竜を食む鳥
〜２０．脱出〜

　王宮秘密通路を進み、階段のある部屋まですすんだミルとルルアンタ。
「！」
「あっ！」
二人は階段の下で倒れ伏している二人の人間を見つけた。
一人は黒を基調とした服を着ており、もう一人は薄緑のドレスを着ていた。
ミルは声を元に戻すと、倒れている緑のドレスの人を抱き起こし名を呼んだ。
「アトレイア！」
聞き覚えのある声にアトレイアはゆっくりと目を見開いた。
そしてミルであると思っていた目の前に居る人間が
全く知らぬ人間であると知り驚きの悲鳴を上げた。
ルルアンタが口を押さえアトレイアに事情を説明する。
アトレイアは何度もミルの顔を見ながらその変装の見事さに感嘆した。
もう一人の女性をルルアンタが抱き起こす。
その女性もわりと軽傷であったようですぐにたち上がった。
「ミルっ？早かったのね。」
それは女狐エリスに仕える密禎の一人ヴァイライラであった。
「一体全体戦況どうなっているんだ？エリス様は？陛下は？」
ヴァイライラは事の概要をミルにはなした。
「エリス様はリューガの手に落ちたわ。」
「…」
ヴァイライラによると城内に雪崩込んだリューガ兵達は、
まずセルモノー・リューの身柄を手に入れることを優先した。
そしてあっさりとセルモノーはリューガに投降した。
むしろ自ら進んで、とも取れる行動であった。
その話しを聞きながらミルは拳に力を込めた。
素早い行動にさすがの密禎姉妹も動きが取れなかった。
そしてヴァイライラ、ヴィアリアリが分担してエリス、アトレイアを逃がそうと試みたが、
エリスのほうは失敗したとの事であった。
二人が何故この秘密通路に倒れていたのか、ミルはその疑問を口にした。
この質問にはアトレイアが答えた。
ヴァイライラがアトレイアの部屋にやってきた時既に、兵達が間近に迫っていた。
その上ヴァイライラ自身も怪我をしていたため簡単に逃げられる物ではなかった。
そこでアトレイアはミルがやってくる秘密通路を思い出したのである。
二人で体当たりをして抉じ開けたため、勢いあまって秘密通路の階段を転げ落ちてしまった。
とのことであった。
逆にミルも自分の知る限りの状況を話した。
両者ともゼネテスが捕まったと言う事に衝撃を受けた様であった。
四人は城兵の隙を見て王城を脱出、そのままロストールを出て近郊の森に姿を隠した。
「ミル。」
森の中でロストールの方角を何度も振り向くミルに、ルルアンタが声をかけた。
「お城、気になるんでしょ。行ってきなよ。」
ミルは驚いてルルアンタの顔を見つめた。
「こっちなら大丈夫、私もお姉ちゃんもいるし。」
ヴァイライラとアトレイアも頷いた。
ミルは再び城に戻った。

　城をくまなく探索した結果、エリスは地下牢に幽閉されている事が分った。
既にレムオンは王城を完全に掌握し勝利を確定させていた。
王を陣に引き入れた事によりレムオンの行動は正当化され、
このクーデターは王家を簒奪せんと企むファーロス家とエリスを
打倒するための必要悪とされた。
そんな状況下でエリスは地下牢に移されたのである。
ミルは慎重に地下牢へ移動し、警備兵の目を盗みそっと声をかけた。
「…エリス様、エリス王妃…」
「ミルか？」
ミルは頷いた。
「戦場からここまでこれほど早く戻ってくるとは…。大した物だな。」
ミルはエリスに現在の状況について報告すると、脱出を促した。
しかしエリスは顔を横に振った。
「ミルよ、ここまで戦場から何日かかる距離だかわかるか。それをお前はどれほど上回った。」
「……………」
「これ以上の無理をするな、良いな。可能な事も不可能にしてはならぬ。」
ミルはゆっくりと口を開いた。
「アトレイア様についてはお任せください。」
「うむ。」
最後にエリスは鉄格子を挟みゆっくりとミルを抱き寄せた。
「フリントの息子ミルよ。私はな、お前を実の息子のように思っていた。
私の見ることのなかった景色、私の代わりに見てきて欲しい。」
「エリス様…。私もあなたの事を母のように感じていました。」
泣きながら、名残惜しそうにエリスの元から離れるとミルは深深と礼をした。
「元気でな。」
その声を背に受けながらミルはその場を去っていった。
ミルはアトレイアを連れロストールを脱出した。
当面は危険を避ける為にドワーフ王国に向うつもりであった。
ヴァイライラは妹の消息を確かめる為に王都に帰り、三人の逃避行が始まった。

　自由都市リベルダム。
帝都エンシャント、ロセンとの三角貿易の一端を担っていた貿易都市。
ディンガル皇帝に迫害された者達が作り上げた商人の町。
大陸経済の中枢であったこの都市も青竜将軍カルラ・コルキアの手により陥落した際、
壊滅的な破壊を受け廃墟と見紛うばかりの無残な姿を晒していた。
そのリベルダムを中心に活動している組織がリベルダム解放軍であった。
もともとリベルダムを中心にしてカルラに滅ぼされたロセン王国の、
王族の血を引く唯一の生き残りクリュセイス・クロイスのもと
王国復活を目指す者たちの組織であり名もロセン解放軍と称していた。
しかしリベルダム陥落の際を境にもはや別の組織となっていた。
長のクリュセイスがリベルダム生まれのリベルダム育ちである事が大きく、
彼女にしてみればロセンの復活よりも目の前の廃墟と化した故郷の復興のほうが、
よほど重要と言うわけであった。
もちろんその路線変更に不満を持つ者も居たが、
現実として彼らの力はカルラに比べあまりに小さく、
目の前のことを一つ一つこなしていくしか道はなかったのである。
その商都に敗残兵をつれ入場してきた女が居た。
リューガの変の混乱から脱出したティナ・ミイスであった。

　ティナは難民たちが集まる宿営地に兵たちを待機させ、
自身はクリュセイスが隠れる解放軍本部に向った
この短い間青竜軍がリベルダム付近を通過するなどこの地域に緊張が走っていたため、
解放軍本部は忙しく動いていた。
その中に解放軍の長クリュセイスの姿を認めると、ティナは機会をまった。
ティナの存在に気が付いたのはクリュセイスの従卒であった。
「おう、ティナ。今戻ったか。クリュセイス様がお待ちかねだ。」
ティナがクリュセイスの前に進み出ると、クリュセイスはその表情を多少崩し微笑んだ。
長の責任の重さに耐えることが精一杯の今の彼女では、滅多に見せることの無い笑みであった。
もっとも殺意の篭った嫌な彼女の笑みならば、
奴隷剣闘士時代に嫌というほど見せ付けられているティナであったが…
「エリス王妃への援助の要請はうまくいったようですね。王家より活動資金が届いています。
実はあなたがロストールに向かって数日後に、王家から使者が参りました。
後方かく乱の件は無用だと。
どういうことかと尋ねたのですが、作戦上の秘密だからということで教えてくれませんでした。
ただ活動資金は送ると。…いったいなにがあったのです？」
クリュセイスの怪訝そうな瞳がティナに向けられた。
「エリス王妃に言われてロストール軍に参戦したんだけど、まずかった？」
「いいえ、そんなことはありません。やはりそうだったのですか…」
得心したようにクリュセイスは頷いた。
「実は既にロストール軍の中にあなたに似た将軍がいたと報告を受けていました。
それでもしやと…。」
クリュセイスは申し訳なさそうに顔を伏せた。
「…解放軍のために命を懸けてくださったのですね。
解放軍を率いる者として礼を言います。本当にありがとう。
…それとごめんなさい。危険な目にあわせてしまって…。」
「まぁ戦場も面白かったよ。」
ティナはテレを隠すように言い繕った。
「今回の任務では本当にご苦労様でした。ゆっくりと休んでください。
もう下がっていいですよ、皆さんも下がってください。」
三人が下がるとクリュセイスは窓により外を眺めた。

解放軍のアジトは山岳部にあり一帯は森に覆われている。
窓から見える風景もそれに準じたものであった。
その風景を見やる顔は今の今まで指揮をとっていた人物とは別の表情であった。
「解放軍を率いる者としてだなんて…。
わたくし、どうして素直にいえないの？
本当にわたくしかわいくない女だわ…。でも…。」
つぶやきと同時にドアを叩く音がした。
クリュセイスは再び長としての表情を取り戻すと入って良いと声をかけた。
入ってきたのは先ほど出たばかりのティナとそのパートナーであるセラであった。
クリュセイスはティナが他人には聞かれたくない要件を持ってきたと察した。
彼の口から出てきたのは王国でおきているクーデターについてであった。
とりあえず状況が確定するまで他言しないと打ち合わせると、
クリュセイスは不安そうな表情を今後について問うた。
ティナは即答しなかったが、ゆっくりと口を開き答えた。
「勝ったほうにつくしかないって、セラも言ってるし、
解放軍は弱いから、選択の余地は無いと思うな。」