竜を食む鳥
〜１５．ネメアの訃報〜

　オッシ道場はこのところとても盛況であった。
ディンガルの戦女神と呼ばれた故アイリーン・エルメスと、
剣聖ダランベール・エルメスが師事したとなれば、
否応無しにオッシの名声は大陸に響く。
第二第三の剣聖にならんと大陸の各所から入門者が絶えなかった。
中には金を払えないロストールスラム出身の少年もいたが、
家族を守りたいと言う言葉にうたれ飯炊き掃除雑用として使い暇な時間に剣を学ばせていった。
そしてそのほとんどは平民街自警団に編入されていく。
しかも今は剣聖が滞在し、じきじきに稽古をつけてくれることもあるとあって、
益々オッシ道場の名は上がるばかりであった。
殆どの兵力を失ったロストール王国においてオッシ率いる自警団の勢力は、
もはや無視出来ないほど大きくなっていったのである。
ダランベールはオッシ道場に厄介になりながら、
門下生の面倒を見たり、ギルドでうけた仕事をこなしつつ、
空いた時間を使いロストールを丹念に散策した。
それは城壁に囲まれた王都の何処が強く何処が脆いのか、自分の目で確かめる散歩であった。
スラムの中を歩いた時は壮絶な殺気の渦であったが、今のダランベールにとっては何処吹く風である。

　暫く後ロストールに神聖都市アルノートゥン陥落の報が入った。
すでにアルノートゥンの危機的状況はアルノートゥン向けて旅立った
旅行者や冒険者たちより大陸全土に知れ渡っていた。
亡霊の都アハブで健闘を見せたアルノートゥン軍であったが、
白虎軍の主力を担う北の竜殺しリンネ・テラネとその仲間たちの活躍の前に、
善戦虚しく敗北を喫し、神聖都市に立て篭もるも白虎軍に包囲されていた。
援軍もない状況下で兵糧攻めを凌げる城など存在しない。
十重二十重に包囲されているアルノートゥンの運命は、もはや見えていた。
それでも陥落の報はロストールでは大きな話題となった。
いまだノーブルとリベルダムの中間地点でゼネテスとカルラが対峙していた。
その兵力はロストール全軍と青竜軍の半分…
青竜軍ですら今のロストール王国にとって強大過ぎる敵であった。
アキュリュース、そしてアルノートゥンを落とし、
全ての敵を平らげた白虎軍はどうなのであろうか。
万が一ロストール攻略に回されでもしたら…
それこそがロストール国民の心配のもとであった。
騒然となる王都ロストールの広場をダランベールが歩いていると、
人の群れの中に見知った顔を見つけた。
小柄な体に似合わぬ白銀の全身鎧、そして背にかけた巨大な両手剣、天動地鳴。
栗色の髪は肩まで伸び、目が大きく愛嬌のある顔立ちの少女であった。
「ノエルっ！」
ダランベールが呼びかけるとノエルはゆっくりとダランベールのほうを向いた。
「ダランベール…さん…！」
思わずダランベールは顔をしかめた。
ノエルは元気印が特長の娘だ、その元気な姿や前向きな思考は、
同業の先輩であるダランベールから見ても微笑ましい。
彼女の仲間たちがノエルをとても大事にするのがよくわかる。
しかし今のノエルからはその明るさや元気のよさと言うものが全く感じられず、
とてもやつれたというか、表情暗く心ここにあらず、という感じだったたのだ。
先ほどは気がつかなかったが良く見ると動きもまるで幽鬼の様であった。
「どうしたのさ、元気ないみたいだけど…？」
ノエルは俯くとダランベールの顔を見ずに言った。
「ネメアさんのこと、聞いていますか？」
「ああ、獅子帝が行方不明ってやつでしょ。聞いているけど。」
ノエルの首がさらに項垂れる。
そして肩を震わせた。
「わたしのせい…なんです…！
わたしが…ドジだったから…。」
ダランベールは膝を折りノエルの顔を下から見上げる様にした。
「落ち着いて、久し振りに会ったんだからとりあえずお茶でもどう？」

　ダランベールはノエルと連れ立って大通りに面した平民街の酒場に出掛けた。
店の外においてあるベンチに座りルーマティーを注文した。
そのときフェルムの顔が「この方とは、どういうご関係なんですか？」
とダランベールに聞きたくてたまらなそうな顔だったのは言うまでも無い。
ダランベールにとっては痛い視線とともにお茶が運ばれていた。
「で、どうしたんだ。しょんぼりするのはノエルらしくないよ。」
ノエルの態度に只ならぬ物を感じつつダランベールは言った。
「ネメアさんを死なせてしま…た…。」
「！」
「ダランベールさん…わたし…い、いったい…どうすれば…？」
ロストールの総司令ゼネテス・ファーロスが流した嘘情報、ネメアの死。
しかし発表当時はゼネテスの嘘であったろうと思われつつも、
今だにネメアは姿を見せていない。
誰もがネメアに十中八九何かあったと思いつつ、誰も口にしない。
世界を救った英雄であり、圧倒的な存在感を誇る力の象徴。
その死を口にすると、今までの世界が、今までの常識が、
音を立てて全て崩れていきそうで誰もが口にする事を憚った。
ノエルはそのネメアの殺してしまったと言う、おそらく自身のミスで…。
「詳しく聞かせてくれないかな、ネメアは強面だけど結構甘いところがあるからさ。」
ノエルが言うにはゼグナ鉱山で偶然ネメアをみつけ、
あとを追うと闇の神器貪欲の盾を巡ったネメアとジュサプブロスの戦いに出くわしたのだ。
「ジュサプブロス？知らないな…」
話を聞きながらノエルの感情が落ちついて来てるのを感じ
ダランベールは首を傾げた。
ネメアと互角と言われる剣聖レーグを破った自分や、
竜殺しの栄誉を勝ち得たビアトリスを筆頭に、
間違いがあったとしてもネメアを殺せるような強者はとても限られる。
「ネメアさんが言うには…
システィーナの伝道師のひとり、黒の祈りのジュサプブロスだそうです。
…破壊神を復活させようとしているとも言っていました。」
「システィーナの伝道師…？
妖術宰相ゾフォルの仲間となれば確かに手強いな…。だが。」
ノエルが頷いた。
「ネメアさんの強さは…圧倒的でした。そんな中ジュサプブロスがこっちに気付いて…。」
ノエルの顔が再び辛そうに歪んだ。
「じ、次元のはざまを開いて…わたし…そこに…落とされそうに…なって…。
そ、そしたら…ネメアさんが…助けてくれて…」
「ノエル、いいかい？ネメアは、こうなることを知ってて、それでもノエルを助けた。
今、ノエルが自分を責めたらノエルを救ったネメアは全然喜ばない。」
「そ…そうでしょうか。」
「そうだとも、それにねネメアは不死身だ。次元のはざまなんかで死にやしないよ。
大丈夫、ネメアはきっと生きている。」
「で、でも…そうですね…。生きているかも…しれませんよね。」
そのとき見覚えのある格好の大胆な女性が目に入った。
真っ白い銀髪に紅い目が印象的である。
「ノエルっ！突然、いなくなるなんて！…おどかさないで。」
「よっ。」
ダランベールがその女性カフィンに声をかけた。
カフィンは驚いた様に目を丸くした。
「ダランベールさん、ありがとうございます。」
「大丈夫か？送ってくよ。」
「いえ、もう大丈夫です、本当にありがとうございました。」
ノエルは席から立ち上がり大きくお辞儀をして歩き出した。
「あらぼうや。あっちょっとノエル！」
「わたしなら大丈夫。心配かけてごめんなさい。」
ニコリと微笑んだノエルを見て再びカフィンが驚きの表情を浮かべた。
「ねぇぼうや、一体どうしたのよ。」
「別に、ただ話を聞いてネメアはきっと生きていると言っただけさ。」
カフィンは大きく溜息をついた。
「助かったわ。
…今のノエルには、そう言ってあげるのが一番ね。」
「しかし、重症だね。ネメアが死んでからそれなりにたつのに…」
「ここのところ落ちついていたのだけど、ロストールに来て思い出しちゃったみたいね。
あなたがノエルを見つけてくれて本当に助かったわ。」
「昔から年上には世話になりっぱなしだったから、年下のあやしかたには自信があるんだ。」
ダランベールの脳裏にアイリーンやオッシ、アンギルダン、ゼネテスらの顔が次々浮かぶ。
一瞬嫌な気持ちになりかけたのを隠す様に胸を張る。
「気落ちしたノエルは見るに堪えないよ。笑顔が素敵な娘だからなおさらね。
ただ気をつけた方がいいよ、ネメアの死の影響が出るのはこれからだ。」
「わかってるわ。ぼうや、あなたの方もたいへんなのに、今回もありがと。
お礼はそのうちさせてもらうから期待しててね？」
カフィンは艶やかな表情を浮かべウインクした。
ダランベールは様々な意味で苦笑いするしかなかった。
そしてノエルを追って駈け出したカフィンに声をかけた。
「ノエルは良い仲間たちを持ったと思うよ。」
カフィンが手を上げそれに答えたのを見ながら、ダランベールはベンチに深深と腰掛け考えた。
ノエルは強い娘だとダランベールは思っている。
結局自分の故郷の仇も自分と仲間たちだけでこなした。
ネメアの死に関わったったことは彼女にとって痛恨の出来ごとだろうが、
かならず立ち直りまっすぐ進んでいけるだろう。
ダランベールは憧れるような瞳をノエルの去った方ヘ向けた。
そして思考を切り替えた、ネメアの死をどう利用するか、それが最大の問題であった。
何杯か目のルーマティーを飲み干しダランベールが考えをまとめた頃、
あたりは既に日が暮れ始めていた。

　そしてオッシ道場に戻るとダランベールはカルラに向け書を二通したためた。
一通は適当な内容であり街道を通らせ、
もう一通はネメアの死の詳細そしてこれからについて彼の考えを述べたものであり、
こちらは間道を通らせたのであった。
結局街道を通った手紙はロストール側の手に渡ったが、
間道を通った手紙は無事カルラの手に届く事となった。
ついにネメアに関する詳報をカルラは手に入れたのである。
それと同時にカルラは各地に伝令を飛ばした。
ネメアの死をカルラが知る、即ち世界がネメアの死を知ると同義であった。
直後カルラはその神速をいかし青竜軍を瞬く間に撤退させた。
なによりカルラの撤退によりロストール国民共通の敵を失った。
それが何を意味するのか…不安に思う余裕もないまま、
ロストール国民はその答えを嫌と言うほど思い知らされるのである。