竜を食む鳥
〜９．伏兵ノーブル伯〜

　カルラを後退させる事に成功したロストール軍は、
陣に下がると怪我人の治療などあわただしく動いていた。
ゼネテスはその体のいたる所に包帯を巻きつけ、痛々しい姿で椅子に座っていた。
よくもまぁ生き残れたもんだ…
圧倒的な兵力差は勿論、想像を超えた剣聖の剣力。
今回は凌ぐ事が出来たが、次をどうするかが難問であった。
戦いは緒戦を終えたに過ぎない。
「たっだいま〜。」
「将軍。ミル、ルルアンタ、チャカの三名ただいま帰還しました。」
ゼネテスが声のほうに目をやるとそこにはミルとルルアンタチャカが帰ってきていた。
「おつかれさん、報告は聞いている。残念だったな。」
「ご期待に添えずすいませんでした。」
ミルが頭を下げた。
「俺だって、剣聖相手にこのザマだ。気にすんな。」
ゼネテスは立ち上がりルルアンタの頭を撫で、ミルとチャカの肩を叩いた。
「俺たちは神速の兵法家率いる５倍の帝国兵をおっぱらったんだ、しかも素人だらけの軍でだ。
堂々と天に向かって嘘ぶけるぜ、自分たちこそが最強の軍隊だってな。」
そう言ってゼネテスは破顔した。
場が和やかな笑いに包まれた。
そしてチャカとルルアンタに退出させ、ミルだけを残した。
「さてミル。戦況をどう見る？」
ゼネテスは一転真顔になるとミルに問いかけた。
「売女の伏勢がどう転ぶか未知数なので、なんとも言い難いですが悪くは無いと思います。
ネメアが事実上死んだ以上、カルラも迂闊には動けない。
さらに言えば近い将来、帝国の後継者争いがはじまると思います。
そこに王国の生き残る道があるのではないでしょうか。」
ゼネテスも頷いた。
「同感だ。ではビアトリスの伏兵についてはどうなると思う？」
戦いを開始する前ゼネテスはビアトリス・リューガに、
僅かながら兵を預け間道に伏せさせていた。
おそらくその間道を通って逃げるであろうという事を見越しての配置であった。
「剣聖達が護衛についていると判断した段階で、カルラを見逃すでしょう。」
「確かにこれからの混沌を演出する為には、カルラに生きてもらって居た方が都合が良い。
そうならば危険を犯してカルラを倒す意味はないからな。
しかしビアトリスも嫌われたもんだな…竜殺しを売女呼ばわりするとはねぇ。」
苦笑を浮かべながらゼネテスは言った。
「俺は、あの女は嫌いです。なんというか、受け付けないんです。
あの王国の中で最も高く体を売りつけた女はエリエナイ公の手に余ります、
ファーロス家にとって最大の脅威はあいつです間違いありません！。」
ミルは竜殺しビアトリスの才を高く買っている、それだけにミルは本気であった。
ゼネテスは再び椅子に腰掛けると悲しげに首を振った。
「いまロストールには人がいない、俺や叔母貴を思ってくれるお前の気持ちは嬉しいが、
彼女を失う訳にいかない。判ってほしい。」
「…将軍がそう仰るならばそれに従います。」
「すまんな。」
ゼネテスとミルが本陣でそのようなやり取りをしていた頃、
竜殺しのビアトリスは間道沿いに伏せていた。
このあたりは虹色の山脈の裾にあたり間道も山間の中を走っている。
ゼネテスの策は二段構えで、もしカルラが部下を見捨てて逃げる様であれば、
この間道で奇襲するはずであったのだ。

　ビアトリスは仲間たちと共に眼下を走るディンガル兵を見つめていた。
中々敵指揮官は姿をあらわさない。
「ねぇビアトリス、カルラ遅いね。」
レルラ＝ロントンがビアトリスに言った。
「別の道とか通っているんじゃないの？そんな感じに逃げちゃってるかも。」
ユーリスも口を開いた。
ビアトリスは答えずディンガル兵の逃亡を眺めている。
その動きはかなり統率されており、戦場から逃げ出した軍とは思えないほどであった。
指揮官の統率が十分に行き届いている事を感じさせる。
必ず指揮官がココを通るという確信がビアトリスにあった。
「あっアレじゃないのかな！あの馬に乗ったお姉ちゃん。」
レルラが指をさした方向を、ビアトリスとユーリスが目をやった。
そしてそれが誰であるかを確認した瞬間、ユーリスが言った。
「うわっ、最悪…。ビアトリスのお友達じゃないですか。」
ビアトリスは大きく目を見開いた、その表情は一瞬で消え鉄面皮を取り戻したが、
珍しくビアトリスが動揺しているのが仲間たちには手に取るように分った。
「アイリーンっ…」
友人である騎士になりたがっていた少女がそこにはいた。
カルラに仕えたとは聞いていたが…こんな所で再会しなくたって…
思いがけない出会いにビアトリスの思考が混乱する。
二人はアキュリュースやテラネで何度も出会い、妙に馬が合った。
同郷と言う事も手伝い互いに愚痴を言い合い、いろいろ相談できる間柄だった。
彼女からは自分の幼馴染について、自分は義兄について。
「ねぇ、どうするのビアトリス？」
レルラ＝ロントンの一言でビアトリスの思考は現実に引き戻された。
ビアトリスは言った。
「…弓隊構えて。」
レルラ＝ロントンが消極的に抗議する。
「友人殺しはあんまりきれいじゃないなぁ。」
「リューガ家と王国にとって、青竜軍の兵力をこのままにしておくのは危険だわ。」
「そうそう、今の所はリューガ家ってビアトリスの要ですよね。」
ユーリスがビアトリスに笑いかけた。
ビアトリスも笑い返すと再び正面を見据えた。
「それに、なんとなくこうなるような気がしていたわ。彼女とは。」
貴族に翻弄され、なりたくもない伯爵号と騎士の座を手に入れてしまった自分。
騎士になるという夢を竜綱に遮られ他国に出て行かざるを得なかった彼女。
戦場で出会い剣を交えるのは運命だったのかもしれない。
「私だって翻弄されているだけじゃない、高く飛ぶ翼を手に入れたのだから。
ここで逃げる訳にはいかないの。」
ビアトリスは自分に言い聞かせる様に言った。
両親が居ない一介の村娘から、大貴族の義妹。
身分制が厳しいロストール王国にあって、期せずも自分が異常な存在になったと気付いたその時から、
ロストール王国を、そして世界を手中に収めると言うビアトリスの壮大な野望は始まった。
それはある意味、己から平凡だが静かな人生を無残に奪い取った、
貴族たちに対する彼女なりの復讐だったのかもしれない。
ビアトリスはレルラ＝ロントンとユーリスに目をやると、二人は頷いた。

　一方アイリーンは部下の撤退の指示に妙な充実感を覚えていた。
思い出せばアイリーンの戦いとは常に守りであった。
貴族が放った戦闘用モンスター、盗賊などの襲撃等。
常に平民街を、ダランベールを守りながら戦っていた。
そのせいか逃げとなるとアイリーンの指示は途端に滑らかな物となった。
復讐の為攻撃的な才能を極端に肥大させてきたカルラとは、逆の才能であるといえた。
「そっか…私って守る為に先生の所に通い始めたんだっけ。」
アイリーンは忘れていた記憶をゆっくり掘り起こしていた、その時。
間道の両側の山林から、弓矢をつがえた兵が多数出現したのだ。
「伏兵だっ！駆け抜けろ！」
雨のように降り注ぐ矢雨の中を必死に駆けるディンガル兵たち。
その混乱の中数本の矢が確実にアイリーンの急所を狙っていた。
「！」
アイリーンは体をひねって、辛うじて急所を外しながら馬から転げ落ちた。
矢を放ったレルラ＝ロントンは驚き歓声を上げた。
「見た見たっビアトリス！凄いよあのお姉ちゃん、
あのタイミングで僕の矢を避けたよ！凄い凄い！」
その声を聞いたアイリーンはその方向へ目をやった。
そして見知った顔を見つけたのだ。
レルラ＝ロントンは続けざまに矢を放つが、アイリーンは片手剣を引き抜き次々叩き落す。
正面からとなればそうそう当るアイリーンでは無い。
そこにきてビアトリスは号令した。
「行けっ！千載一遇の好機ぞ、侵略者を根絶やしにしてやりなさい！」
山林からロストール兵が次々飛び出しディンガル兵に襲いかかる。
「私の事は構わないから早く行きなさい！」
自分を心配する部下たちを先に行かせながら、
アイリーンは手負いの体を必死に動かし孤軍奮闘する。
それを嘲笑うかのように後方で爆発が起きた。
誰もが見た事のない魔法であった。
「もう武器っていらないかも？
私のユニオンスペルで一発なんだもの。」
ビアトリスの横にいたユーリスがくるくると回りながら言った。
「エナジーボルトもう一回いきまーす。今度は二倍お見舞いしてあげたら凄いかもっ。」
ユーリスの両手に再び魔力が集中していく、しかも先ほどと比べても尋常じゃない量の魔力であった。
「やらせないっ！」
アイリーンはユーリスに向けて切りかかった。
それをビアトリスが遮る。
アイリーンの剣をビアトリスの盾が受けとめたのだ。
この時後方で先程より大きい爆発が起きたが、もはや両者ともそこまで気を回す余裕は無い。
「ビアトリス…。」
友人同士が言葉を交わせる距離にまで接近する。
おもわずビアトリスは頭を振った。
「戦場でアイリーンと会いたくなかった。」
それを見てアイリーンはビアトリスに言った。
「私はあなたと戦いたかったわ。さぁ！　行くわよ！」
アイリーンの剣が煌き、ビアトリスの剣もそれに合わせ動く。
二人の間に火花が何度も光る。
ビアトリスから見て、矢傷のせいであろうかアイリーンの剣は恐ろしく鈍い。
再び両者の剣が絡み合い、弾き合った。
アイリーンが苦痛に表情を歪めた隙をビアトリスは逃さない。
すかさず盾でアイリーンの視界をふさぐと左腿を貫いた。
ビアトリスは反撃を避け間合いを取る。
腿を貫かれ膝を着くアイリーンにビアトリスが言った。
「あなたも剣士でしょ？その矢傷をおって、力を出し切れずに負ける。
そんな事を許せるの？今までの修行の日々はどうなるの？」
「ありがたいけど、引くつもりはないわ。剣士になった理由思い出しちゃったから。」
アイリーンは剣を杖にしてゆっくりと立ち上がった。
「私は貴族から平和な日常を守る為に剣を習った。
ならばこの剣は逃げ惑う部下たちの為に使うべきでしょ。
これ以上進みたいのならば、私の屍を越えていきなさい！ビアトリス・リューガっ！！」
ビアトリスはしばらく無言でアイリーンを見つめた。
「人の為に、か。あなたってやっぱり素適な女性ね。」
アイリーンが剣を構えるにあわせビアトリスもゆっくりと剣を構える。
「ストーン！」
殆ど呪文の詠唱無しでビアトリスが土の下位魔法を発動させた。
足場を崩されアイリーンは大きく体勢を崩す。
そこをビアトリスは跳び上がり上空から襲い掛かった。
魔法と剣の目にも止まらない連続攻撃。
それが竜殺しビアトリス・リューガのもっとも得意なスタイルであった。
アイリーンの肩から腰にかけてビアトリスの片手剣が一閃した。
血が一気に吹き出て、アイリーンの体を朱色に染め上げる。
明らかに致命傷であった。
「まだだよ、来る！来るよ！！」
レルラ＝ロントンが必死に叫んだ。
アイリーンの目はまだ死んではいない。
大量の血を吐血するのも構わず、渾身の力を込めて矢のような一撃をはなったのだ。
ビアトリスはそれを盾で流そうとする。
びりびりとした衝撃が腕を走り、辛うじて剣の軌道が変わる。
体勢が流されたアイリーン目掛けて、ビアトリスは腕を振り上げ心臓を貫いた。
剣が引きぬかれるとアイリーンはビアトリスに持たれかかるような形になった。
「…かぁ、さん……せんせぇ……だ…ぁら…。」
アイリーンの手から力が抜け片手剣が零れ落ちる。
ビアトリスは事切れたアイリーンを一際強く抱締め、ゆっくり彼女の体を地面に寝かせ、
薄く開いていた瞼を閉じてやり、剣を抱締める様に両腕両手を体の上に組んでやった。
その仕草を見ていたレルラ＝ロントンがそっとビアトリスの肩に手をおいた。
「こういう場合無理しない方がいいと思います。」
とユーリスも心配そうな表情だった。
「ありがとう、大丈夫。」
ビアトリスは立ち上がると号令した。
「将を討った！これ以上の戦闘は無意味、後詰が来る前に撤退しなさい。」
ロストール兵が引き上げるなか、しばらくビアトリスはアイリーンの死体を見つめた。
「あなたの死、無駄にはしないわ。私は夢をかなえるから。
…あなたのような素適な人から死んでしまう。なんでかしらね。」
ビアトリスは溜息を一つ残すと、風のように去って行った。