水都攻防戦
〜３．水都攻防戦〜

　帝国軍動く。
その知らせを受けたアンギルダンは傭兵たちを引き連れ、
国境沿いまで進みそこに陣を張った。
しかし帝国軍の動きはアンギルダンの想像より遥かに鈍く、
神聖都市アルノートゥンと水の都アキュリュースへそれぞれ向かう街道が分岐する地点で、
陣を引き１ヶ月２ヶ月３ヶ月と異常に長らくそこに留まったのだった。
流石のアンギルダンもその行動には戸惑い、策かと疑ったが、
調べていくとどうやら帝国上層部に問題があったことが判って来た。
魔王バロルは必勝を期す為、魔獣軍を率いる円卓の騎士ネモを出陣させるつもりであった。
しかしネモはごねた。
バロルの野望もネモにかかれば「めんどくせぇ。」ことであったのだ。
その混乱が尾を引き、せっかく大軍を出陣させアキュリュースを伺っても、
肝心の攻略になかなか取りかかれなかったのだ。
アンギルダンはほくそえんだ。
「敵の指揮系統が定まらない今こそが勝機！」
と宣言すると吊橋を越え、打って出たのだ。
傭兵たちは疾風のように夜を駆け、帝国軍の野営地を急襲。
帝国軍に大打撃を与えた、特に兵糧物資の被害は甚大であった。
初戦は水の神殿側の大勝であった。

　圧倒的少数の水の神殿側に大敗を喫した帝国軍は、
ようやくネモ抜きでの指揮系統を確立し兵糧を再び集め終わると、
ついにアキュリュースに向け進軍した。
アンギルダンは偵察隊を率いて、吊橋を渡るその軍容を眺めた。
「さすが帝国軍…凄い迫力ですね…」
偵察隊の一人が震えながら呟いた。
金縁の黒鎧で帝国軍は統一されていた。
その黒鎧の軍団が一矢乱れぬ動きで進撃する姿は異様ですらあった。
「怖いか？このアンギルダンがゲリラ屋の戦いという物を見せてやる。
知略は弱者の武器とはよう言ったもんだ、少数には少数の戦い方というものがある。
ハハハ、まぁ見ておれ。」
この時アンギルダンはルフェイに贈るイヤリングを作っていた。
泰然を装い部下の心理を安定させる為であったのか、
それとも彼にとって帝国軍よりイヤリングの方が大事だったのか、
今となっては真偽不明である。
ただ圧倒的多数を誇る帝国軍を見てもまったく動じない指揮官を、
皆は頼もしげな視線で眺めた事だけは確かであった。

　アンギルダンは自陣に帰ると主だった部下を集め、次々策を授けていった。
主に天険の地を利用しての策であった。
そしてアンギルダン自身も兵を率い間道から奇襲をかける。
アキュリュースに到るまでの道は非常に険しい、
しかしこちらには精密な地図があり帝国軍には無い。
これは大きな優位点出あった。
「これで帝国軍に勝てるのですね！」
部下の一人が興奮したように言った。
天険の地を利用して帝国軍を撃破する、これならば確かに勝てそうだと皆が思った。
しかし…
「いや、無理だ。」
アンギルダンはその期待を一言で否定した。
動揺する部下たちに向けアンギルダンは続けた。
「ディンガル帝国の軍隊はこのおれと魔王になる前のバロルが、
手塩にかけた世界最強と自負する軍だ。
そうやすやすと負けはせん。」
部下たちは絶句し何もいえなかった。
「そう心配するな、もちろん勝つさ。
諸君には突破されるのを知りつつ全力で戦ってもらう。」
アンギルダンは意地悪く皆を見渡した後、にやりと笑い地図を指差した。
「グラジェオンの足跡。ここでケリをつける。」
水の神殿側と帝国軍の兵力差は圧倒的であった。
どんなに頑張っても最後は帝国軍に突破されるのは自明と言えた。
ならば到るところ伏兵を潜ませた上でそれを突破させ、
圧倒的兵力差の前にはアンギルダンが小細工を弄しても無駄と思わせる。
そして最期の最期でミズチを使い帝国軍を崩壊させる
さらにミズチによって痛手を受けた帝国軍を、
湖畔に伏せた兵とアキュリュースに残した兵で追い討ち挟撃殲滅する。
それがアンギルダンの作戦の全容であった。
兵糧攻めではなく一気呵成にアキュリュースを攻めさせる為にも、
帝国軍の圧倒的兵力の前に次々罠を破られると言う状況はどうしても必要であった。
部下の中から、帝国軍の指揮官がミズチを恐れて、
水の都に対して攻撃を控える可能性について質問が出た。
アンギルダンは答えた。
「おれの首にはたいそうな懸賞がかけられている。問題無いだろう。
仮にミズチの恐ろしさを知っていたとしても詳細を知るものは居るまい。
なにより帝国軍はおれも認める最強の軍隊だ、ロストールの竜騎軍とて敵ではない。
それだけにプライドも高い、水の精如きに屈してなるものかと思うであろう。
おれが作り上げた軍隊だけによくわかる。ハハハ！」
アンギルダンは豪放に笑った。
普段と同じだけにその笑いは不気味さをたたえるものであった。

　いざ戦いが始まるとアキュリュースへ進む帝国軍を阻むべく、
水の神殿側の抵抗は苛烈を極めた。
街道の両側にそびえる崖の到る所から、
煮え湯やら矢、岩、アイスクラフト等を落とし、
夜討ち朝駆けを繰り返した。
天険を存分に利用したかれらは、まさに神出鬼没であった。
しかしそれでも帝国軍の進撃は止まらなかった。
そもそも帝国軍を押さえるには水の神殿側の兵力は少なすぎた。
さらに水の神殿側の傭兵たちは、
上官の言葉を嫌と言うほど思い知らされる事になった。
アンギルダンが豪語するだけあって、
帝国軍の動きは良く指揮官の指示も的確であったのだ。
一方、元ディンガル帝国の宿将アンギルダンが相手とあって、
帝国軍の指揮官たちは燃えていた。
帝国軍は水の神殿側に比べて
兵力、兵隊の質、食料や武器などの物資等々で圧倒的に勝っていた。
戦うに当たって非常に有利な条件であった。
アンギルダンを討てば、
当然統一の名将を倒した男として歴史に名を残す事は間違い無く、
更にアンギルダンの首を魔王バロルに献上すれば、
これからの人生が大きく開けると言って過言ではないからだ。
この戦いに参加する物たちにとって一世一代の好機であった。
特に高級将官はアンギルダンの教えを受けた者も多く、
懐かしさと同時に師を越え出世する機会として目をぎらつかせていた。
各所で激しい抵抗を受けながらも帝国軍は進み、
ついにアキュリュースから目と鼻の先の地点まで迫った。
そこは街道の側面に続く崖が終わる地であり、
大きく目の前の視界が開けグラジェオンの足跡が目の前に広がる場所であった。
アンギルダンは傭兵の総力を結集して帝国軍を迎え撃った。
湖を背に背水の陣を引き決死の覚悟であった。
アキュリュース傭兵たちの壮絶な抵抗に手を焼いたが帝国軍はこれを撃破、
傭兵たちの多くは散り散りになって逃げて行った。
アンギルダンも例外ではないようで、
赤い鎧の男が僅かな供を連れ水の都に逃げる姿が目撃された。
アキュリュースの陥落は時間の問題であると誰もが思い、帝国の勝利を確信した。

　翌日帝国軍は次々組み立て式の小船を湖に浮かべ水の都を威嚇した。
湖畔に並ぶ大量の小船の姿はさすがに壮観であった。
帝国軍からの降伏勧告を水の神殿が跳ね除けると、
帝国軍は小船に乗りこみグラジェオンの足跡を渡り始めたのである。
そして湖の中程まで来た所でミズチたちが姿をあらわしたのだ。
その想像を絶する巨体のまえに帝国軍の指揮官たちは言葉を失った。
一匹が姿をあらわすと二匹三匹と次々姿をあらわし、
ついには十匹以上がその巨大な鎌首を水上でもたげたのである。
帝国軍はまるで悪い夢でも見ているかのように静まり返っていた。
そして次の瞬間にはミズチたちが情け容赦無く帝国軍に襲い掛かった。
ミズチの力は凄まじく屈強を誇る帝国兵たちといえども敵ではなかった。
小船はまるで木の葉のように宙を舞い、兵たちは水面に叩き落されていった。
重い鎧を着こんだ兵たちである、水に落ちれば命はない。
果敢にもミズチに矢を射り、剣を振るったが所詮無駄な努力であった。
それは戦闘と言うよりも一方的な虐殺であった。
ここまでくると勇猛果敢な帝国兵も我先にと逃げ出しはじめた。
しかし多くの場合それも無駄な努力であった。
戦場がグラジェオンの足跡である以上、
何人もミズチからは逃げられない。

　ミズチにより殆どの兵がグラジェオンの足跡の藻屑になると、
湖畔から伏せていた傭兵たちがぞろぞろと出てきた。
皆目の前で起きた事を信じられなかった。
その中には雑兵の格好をしたアンギルダンも含まれていた。
アキュリュースに逃げたのは赤い鎧を着た部下で、
本物はグラジェオンの足跡の湖畔に伏せて居たのだ。
本来アンギルダンはミズチにより追い返された帝国兵を、
湖畔に伏せていた兵とアキュリュースに残した兵で挟撃して撃破するつもりであった。
しかしミズチにより帝国兵が全滅してしまった。
ミズチを使った計略を立案したアンギルダン自身が、
その余りの破壊力にもっとも驚愕したのだ。
「勝ったのか…」
「人食いのバケモンだな、アレは。」
「直接見ないとあの恐ろしさはわかるまい。
読んだり聞いたりした程度じゃとてもとても…」
部下たちは呆然としながら口々に衝撃を口にした。
ミズチの破壊力を見せ付けられて泣きたいのはアンギルダンも同じであった。
アンギルダンは頬を叩き気を入れなおすと、
傭兵を纏め直しアキュリュースに凱旋した。
二度目の激突も水の神殿側の勝利となった。
ディンガル帝国の兵が全滅。と言う凄惨な決着であった。



『A Lua Branca』の１周年記念贈呈品の第３章。