竜を食む鳥
〜７．カルラを巡る攻防〜

　ミルのナイフの雨を辛うじてカルラは避ける。
「このカルラさんとしたことが、これはちょっとピンチかもね。
でも、まだ、死ぬ気はないの。あたしってば、まだ、心の底から笑ったことなんてないんだから！」
己を励ます様に絶叫するとカルラはそのまま雑兵の中へ飛びこんだ。
流石に最近まで密禎だっただけ有りミルでも気配を読みきれなかった。
「カルラっ！」
ミルは大声で嫌でも耳に入る様に呼びかけた。
「お前は一生笑えないっ！今おれに殺されるとかじゃなく！」
雑兵の中からピクリと強烈な殺気が立ち昇り消えた。
狙い通りの結果にミルは満足した。
「そこっ！」
人の陰から一気に飛び出そうとするカルラの機先を制しナイフが光る。
カルラはそれを叩き落すと再び雑兵の群れの中に姿を消した。
ミルの声が再びこだました。
「何故だか教えてやる！お前の行動はな、お前の戦いはなっ！！
自分の居る地獄に赤の他人を引き摺り込んでいるだけだっ！
いつまでも自分自身は救われぬ、癒されぬ戦いなんだよっ！
未来永劫地獄の中で泣き喚けっ！カルラ・コルキアっ！！」
ミルは勝利を確信した。
雨が降り続きドロドロとなった大地。
カルラのスピードを活かすにはこの環境は最悪といって良い。
最大の持ち味を殺され、しかもミルには強烈な飛び道具が有る。
そして今カルラはミルの言葉にキレた。
雑兵の群れの中から発せられる凄まじい殺気がその証拠であった。
ミルの腕ならば次カルラが出てきた時、間違い無く殺れる。
「青竜将軍を守れ！」
だが、勝利を確信したミルにとってこの声は誤算であった。
カルラの位置に合わせ巧妙に間合いを計るミルに、青竜軍の兵士が次々襲い掛かったのだ。
ミルは剣を避けると何も無い手で兵士の首筋を引掻いた。
するとその兵士は首に大穴を空け崩れ落ちた。
ディンガル兵達には何がおきたのかわからなかった、暗殺者用隠し武器である拳具バグ・ナウが閃いたのだ。
そのまま腰から片手剣アプクラサスを抜き放つと、動揺が残る兵士に斬り付けるミル。
冒険者としても密禎としても能力の高いミルだけに、一般の兵士では相手にならない。
戦いは一方的な虐殺の様相を呈したかのように見えた。

　カルラの性格を見事に見抜き挑発を成功させたミルであったが、
反面カルラの能力に関しては見誤っていた。
一瞬ミルが自分から意識を離した間に冷静さを取り戻し、カルラは気配を消していたのだ。
ミルがカルラの接近に気が付いた時、既に大鎌の射程に捕らえられていた。
カルラはディンガル兵士の死体を担ぎ盾にするとミルに向かい突っ込んだのである。
多くの兵士同時に相手にしていたミルにその擬態兼盾は有効に働き、ミルはカルラを捕らえ損ねたてしまった。
「カルラさんを甘く見たわね！」
死体をミルに叩きつけデスサイズの一撃がミルに襲い掛かった。
ミルは死体ごと切り裂く斬撃を頭を地に付けやり過し、
アプクラサスを体ごと叩きつける様にカルラの腹を狙う。
カルラはデスサイズの柄先で剣のつばを抑えつけ突きを止めると、
そのままミルの側頭部に蹴りを叩きこんだ。
ミルは吹き飛びながらも後方に宙返りを繰り返し間合いを稼ぐ。
そして前進するカルラの頭蓋を狙い光が煌いた。
カルラは、突き刺さるも構わず掌でその一撃を受けとめミルに追い縋った。
勝負をかけ最大の数のナイフを構えようとするミルに、
カルラは掌に突き刺さったナイフを抜き去り逆に一閃したのだ。
ミルは構えを解き、辛うじてそのナイフを掌で止めた。
掌に突き刺さったナイフをミルが抜くと両者は再び正面に対峙する。
デスサイズに真っ赤に染まった手を力無く添えるカルラの血が大鎌の柄から滴り落ちる。
片やミルも両手でナイフを操る事を放棄し、片手で投げられるだけのナイフを構える。
片手の自由を奪われつつ、互いに必殺のタイミングをうかがっていた。
その周囲の兵士には張り詰めた両者の緊張の余り、
空間の温度が下がり続けていく様にさえ感じられた。
その時戦場を少女の悲鳴が響き渡った。
ミルは即座にカルラを意識の外に吹き飛ばすと、真っ青になって悲鳴の方へ顔を向けた。

　悲鳴は馬上の馬鹿馬鹿しくも壮絶な死闘を繰り広げていた、
フェティとチャカにも聞えた。
二人は一騎打ちを続けながらカルラとミルの目と鼻の先までやって来ていたのだ。
一瞬気を取られたチャカに槍が襲い掛かった。
白い光が腹に迫る。
勝機と見たフェティ渾身の一撃であった。
チャカはこれほど気配を消しながら、早く正確な一撃を見た事がなかった。
必死に槍で跳ね上げたが、跳ね上げきれずフェティの槍はチャカの胸に突き刺さったのである。
緩やかに崩れ落ちながら馬を動かそうと必死なチャカに姿にフェティが叫ぶ。
「この優雅で華麗なフェティ様に勝とうだなんて５００年は早くってよ！
ってエルフの話は最後まで聞きなさいこのド下等生物！」
チャカはそんなフェティを一切合切無視して、必死に悲鳴の元へ馬を走らせた。
そこにはリルビーの少女がドワーフに足首を掴まれ宙を舞っていたのである。

　すこし時間を遡る。
リルビーの少女ルルアンタとドワーフの戦士デルガドの戦いは、
まさにスピードとパワーの戦いであった。
文字通り目にも止まらぬ速さを誇るルルアンタ。
一撃にて全てを破壊する力を持つデルガド。
この両者の戦いはまずルルアンタが主導権を取った。
その速さでデルガドを翻弄、ドワーフの体はすぐ朱色に染まり雨によって流されて行った。
しかしデルガドもルルアンタの攻撃に合わせの反撃を試みていた。
当りこそしなかったものの、その一撃一撃はルルアンタに圧力をかけるに充分であった。
それにデルガドは豊富な経験を総動員してルルアンタの短剣の軌道を消し致命傷を許さなかった。
致命傷は無いが徐々に血に塗れダメージが蓄積するデルガド、
ルルアンタも一発食らえば即死と言うシビアな条件であった。
おのずと戦いは長引いた。
ルルアンタとデルガドお互いの体力勝負という消耗戦となって行ったのだ。
そんな中ルルアンタは血まみれのデルガドの姿に、良心の呵責を感じてしまったのだ。
もともとルルアンタの優しさは戦闘向きでは無い。
その苦しみはルルアンタの短剣を曇らせたのだ。
もちろん家族であるミルや仲の良いお姫様アトレイアの為一瞬にしてまた心を鬼にした。
しかしデルガドはその一瞬の曇りを見逃さず、ルルアンタの足首をつかんだのだ。
一瞬といえど熟練の戦士には充分であったのだ。
「…屈辱じゃな。戦場において敵に哀れと思われるとは。
この代償は安く済ませるつもりはないぞ！」
デルガドは呟くと容赦無くルルアンタを大地に叩きつけた。
ルルアンタの悲鳴が辺りを切り裂いた。

　皆が振り向いたのはこの時であった。
「たわけがぁぁ！サシの勝負で相手に情けをかけるでない！」
デルガドは怒りの叫びとともに少女の体を右へ左へ何度も何度も叩きつけた。
それを見たミルは即座にカルラとの一騎討ちを放棄、
人語にならぬ咆哮をあげデルガドに飛び掛かった。
デルガドは気絶したルルアンタをミルに投げつけた。
ミルは強烈な勢いで投げつけられたリルビーをしっかりと受けとめ、
大事そうに抱え込み繰り返し名を呼んだ。
そしてぴくりと動いたルルアンタにミルは一息撫で下ろした。
だがその後方では、そんなミルに美しい狩人が狙いを定めていた。
カルラがその隙をついて後方からしなやかな体を引き絞り、
溜め込んだ鬱憤を晴らすかのごとき勢いでデスサイズを宙に投げ出したのだ。
音を立て回転しながら二人に襲いかかる巨大な死神の鎌デスサイズ。
緩やかな曲線を描きつつも必殺の一撃はミルの胴体を正確に狙っていた。
横に飛ぼうとするが、ミルの足は濡れた大地に囚われ、とっさには動け無かった。
ミルが殊更強くルルアンタ抱締めた瞬間、槍が大地に突き刺さりデスサイズを遮ったのだ。
「乗れっ！俺の馬に！」
味方の不利を見たチャカの救援が辛うじて間に合ったのだ。
デルガドが逃すまいと水飛沫を上げ戦斧を振り回して突っ込んだ。
ミルがチャカの軍馬に乗ると同時に馬を跳ばす。
デルガドを飛び越え三人はそのままその場を脱出しようと試みる。
しかし其れに納得しないエルフが一人。
フェティであった。
「この高貴で知性あふれる優雅で華麗なアタクシを、無視するだなんて許さなくってよ！」
フェティは印を結び呪文を唱え始めた。
それに伴いフェティの体が青く光り帯電していったのだ。
「いかんっ、逃げろ！」
フェティの意図を悟ったデルガドがカルラを庇いながら逃げ出した。
「えっなに？」
「あの馬鹿エルフ、複合魔法のサンダーボルトをぶっ放すつもりじゃ！」
「ユナイトスペルって…ヤバ過ぎじゃない。全軍後退！下がれ！！」
事態の深刻さを知り潮が引くようにロストール兵もディンガル兵も
辺り一面から一目散に逃げ出した。
「このアタクシがこんな思いをするのはあなた達のせいなんですからね！
セキニンとりなさい、セキニンを！ 」
魔法が完成すると嬉々としてフェティはチャカに向けて放電を開始した。
水を伝いその電撃はあたり一面に広がっていく。
とばっちりで感電した兵士達の悲鳴が上がった。
それでも雨の中でも目標以外は死なない程度の感電で抑えられる辺りは
魔導師フェティの天才と言える。
四方八方から襲いかかる雷撃雨に馬でも逃げ切れないっ！
と悟ったチャカとミルは覚悟を決めた。
「スペルブロック！」
その刹那ミルの懐から小さな手が伸び、それに似合わぬ大きな声が響いた。
サンダーボルトの電撃が一瞬にして爆発霧散した。
ミルが嬉しそうにルルアンタの頬を撫でる。
「次は許さなくってよ〜！」
と猿の様に悔しがるフェティの魔の手から逃れ、一息つくとミルは気が付いた。
何度も地面に叩きつけられたにも関わらず、ルルアンタの頭は殆ど無事であったのだ。
「ルル体は大丈夫か？」
「うん大丈夫だよ。両肩が痛いけどそれだけ。」
ルルアンタの元気良い返事を聞いてミルは安心した。
気が緩み思わず泣き出してしまった。
すぐにそれを拭うがルルアンタには通用しなかったようで、
「ミルったら泣き虫。」と笑われてしまった。
「泣いて無い！、汗だ！汗！それか雨！！」
強がるもののルルアンタには視線を合わせられず、
思わずニヤニヤ笑いながらやり取りと眺めているチャカを睨み付けた。
しばらく馬を走らせ、余裕が出でてくると、ミルはふと一つの可能性に気付きいた。
デルガドがわざと肩口から落ちる様にルルアンタを地面に叩きつけていたと言う可能性だ。
「あの爺…なにがたわけがぁぁ！だよ。自分が一番甘ちゃんじゃないか。」
「あのお爺ちゃん良い人だよ！次会う時はお友達になれると良いなぁ。」
無邪気な声にミルは微笑するとルルアンタの頭をそっと撫でた。
ミルは老ドワーフの大笑いが聞えるような気がした。