竜を食む鳥
〜１３．飢餓山脈〜

　ジラークは神聖都市アルノートゥンにたいし水も漏らさぬ、鼠一匹すら通さぬ包囲を敷いた。
アルノートゥンは天空神ノトゥーンに仕えるために、全バイアシオンから若者達が集まっている。
そのため徹底抗戦の意思は固く、圧倒的兵力差を誇るジラークでも手を焼くであろうと予想された。
そこでジラークはもっとも確実に城を落す方法を取った。

　兵糧攻めである。
もちろんこれから半年程度の間、アルノートゥン攻めを妨害する勢力は無いであろう、
と言う予測があればこその作戦であった。
ネメア無しの状況でもまだディンガル帝国は秩序を維持している。
仮に崩壊したとしても西のロセンを本拠とする青竜将軍カルラ・コルキアはもちろん、
帝都にいる玄武将軍ザギヴ・ディンガル、宰相ベルゼーヴァ・ベルライン両名とも
真っ先にジラークと刃を交えると言うことは考え難かった。
ロストール王国に到っては攻撃に手を回す余裕など何処にもない。
アキュリュース他の諸都市国家も同様である。
これはアルノートゥン側にとって地獄の始まりであった。

　包囲が開始されてから1ヶ月2ヶ月と散発的な戦いはあるものの何事もなく過ぎた。
そして3ヶ月たつとアルノートゥン側の食料事情が危機的なものとなってきた。
配給は数も量も満足のいくものではなくなっていった。
当然武器も不足しありとあらゆる金属が溶かされ武器に変わった。

　4ヶ月たつとついに神聖都市で餓死者がではじめた。
極限状態の中で神官達は神の下僕としてのプライドを守るために、別のプライドを捨て始めた。
餓死者に手を出し食料としたのである、それでも食料は足らぬ。
アルノートゥンの神官達は小さな弟子達、神官見習の子供達を交換し合い、
泣きながら首を締め縊り殺し食料とし、その骨を燃料とした。
武器もほとんど底をつき人々は木を削り槍とし、髪を結い合わせ弓の弦とした。
それこそジラークの待っていたものであった。
この凄惨極まる光景を待っていたのである。
カルラの様に非戦闘員を巻き込んだ大破壊を実行すれば、
第3者にも大きな反感をもたれる。
それは困る。
しかし人道を外れた光景は自軍のいい宣伝になる…。
事実カルラ率いる青竜軍の名は大陸全土に戦慄とともに知れ渡った。
ジラークは戦いの中で凄惨な光景を作り出す事で同様の効果を得ようとしたのである。
これは白虎軍の強さ、苛烈さを表す1件としてひろくバイアシオンに知れ渡るであろう。
この策をジラークからはじめて聞いた時、
ナッジは思わず眉をひそめたが結局なにも言わなかった。
誰が見ても神聖王国の流れを汲む都市の陥落はもはや時間の問題であった。

　5ヶ月がたった。
アルノートゥン内で１つの事件が起こった。
ノトゥーン神殿の最高指導者たる大神官が死亡したのである。
老いたる大神官は神官連中の中でも別格の扱いを受けていたが、飢餓には勝てず餓死したのである。
飢餓のほかに幼い弟子達が次々縊り殺され、
それを食べて生き延びる事に対しての心労もあったことは簡単に想像がついた。
大神官は死の間際遺言を残した。
「私が死んだら、抗戦を諦め降伏せよ。」と。
その遺言を果たすべく、主だった幹部が召集された。
山岳部に造られた都市アルノートゥンの頂に位置するのが天経院である。
天経院はアルノートゥンおよび全ノトゥーン神殿の中枢であった。
そこの一室に幹部達はあつまった。
皆頬は痩せこけ腕は筋が目立ち、目だけがらんらんと光っていた。
そこで大神官の死が正式に報告され降伏が決定された。
その中で末席にいた、面子の中では若い神官が発言を求めた。
アハブでの指揮をとっていた神官であった。
議長格の神官が彼の発言を認めると彼は言った。
「決死隊を募りたいと思います、是非御許可を。」
議長格の神官は苦虫を噛み潰した表情を浮かべた。
「決死隊…？大神官は生きろと仰っている。生きて罪を償え。」
指揮官の神官は立ち上がり、皆を見まわした。
「力及ばず降伏する、それを恥とは思いません。しかし…！
過去大神官エシュト様は聖光石の秘密を守る為町を一つ滅ぼしました。
偉大なる神官イオンズ様はアルノートゥンを守る為、
単身で邪竜イシュバアルに挑まれ封印することに成功しました。
我々はそれを誇りとし、同時に我らの業としてここまで戦って来ました。
自分達を父と兄と慕う弟子達を、ノトゥーン様に仕えるべく希望に燃え大陸全土から集まってきた、
小さな弟子達を、殺し、食べ、燃料としたのもその為です。」
淡々とした口ぶりであった。
「先人達の思い苦しみ、弟子達の恐怖や絶望に対し我らは何も出来ていません。」
「…君は何が言いたのだ。降伏より死を選べというのかね？」
「いえ、誇り高き神の都アルノートゥン滅亡の道連れとして、
白虎将軍ジラークにお付き合い頂きたいと思いましてね…。」
壮絶な笑みを伴った言であった。
「無駄死にするつもりなら許可は出さぬ。」
「エシュト様の秘術を使い奴を地獄に引き摺り込んで見せまする。」
エシュトの秘術。
それは約４００年前アハブを死の都とした疫病の魔法であった。
正確に言えば疫病ではなく毒であり、複合魔法バクテリオを応用した魔法だった。
基本的に単体攻撃であるバクテリオを、
町１つの住民全てに効果が現れる様に変化させている点に最大の特徴があった。
その効果は弱くそして長く続き対象を死に到らしめる。
その様が毒と言うより悪い病に犯され死んでいくように見えたため、
疫病の魔法と呼ばれたのである。
「使えるのか！？」
「未完ながら。」
許可は出た。
彼は天経院をでるとさっそく決死隊を募る立て札を立てた。
生き残りの神官たちは重い体を引き摺りながら札に集まった。
「今更決死隊だぁ？」
「…おれは参加する。弟子を食っちまった、なにかしないと気が狂いそうだ。」
「同じく、もはや失うものなどなにもない。」
決死隊にはかなりの数が集まった。
その夜、決死隊は城門に集まり突撃の機を伺っていた。

　リンネは就寝前に自らの得物を振り体を鍛える習慣があった。
別に就寝前に限った話しではなく、朝起きた時など時間があれば槍斧を振りまわしていた。
そのリンネが身の丈を軽く越える槍斧の真中を持ってうち担ぎ、
夜の陣を歩いていると偶然ナッジと出会った。
二人は少し歩くことにした。
リンネから見てナッジの顔色は最近とみに良くない。
あきらかに食が進んでおらず、その背の高い体躯もやせる一方であった。
「なぁナッジ最近どうだ？」
「えっ、大丈夫だけど。」
アハブでの戦い以来、事実上ナッジが白虎軍の副将格であった。
リンネとしても現場で武器を振り回しているほうが性にあっているので願ったりの人選であった。
「なーんかよ、変な気がすんだよな最近のお前。白ヤギじいさんになんか言われたか？」
ナッジは苦笑した。
「別に変じゃないよ、変なのはナッジの駄洒落だけで十分だよ。」
リンネは肩に担いだ槍斧に両手を絡ませ溜息をついた。
「まっ言いたかなきゃ聞かねぇよ。」
「ごめん。」
「いいってことよ。」
リンネはナッジに見せながら手を上げ、自分の幕舎に向け歩き出した。
その時である。
まるで幽鬼のような化物じみた声を上げながら、
本陣に向かい突撃する一団が二人の目に入ったのである。
「なっなんだアレは！」
さしものリンネも言葉を失った。
それは全てが白い喪服で統一され痩せこけた体に武器を握り締める姿は、
まさしく絵画に描かれる死神の図そのままであった。
その一団は見張りの兵を突き殺し一気に門を突き破ると陣に雪崩込んだ。
ナッジとリンネが立ち塞がり魔法と武器を一閃させる。
…が白衣の者たちは二人を無視して尚走る。
「地獄の道行き道連れに白虎将軍ならば異存無し。
生き残る事は考えず只ひたすらに角を折れ。
殺り方に頓着するな、是非は死んだ後に考えろ！」
指揮官と思われる絶叫が聞こえると一団は拡散した。
ナッジは跳ねる様に指揮官と思しき男の後を追った。
リンネも「出会え出会え、奇襲だぞ！」と叫びながらそれに続く。
白虎軍の陣内に敵の急襲を告げる鐘が鳴り響く。
次々襲いかかる白虎兵にアルノートゥンの神官たちは次々討たれ、
その数を減らしていった。
馬がまだアルノートゥンに残っていればまた違ったかも知れない。
しかし馬も全て食べられてしまいすべて神官たちの腹の中にあった。
あの鱗のような皮、二本の足とても美味しそうな代物では無いが、
食べられるものは全て食べてしまったのだ。
それでも僅かの神官たちが必死に走りジラークの元に肉薄する。
神官たちはジラークをその目に捕らえていた。

「将軍はやらせない！僕はまだコーンスの未来を見ていないんだ！！」
後一歩と言う所でナッジとリンネが神官たちに襲い掛かった。
ナッジは鬼気迫る勢いで神官の１人の剣を跳ね上げ胸を貫いた。
そんなナッジに多少の驚きを感じながらリンネは槍斧の柄を神官の脇を引っ掛け、
上空に吹き飛ばし落ちてきた所を槍斧を被せ地面に叩きつける。
それでもまだ幾ばくかの神官がジラークに向かい進む、進む、最後の力を振り絞り突き進む。
そのうち１人が奇妙な魔法を唱えるのを見て、リンネはその袖を必死に掴み腕を取った。
「くそっ！」
その神官はおそらくジラークにぶつけるつもりであった魔法をリンネに向けはなった。
リンネに言いがたい脱力感が襲い、思わず掴んだ腕を払われ、槍斧を取り落し、両の膝をついた。
様々な魔法を見たリンネであるがはじめての経験であった。
「エシュト様の秘術にかかり死ねジラークっ、
神の都がコーンス如きに滅ぼされるなどあってはならんのだ！」
神官はジラークに向き直り再び魔法を唱える。
リンネにしか効果がないという事は秘術の効果範囲は完全ではない。
しかし竜殺しリンネに対してこの威力、破壊力の方は問題が無い様であった。
「やべェ…。」
得体の知れない魔法を前にリンネは強い危機感を感じた。
戦場においてリンネのこのような危機感は良く当たる。
リンネは渾身の力をこめて神官の足を取り引っ繰り返した。
思わぬ所からの思わぬ攻撃に神官の体は抵抗する間も無く地面に倒れた。
リンネは神官に馬乗りになると両の腕を神官の首に巻きつけた。
魔法を唱えさせない為に全体重をかけ気道を押しつぶした。
神官はジラークに向け手を伸ばし、顔を向けたがそこで力尽きた。
ようやく安心したリンネは体をはなし、どうっと地面に倒れ込んだ。

　翌日アルノートゥンは白虎軍に降伏。神聖王国の流れを汲む神聖都市は陥落した。
大陸北西部での凄惨な戦いの幕は降りた。
白虎将軍ジラーク率いる白虎軍はアルノートゥン入場を果たし、
ジラークは自らの野望の足場を築いたのであった。
これでディンガル帝国の支配地域は
東ロセン、西アキュリュース、南リベルダム、北アルノートゥン、
という帝国史上最大規模となった。
そう、これがディンガル帝国が最も拡大した瞬間であったのだった。