竜を食む鳥
〜１７．追激戦〜

　ゼネテスは馬車の振動で目を覚ました。
体のあちらこちらが痛い。
そして意識がはっきりしてくると体の自由が利かないことに気がついた。
ゆっくりと自分の体を見まわすと縄やら鎖やらでぐるぐる巻かれていた。
「お目覚めかしら、ゼネテス。２日振りね、もっとも私は毎日貴方を見ていたけれど。」
声の方向を見るとビアトリスとチャカの姉弟が座っていた。
そして何があったのか思い出した。
「俺は虜囚というわけか…」
ビアトリスは頷いた。
「反乱か…レムオンにしては大胆なことを…。要は窮鼠が猫を噛んだってこったな。」
「私が貴方を捕まえ、レムオンが王都を落す。フフフ、簡単でしょう。
だって王都には兵隊さんがいないもの。」
ゼネテスは唯一自由になる首をビアトリスに向けると言った。
「お前の目的はなんだ、ビアトリス。
まさかレムオンを救う…為だけと言う訳でもあるまい。」
ビアトリスは待ってましたとばかりに破顔した。
「フフフ、聞きたい？私はね、世界の覇権を握りたいの。素敵でしょう。」
「笑えねぇ冗談だ。本気か？」
「本気よ、御覧なさい。この世界のどこに私以上王者に相応しい人間がいるというの？」
「…呆れたぜ。」
ゆっくりと両手を広げながら喋るビアトリスに、最早ゼネテスは言うべき言葉を持たなかった。
その時御者台のレルラ＝ロントンが二人に声をかけた。
「来たよ！追っ手が来たよ！」
ビアトリスが言った。
「貴方のところの忠実なワンちゃんが来たようですね。流石に早いわ。」
「ミルが…。」
ゼネテスは無表情にボソリと呟いた。
御者台のレルラはユーリスに手綱を渡すと、馬車の屋根によじ登った。
そして矢を複数その小さな手で握ると弓をつがえた。
黒き風と化したミルは既に馬車まで後一息の所まで迫っていた。
「名将は虜囚となり奪回を目指す密禎、迎え撃つは竜殺し！
大乱の成否を占う重要局面、勝つのはどちらだ！
いいね、僕たち伝説になれるよ！」
レルラの弓から凄まじい勢いで矢が放たれた。

　レルラの弓をミルは跳んでかわす。
いや、それは跳んだと言うよりも、弾力のある玉が勢い良く弾かれたと言った感じであった。
「良いバネしてる。まだまだ。」
激しく揺られながらもレルラは次々矢を放つ。
黒雲から降り注ぐ豪雨の如し。
速射と正確さにかけてレルラの弓は、大陸に比肩する者なしといっても過言ではなかった。
さしものミルも真正面からでは不利と見て、進行方向を斜めに修正した。
そして馬車から多少距離をとって並走したのである。
「早いね、でも！」
大吟遊詩人の風格と言うべきか、優雅さを漂わせながらレルラはさらに複数の矢をつがう。
レルラは馬車の速度をも凌ぐミルの速さを的確に予測し、弓を射て矢を飛ばす。
正確無比の矢雨がミルの進路に襲いかかった。
すると跳んで避けるは不可能とみたミルは、矢から逃れんと体勢をさらに低くしたのだ。
確かに矢雨は潜り抜けた、しかしその代償に完全にバランスを崩した。
それを見たレルラは勝利を確信した。
…が、ミルの疾走は止まらなかった。
彼はその４本の手足を使いまるで大きな狼の様に走っていたのである。
それにはベテラン冒険者レルラ＝ロントンも唖然呆然となるしかなかった。
そしてそれが本来の走りの如く、さらに加速を加え一気に馬車を追いぬいてしまった。
ミルは街道の真中に仁王立ち馬車の進路を塞いだ。

「ユーリス、踏み潰しちゃえ！」
レルラが叫ぶ。
それに合わせてユーリスが４頭の馬に鞭を入れ、８本の足の動きが益々早くなる。
するとミルは独特のリズムにあわせ体を揺らし始めた。
足運びに緩急をつけた奇妙な動き。
見ようによっては踊っている様にも見える。
するとユーリスとレルラの目には徐々にミルの姿が複数写りはじめてきたのである。
「ちょっとこれは不味いかも…」
ユーリスが手に魔力を集中させ掌から炎の高位魔法を放つ。
炎の渦がミルのまわりに発生し彼のを覆い隠す。
やった、と思った瞬間次々炎の中からミルが飛び出してきたのである。
レルラは弓矢で、ユーリスは魔法で迎撃するも、その多くは囮の残像であった。
ミルの一つ飛び出し馬の頭の上に着地したのである、
さらにまったく重さを感じさせない動きでユーリスに飛びかかったのだ。
「ユーリス！危ないよ！！」
それを見たレルラが叫んだ。
「きゃっ。」
得物である片手剣アプクラサスを抜き放っているミルを見たユーリスは、
思わず声を上げ眼前を覆った。
しかしミルはユーリスの脇を通り過ぎ馬車の中に突入した。
レルラは必死に馬車の屋根から室内に向け矢を放ったが、
屋根板に阻まれ室内のミルには届かなかった。
室内に突入したミルに対しチャカが槍コルセスカを、
ビアトリスも立ち上がり片手剣ファルシオンを構え迎え撃つ。
床板が弾け、強襲するミルの姿が一瞬にして消える。
ミルは天井にいた。
再び天井板が弾け、ミルは石弓から放たれた矢の如く、上空からビアトリスに襲いかかった。
ミルの体重とバネ全て乗せた一撃を、ビアトリスは盾と剣を十字に交差させ防ぐ。
鋭い金属音が周囲に響き、火花が散った。
ミルとビアトリスの顔が互いの肩にくっつかんばかりに近づく。
時間にすればほんの数秒であろうが、見ていた者たちにとっては異様に長く感じられた。

　ミルは空中で体を捻りファルシオンの刃に足をかけると、
くるりと跳び、ビアトリスから距離をとった。
その一連の動きはまるで一枚の羽毛のような軽やかさだった。
再びミルが妖しげなリズムに乗り出す。
ゼネテスはその姿を見ながら驚いた、ミルの動きが素晴らしくキレていたからだ。
盗賊や密禎の歩行術と言うべきか重心移動術の一種フェザータップ。
それを実践するものは多いが今のミル程、重さを感じさせない者を見るのは初めてだった。
さらにミルの舞うような独特の動きはデコイダンスと呼ばれる動きであった。
この事実はミルが既に密禎、盗賊として
奥義を極め尽くしつつあると言う証明であった。
場の状況を忘れた訳ではなかったが、ゼネテスはミルの成長を嬉しく思った。
そんなゼネテスの首に冷たい刀身が押しつけられた。
当然ビアトリスである。
その途端ミルの動きがとまり、唸り声を上げた。
「総司令は貴様のような下女が剣を向けて良い方では無い。
今すぐ返してもらおう、ならば命だけは助けてやる。」
ビアトリスは笑った。
「私が返すとでも？」
「力ずくで取り返すまでだ！」
ミルが片手剣アプクラサスを構える。
「それは無理というものですよ、貴方はとても疲れています。
それでもわれらと戦おうといいのですか？」
ミルの後背からはレルラが彼を狙っていた。
さらにミルはここまで飲まず食わず不眠不休で駆けてきている。
著しく不利である事は明白であった。
「…今は引く。だが覚えておけ、これからお前達に安息の時間は無いことを。
朝も夜もあらゆる時間俺はお前達を狙ってやる。」
それを聞いたビアトリスはくもぐった笑い声を上げた。
「フフフ、本当に良いのかしら、こんな所でまごまごして？
王都でこれから何が起こるか考えてみなさい、そしてそれを誰が指揮統率するのかを、ね。」
ミルの表情が強張る。
これからリューガの反乱が本格化する時、
そのクーデターを指揮するのはレムオンである。
レムオンが無能とは思わなかったが、実戦の経験は決定的に足りていない。
自らの私兵を完璧に統率できると言う保証は何処にも無かった。
「暴行略奪は避けられ無いでしょうね、そのとき貴方の大事なお姫様が無事である保証は？
あれだけ美しく高貴な方、略奪したいと思う貴族や傭兵が居て当然でしょう？」
「それでも、俺は…っ！」
ミルはうめいた。
ゼネテスはミルにとって父の死に際しての恩人であり、冒険者としての師であり、
個人としても兄のような存在であった、それを早々と諦める事は出来なかった。
「ミル、もう良い。お前はクビだ。」
ミルの声は意外な一声で掻き消された。
ゼネテスであった。
ミルは勿論、ビアトリスやレルラ、ユーリスまでも驚きの表情を浮かべた。
「何を言ってるんです！将軍！！」
「ファーロス家に仕える者に、お前のような無能はいらないってこった。
前にもカルラを一対一で逃しちまったしな。」
ミルは呆然としたが、ゼネテスの意図を汲みニヤリと笑う。
「将軍の命令ですが聞く必要はありませんね、俺はエリス王妃の直属。
貴方にクビにされる覚えは無い。」
ゼネテスは優しく微笑んだ。
「なら尚更王城に戻れ、叔母貴や愛しの姫君を初めとする王族の危機なんだぜ。」
「……………。」
まるでゼネテスは子供を、いや年の離れた弟をあやすように語りかける。
「俺なら大丈夫だ。俺は奇跡の名将だぜ？
こんな所で死ぬ訳ねぇだろ。」
「……………。」
「アトレイアを再び闇の中に突き落とすつもりなのか？違うだろう。
早くいけ、後悔しないうちに、今ならまだ間に合う。
俺なら大丈夫だ、今度会ったときは、朝まで飲もう。
お前さんに輝くものが残っていれば、それを目印に、俺は必ず戻ってくる。」
「ゼネさん！」
「じゃあな。ミル、さよならだ。」
そしてゼネテスはミルから視線を外した。
暫くの間の後ミルは心底悔しそうにビアトリスを睨み付け一瞬にして馬車から姿を消した。
ビアトリスはその速さに感心するとゼネテスに声をかけた。
「貴方のような人は好きよ。」
ゼネテスは答えず、口元に寂しげな笑みを浮かべただけであった。