竜を食む鳥
〜１４．故郷〜

　話はロストール軍と青竜軍にもどる、アルノートゥン陥落の前のことだ。
ダランベールは青竜軍を離れ、故郷ロストールへ足を踏み入れた。
ロストールの城門をくぐるとそこには以前と変わらぬ風景が広がっていた。
大通りの右手には酒場、左手には宿屋、そこから道具屋やらギルドやらが連なっている。
奥には千年樹が見えるのも変わっていない。
最後に訪れてからそう時間が経っていないが、
妙な懐かしさを覚えたダランベールはゆっくりと辺りを見まわしながら大通りを歩きだした。
「あ、ダランベールさん……。」
横から声がかかった。
懐かしい声にそちらを向くと酒場の入り口に一人の娘が立っていた。
大通りの酒場の看板娘フェルムであった。
ダランベールは微笑むとフェルムの方へ歩を進めた。
「おかえりなさい…。」
フェルムは暫くダランベールの顔を見上げると躊躇いながら口を開いた。
「………………？
あのダランベールさん、……背伸びましたか？　　　 
いえ、なんとなくとても大きく見えたから……。 
やだ、なんだか私変ですね。」
「そうかな？そんな風に言われるとなんだか照れるよ。」
ばつが悪そうにダランベールは頭をかいた。
「所でなにやっているの？出入り口に立って客寄せでもやっているの。」
「今、ちょうど、定時にやってくるお客さんを待っていたんです。」
確かにフェルムの足下には大きめの酒瓶が複数置いてある。
「ほら来ましたよ。」
フェルムは右手でギルドの方向を指差した。
指差された先にいたのはなんと三匹のゴブリンだった。
「団長！、重いゴブ。オルナットもちゃんと力入れているゴブか？」
「五月蝿いゴブよ。マルーンこそしっかり持つゴブ。所でアレは誰ゴブか？
フェルムちゃんと親しげに話すなんて許せないゴブ！」
「親分腹減ったゴブ〜。」
「……道端の草でも食べてるといいゴブ。」
三人組のリーダーでスカーフをつけたゴブリン、ガント。
大きな体のゴブリン、オルナット。
ふっくらとした感じの下っ端のゴブリン、マルーン。
この三匹で構成されるゴブゴブ団であった。
そのゴブゴブ団が大きめな酒瓶を幾つか運んでいたのだ。
「あの背丈、あの髪の色、あの体格、鎧と武器も見覚えがあるゴブけど…
組み合せが違うような気がするゴブ。
団長…あれってガサツ女の連れの男じゃないゴブか？」
「なら知り合いゴブ。ゴブゴブ団、全速前進ゴブ〜。」
ダランベールは何とも形容しがたい表情で近づく彼らを見つめるしかなかった。。
すぐに三匹はダランベールとフェルムの元にやってきた。
「お前らこんな所でなにやってんの…？」
「…ゴブ？」
ガントが怪訝な表情を浮かべダランベールの顔を凝視した。
「って、ガサツ女の連れの男ゴブか？！
マルーン、囮になるゴブ！ゴブゴブ団、撤退ゴブ〜。」
「ひっひどいゴブ！」
「それはともかく先生に伝えるゴブ。」
「おおっ、オルナットその通りゴブ。連れの男が帰ってきたゴブよ！帰ってきたゴブよ！！」
三匹のしゃべるゴブリンは来た道をあっというまに帰っていってしまった。
「なにあれ？」
ダランベールはフェルムに聞いた。
「しゃべるゴブリンのガントさんと、オルナットさんと、マルーンさんですよ。」
「いやそうじゃなくて。なんでまたあの三匹がここに居るの？」
「少し前からオッシさんの道場に弟子入りしたんです。
もうすっかり平民街に馴染んでますよ。」
フェルムは困った様に足もとの酒瓶を見つめた。
「その瓶は僕が持っていくよ、それだけの量フェルムじゃ辛いでしょ。」
「ありがとうございます！」
ダランベールは一つでも重いはずの瓶を軽々と持ち上げてしまった。
「じゃ、またね。」
「あ、あの……、ダランベールさん……。
あ、いえ、頑張ってください。私も、応援してますからね。」
「ありがとう。」
最後の別れ際フェルムの顔になにか言いたげな、
それでいて言うのを躊躇うような、そんな表情が浮かんだ。
それがなにを言いたい表情なのかダランベールには理解できた。
おそらくこれから出会う平民街の人間すべてが同じ様な表情を浮かべるのだろう。
そんな事を考えながらダランベールはオッシ道場に歩を進めた。

　角を曲がると正面に見えるのがオッシ道場だ。
ダランベールやアイリーンの師であるオッシは自警団の長であり平民街の世話役であった。
なにか公共物が壊れたときけば修理をし、モンスターが出たと聞けば退治する。
そのオッシは平民街の中でとても信頼が厚い人物である。
ダランベールが大通りの角を曲がるとオッシ道場とともに
その前に立つオッシとその弟子達が目に入った。
ダランベールはしばし無言でオッシを見つめると、オッシの前に駈け出した。
オッシの前で息を整えるとダランベールが搾り出す様に言った。
「先生…」
「良く帰ってきたなダランベール。」
「先生…僕はアイリーンを、僕はっ！」
オッシはダランベールの肩に手を置いた。
「言うな。本当に良く帰ってきたな。今は休んどけ、疲れを取りな。」
ダランベールは脱力した様に俯きぼそぼそと呟いた。
「…母さんは元気ですか…？」
「……………。」
オッシは答えなかった。
ダランベールはその表情から不吉なモノを読み取ると、
ゆっくりと昔自分が住んでいたエルメス邸に向けて歩き出した。
オッシはそれを止める事ができなかった。
二人を取り巻いていた弟子達もダランベールと視線を合わせないで、
ダランベールの道を開いた。
オッシは体を引き摺る様にエルメス邸に向かうダランベールの背に視線を送りながら、
彼がエルメス邸だった家屋を見た時の心情を想像して表情を歪めた。

　青竜軍の陣地ではダランベールのパーティメンバーであるドワーフ戦士のデルガドと
エルフの魔法使いフェティが別れの挨拶をする為にカルラの幕舎を訪ねていた。
元パーティと言ったほうが良いかもしれない。
両者に深い信頼を寄せていたダランベールだが敢えて一人でロストールに旅だった。
カルラは二人を席につかせた。
二人に聞きたい事があったのだ。
挨拶もそこそこにカルラは本題に入った。
「ダランベールの悲しみかたは異常じゃない？」要はそんな内容であった。
確かにダランベールはアイリーンを深く慕っていたが…
それを考慮してもダランベールの態度は解せなかったのだ。
カルラの言葉を聞いて激したのはフェティであった。
立ち上がるとその足を机の上に置いた。
「ダランベールはド下等生物の中では多少マシなのよ！
アナタに如何こう言われる筋合いなんて何処にもなくってよ！」
「押さえろフェティ。」
デルガドがフェティを制した。
フェティは渋々席に腰を下ろす。
「ふむ、カルラ。お主の言いたいことは分かる。
だがなわしもフェティと同じで良い気持ちはせんな。
あいつは…ダランベールは…わしにとって、
ともに死線を越えてきた仲間であり唯一わしの鍛えた剣を使うに値する男じゃ…。
それは他の勇者や剣聖ではなく、ダランベールだけじゃ。」
デルガドは窓から見える空を見つめながら言った。
「ゴメンね。許して。」
カルラは失言を恥じながら頭を下げた。
デルガドはそれを見て満足げに頷いた。
「心当たりはある。…その前に酒をくれ。」
にやりと笑ったデルガドにフェティは呆れた様に手を肩まで上げた。
運ばれてきた酒を美味そうに飲み干すとデルガドは話を続けた。
「カルラもフェティもダランベールの家庭環境を知っているか？」
「このアタクシがド下等生物の家族なんて知る訳無いでしょ！」
「アイリーンから聞いているわ、貰い子なんでしょう。」
「その通り。つまりあいつは一度実の家族を失っている。」
「…それだけに今の義理の家族を大事にしている。と言うわけね。」
カルラはまっすぐにデルガドを見据えて言った。
デルガドは頷く。
「アイリーンの母親殿はできた人間らしい、
実の家族同様ダランベールを大切にしてくれたそうだ。
しかし何処まで行ってもダランベールは義理の家族に過ぎん。あくまで居候だ。
ダランベールはエルメス家の本当の家族になりたかったんじゃな…。」
そこまでデルガドが語ると、横から２本の腕がぬッと伸びてきてデルガドの首に巻きついた。
「きーっ！なんで酒臭い泥ドワーフのアンタがそんな事知っているのよ！
仲間になったのはアタクシと大して変らないくせに不公平だわ！不公平だわ！」
フェティはデルガドの首に両の腕を巻きつけながらデルガドの体を前後に揺らす。
既に「ド下等生物の家族なんて知るわけ無い」発言は忘れられている。
デルガドはフェティの腕から逃れる。
「だまらっしゃい！女には女にしか出来無い話があるように、
男には男としか話せない話があるものだ。」
そして再びカルラの方をむきなおった。
「ダランベールにとっては家族という言葉は何にも先立つ。」
「家族…ね。」
「もちろん家族が如何こうといっても、アイリーンの存在が最も大きかっただろうじゃがな。」
カルラはなんとなく視線をロストールに向けた。
それからカルラは二人にこれからどうするのかと聞いた。
デルガドはとりあえず自分の故郷ドワーフ王国へ帰る事にするとの事で、
フェティは特に決めていない様だった。
二人が幕舎を辞した後もカルラ椅子に座りなにやら考え込み、溜息をついた。

　王都ロストールも日が暮れ夜が来た。
オッシは道場の修練場で一人酒を飲んでいた。
灯りらしい物が有るはずも無く、ぼぉと自分の姿だけが闇に浮かび上がり、
かちゃり、コトリといった酒瓶や瓶を置いたりする音しか聞こえることはない。
昼の事を考えると只でさえアイリーンが死んだ後美味く無い酒が益々不味い。
ダランベールは旧エルメス邸を訪ねた後、激しく憔悴したようであった。
そしてオッシ道場に戻るや否やさっさと寝てしまった。
旧と言うのはアイリーンが戦死した直後アイリーンの母はロストールを去ってしまい、
家屋は既に他人の手に渡ってしまったからだ。
ダランベールが今の住人から
「エルメスさんは引越して、行方がわからない」
と聞かされたのであろう。
オッシは忌々しげに器に酒を注ぎ一気に飲み干す。
最近と言うもの飲んでも酔う事がない。
それでも飲まずにはいられなかった。
「先生。」
オッシははっとして入り口を見るとそこにはダランベールが立っていた。
闇の中布の服を着た首より下はよく見えず、その顔と手だけがやたら白く目立つ。
ダランベールはオッシの前に来るとそこに腰を下ろした。
「先生、暫くの間で酒量が増えましたね。
今日ゴブ達が運ぶはずだった酒瓶だけでかなりの量でした。」
「………………。」
「アイリーンが見たらなんと言うでしょうか。」
ダランベールはオッシに酒を注ぎ、空いた適当な器を取ると酒を注いだ。
そしてそれを飲み干した。
「不味い。大通りの店、酒の味が落ちたんじゃないですか。」
そして再び酒を注ぐ。
オッシはダランベールをじっくりと凝視すると、重い口を開いた。
「お前装備が変わっていたな…。」
布製防具に、トレードマークとも言える身の丈を越える両手剣竜破が、彼の装備であるはずだった。
帰ってきた時ダランベールの装備は、胴鎧と腰の左右に指した二本の片手剣であった。
そしてオッシの記憶が正しければ
その胴鎧と片手剣の片方はともにアイリーンの装備であるはずだった。
ダランベールその問いには答えなかった。
懐から紙に包まれた塊を取り出しオッシの前に差出した。
オッシが紙の中を確認すると黒い髪が束として纏められていた。
「アイリーンです。本当はこれは母さんに渡すつもりだったんです。
…母さんに出会う事があればどうか形見分けして上げて下さい。」
それはまるで自分が義母と会うことは、
二度と無いだろうと言うかの如し言いまわしであった。
ダランベールは腰の剣を外し自らの眼前に掲げた。
「これも…アイリーンの剣ダバレールです。本来はこれを先生に渡すつもりでした。」
そしてまじまじと形見の片手剣をじっと見つめた。
「母さんはアイリーンには、僕が必要だと言ってくれたのに…
僕に自分の力を生かしきるだけの判断力があれば守ってやれたのに…。守りたかった…。」
「自分を責めるな、戦場において個人の力には限界がある。お前は最善を尽した。」
オッシはそう言うとダランベールの器に酒を注いだ。
それを飲み干すとダランベールは立ち上がり、部屋に戻ると言った。
オッシはその背に語りかけた。
「まだ青竜軍とともに戦いつづけるのか？」
ダランベールは微かな笑みを浮かべた。
それはあきらかな肯定であった。
「僕はロストール王国を内からも外からも、
国民としても敵としても、様々な視点で見て来ました。
それだけに…」
「それだけに？」
「何処をどう弄くればロストール王国が壊れて逝くか、よく知っているんですよ。」