンの手を引きながら街のほうに走り出した。

　アイリーンが連れて行かれたのはロセンの町の中にある酒場であった。
まだ外は明るかったが徐々に暗闇の足音が聞えてくる時間であった。
「ちょっと…明日もあるんだけど。」
「そんな事いわないでっ。少しだけで良いからさ。お願い！」
ダランベールがアイリーンの引きずる様に中に入っていく。
いまだ暴虐の王ペウダの残した傷から復興に向け、
盛り上がる市民の心意気を象徴するかのように盛り上がっていた。
中に入ると二人の前に見知ったドワーフが大きな酒樽の中身を美味そうに飲み干した所であった。
「美味いっ！もっと持って来い！」
沸き起こる大歓声。
「デルガドの旦那いいぞぉ！」
「さすが酒まみれの泥ドワーフっ！」
言わずと知れたダランベールの仲間の一人デルガドであった。
髭もじゃな顔と胴鎧と言う出で立ちは無骨なドワーフ戦士そのもので、
アイリーンがパーティーを抜けたときとまったく変わっていない。
デルガドは歓声に答えた後、二人に声をかけてきた。
剣聖の姿を確認した人々も期待に満ちた視線と歓声を上げる。
「おお来たな。アイリーンも久し振りじゃな。」
そう言うとデルガドがある席を指差した。
そこにはつまらなそうに淡々と酒を飲んでいるエルフ、フェティがいた。
こちらも、天を目指すかのように結い上げられた独特な髪型と、
エルフらしいスラリとした肢体、装備品の胸当ては、何の変化も見当たらない。
一瞬アイリーンはダランベールたちと一緒に冒険をしていた頃に戻ったような錯覚をした。
そのフェティのつまらなそうな表情の横には複数の男性が脇で酔いつぶれている。
昔のパーティが席に勢ぞろいすると、ダランベールの音頭で乾杯をして皆酒を口に含む。
アイリーンが呆れてデルガドとフェティに話しかけた。
「おっそい！遅すぎるわ！
いったい何時まで待たせるつもりだったのよ！このド下等生物！」
「フェティ、ごめんごめん。カルラにつかまっちゃってさ。」
「二人ともいったい何時から飲んでるのよっ！」
「ダランベールがお前サンの所に行ったころからかの。」
「永遠の寿命を保つアタクシにとって、そんな時間なんでもなくてよっ。」
「そー言う問題じゃないでしょ！」
見た目こそ普通であったが二人は完全に出来上がっている。
酔っ払い二人に思わずアイリーンに嫌な予感が走る。
「まぁ飲め飲め、生死を共にした仲間達の再会じゃ。」
「私明日があるんだけど。」
「明日なんて皆あるわっ！
永遠の寿命を持つアタクシにとって一日二日なんて関係なくってよ！
このアタクシの酒が飲めないなんてっ、アイリーンでも許さなくってよっ。」
二人がアイリーンのコップに代わる代わる酒を注ぐ。
一方ダランベールはカウンターの前に立ち、手を叩いた。
客の視線がますます熱を帯びる。
そんなダランベールの姿をアイリーンは意外そうな目で見つめた。
「皆聞いてくれっ！今日の分は僕の奢りだっ、これからの分もちろん昼からの分もだっ！」
ひときわ大きな歓声が上がる。
「あぁ・にぃ・きぃ！さいこーだぁぁぁぁぁぁ！！」
「次の８月も女房質に入れても見に行く！」
「待ってましたっ！何処までもついて行くぜロストールの剣聖！」
ダランベールは手で黒い歓声を抑える。
「そのかわり、えーとそのなんというか、アレなんだけども、
ぼ僕が、僕が世界で、えーとその世界で１番大事にしている人と、
再会したことを皆でお祝いしてくれっ！」
先ほど以上の歓声が酒場を包む。
ダランベールは顔を真っ赤にしてそう叫ぶと、
思わずアイリーンは口に含んだ酒を噴出して机に突っ伏した。
「お前らぁ、そのかわり全ての酒、全ての食い物を食い尽くさなければ承知せんぞ！」
デルガドが立ち上がり高らかに宣言する。
剣聖のダランベールの強さに乾杯！
フェティの姐さんの高貴さに乾杯！
デルガドの旦那の漢気に乾杯！
アイリーンさんの美しさに乾杯！
客のボルテージは一気に上がり、
それがまた新たな客を呼び、
狂乱の渦を更に大きくして行った。

　その後アイリーンが場を辞したのはダランベールに肩を貸してもらいながらであった。
場の雰囲気に呑まれ半ばヤケクソ気味に酒を飲み、あっというまに酔っ払ってしまったのだ。
デルガドとフェティに挟まれ、
なおかつ尋常ではない空気の中にいればしょうがない事かもしれない。
結局アイリーンを心配したダランベールに無理矢理連れて行かれる形で、
酒場を出ていったのだ。
ダランベールも相当飲んだがアイリーンほどに泥酔してはいなかった。
ロセンの大通りを肩を貸してもらいながらアイリーンは騒ぐ。
「大丈夫ってるでしょ。」
「アイリーン絶対飲みすぎ。」
「なによ。っるさいわねー。酔っ払ってなんか無いーっ。」
しかしアイリーンの体は右へ左へ揺れ続ける。
特に首はそのまま取れてしまうのではと思わせるくらいぐらんぐらんと揺れ続けた。
「ダランベールが随分偉くなったわねーおねーさん嬉しいわぁ。
私南の出身なもんでーこっちでこんなに親切にされるの初めてなんですよ。」
酔っ払いの戯言に対しダランベールは適当に相槌を打つ。
「でもなんだか悲しいわー寂しいわー、
ダランベール君はぁもぉ私がいなくても大丈夫だもんねー。」
「……。」
「私が守ってあげる必要もう無いんだよねー。
小っちゃい頃の約束いらないんだよねー。」
アイリーンはダランベールに持たれかかると、顔を覗き込んだ。
「あなたっえさー、完璧よねぇ…」
「え、そっそうかな？」
「ホントホント。冒険者やれば剣聖にもなるし、
朱雀将軍にスカウトされて副将軍で騎士にもなったし。
魔法もオッケー、青竜軍にもか〜んたんにはいれるしぃ。
きっと支配者になりたければ皇帝に、軍人になりたければ名将に、
本を読めば大学者になれるんだわきっと。」
呆れてダランベールは苦笑する。
「へへ、そうかな。完璧かぁ。格好いいなぁ。」
足をふらふらさせるアイリーンを支えながらようやく宿舎に連れかえる。
アイリ−ンの部屋を空け、彼女の体を質素なベッドに腰掛けさせた。
ダランベールは少なからず自制を働かせ、そのまま部屋を出ようと背を向けた。
「ねぇ、ダランベール…」
「…何？」
ダランベールが振り向く。
期待は何時でも浅ましいものだ。
「靴。脱がして…。」
ダランベールはアイリーンの前に進みその足下にひざまずいた。
ゆっくりと脚部の装身具を脱がしてゆくと白い肌が露わになって行く。
暗闇の中それが目立つ。
全て露わになるとアイリーンは静かに白い足を寝台の上に置き、
続けてその身を横たえた。

　それから何度日が昇り沈んだのだろう。
ついに青竜軍はその腰を上げ海を越えた。
それは王国に攻略発表以上の衝撃を与えた。
それは王国の命を作物を刈るかのように奪い去る死神の足音であった。