竜を食む鳥
〜２１．火中の死戦〜

　ダランベールとビアトリス、両者の白刃がぶつかり激しい金属音とともに、
ビアトリスの身体が吹き飛びスラムの壁に叩きつけられる。
ダランベールはニ本の剣を構えつつゆっくりとビアトリスに迫る。
「脆い。脆すぎる。一体何を企んでいるのだ。」
「さぁ…一体何を考えているのでしょうね？」
次の瞬間ダランベールは跳躍した。
ただ跳躍したのでは無い、両の剣を持ってビアトリスの頭蓋を叩っ切らんとしたのだ。
ビアトリスも飛んだ。
横に飛びその剣を避けんとしたのだ。
くるりと飛びまわったビアトリスは左にファイア、右にゲイルの魔法を発生させると、
ダランベールに叩きつけたのである。
迫り来る二種の下位魔法。
ダランベールは大きく息を吸い込んだ。
彼の胸が怪しく膨れ上がる、そして口をこれ以上ないまで大きく広げた。
「かっ！」
周囲をビリビリとした圧力が支配し、魔法は消し飛んだ。
「気合で消し飛ばすとは…素晴らしいですわ。」
ビアトリスは恍惚の表情を浮かべ、それがまた剣聖の癪に触る。
ダランベールは再びビアトリスに飛びかかった。
ビアトリスが避けると勢いあまった剣聖は、凄まじい音とともに壁を叩き崩した。
ゆっくりと這い出すダランベール、その間にビアトリスは間合いを取り再び別の壁を背にした。

「魔法戦なら兎も角、近接戦闘においてお前が勝てる可能性は万が一にもないはず。
それがわからぬ竜殺しでもあるまい。何を企んでいる？」
にやりとビアトリスが笑う。
「因縁のある相手を一方的に嬲る気分はいかがですか？」
「なんの、話しだよ。」
「過去どうしようもなかった相手たちを
好きなように掌の上で踊らせるのはとても愉しい物ですので、ね。」
ビアトリスの顔は炎に照らされ妖しく染まる。
その表情から彼女が何を言いたいのか判別する事はダランベールには出来なかった。
「何を企んでいるんだよ、本当に何も無いというならば。
ここいらでお前を胴切りしていいか？」
「わかりませんか。私の武器といえば魔法に決まっていますわ。」
その細い顎から水滴が垂れていることにダランベールは気がついた。
火にあぶられた火中にあってそれは異常な事であった。
「この近距離で僕を葬るような魔法があると言うのかい。」
「一口に魔法と言ってもいろいろな種類があります。
下位魔法、高位魔法、複合魔法、治癒魔法、心理魔法、聖魔法、消滅魔法等々。」
ゆっくりとビアトリスは掌を後方の壁に押し付けた。
するとその掌は驚くべき事に壁に溶け消えてゆくではないか。
ゆっくりと辺りを見ますと彼女は言った。
「そろそろ良い按配になってきましたね。」
さらに体を次々壁に押しつけたのだ。
彼女の体がゼリー状に透明となり壁に溶けていく。
ダランベールは片手剣アイリーンをビアトリスに投げ付けたが手応えは既にない。
完全にビアトリス・リューガの体は消え去ってしまったのだ。
「インビジブルかっ！」
意外な魔法を使われ、思わずダランベールはうめいた。
ビアトリスが使用した魔法こそ下位魔法の一つインビジブルであった。
水膜で体を覆い尽くし視界から消えると言う恐るべき魔法であった。
しかし便利ではあるものの、あまり使用されることはない魔法であった。
別に本当に消えさる訳でもなければ、無色透明になるわけでもない。
保護色であたりと同化するだけの魔法であるからだ。
もちろん同じ場所に留まるなり、視界の悪い所ではそれなりに有効ながら、
魔法の難易度が下位魔法としては異常に高い、そして精神に対する負担がでかい、
などの弱点を抱えていたからだ。
さらに保護色で隠れるだけなため、このような立会いの際には向いていないのだ。
敵に集中しつつ移動し、その背景を模すと言うのは殆ど不可能であった。
ビアトリスはそれでもインビジブルを使った。
よほど自信があるのであろうことは容易に察せられた。

　上空で何かが炎を受け光った。
ダランベールは反射的に両の剣を交差させ上空からの一撃を弾き返す。
弾き返されたのは片手剣であった。
剣の主は一瞬姿を現したがすぐに地面に姿を消した。
ダランベールは舌打った。
インビジブルをここまで完璧に使いこなすとは素晴らしい技量であった。
次々壁から土から宙から剣の一撃が剣聖に襲い掛かる。
飛びかわしつつ弾き返しその猛威が一段落するまでダランベールは粘る。
そしてビアトリスの猛撃が収まると見るや、間を取り剣を鞘に戻した。
既に火はスラム全体に及び始めている。
その熱が容赦なくダランベールの体を蝕む。
それでもダランベールは肌の感覚を極限まで細め、ビアトリスの気配を追った。
ビアトリスは静かに己を完璧な保護色の中に沈め、
ゆっくりとダランベールの後背に迫っていた。
必殺の間合いとタイミングを計り勝利を確信する一撃を放つ。
それで終わりのはずであったが、次の瞬間彼女は凄まじい強力に腕を捕まれ、
大地が上になり空が下になる。
驚愕とともにビアトリスは自分が宙を舞っていると悟る。
ダランベールはビアトリスの確信による油断を見逃さず、
両の手に力を込め彼女の腕をつかみそのまま振り上げ、
大地に叩きつけて決着をつける算段であった。
しかしそうはならなかった。
彼女はダランベールから多少離れた場所に突如現れたのである。
今度は彼が驚愕する番であった。
両手が滑ったのであろうか？否。
ビアトリスが力づくで彼の手から逃れたのか？否。
手中から彼女の体が文字通りフッと掻き消えたのだ。

　ダランベールはゆっくりとビアトリスを見詰た。
「テレポートか。味な真似を。」
敬意と敵意が綯交ぜになった複雑な感情を込めて嘆息を漏らす。
テレポートはインビジブルと同じく下位魔法の一種であった。
そして同じようにかなり難易度が高い魔法である。
魔人たちはこの魔法であらゆる場所に瞬時に姿を現すことが出来る。
しかし人間はそうはいかず精々ちょっと移動できる程度であった。
ダランベールが驚いたのはこの魔法がやはり決闘の際には向かない魔法であったからだ。
「どこか」をわたり別の場所に姿を現す魔法だけに、失敗すればバイアシオンには戻ってこれない。
どうなるのかそれすらわからない、失敗して帰ってきた人間がいないからだ。
それだけに高い集中が要求される。
好んで使う人間すら少ない魔法である。
武器と武器が目と鼻の先で交錯するような状況下で即座に集中できる人材は少ない。
百戦錬磨のダランベールをしてもこの芸当が出来うる人材がビアトリス以外にいるとは思わなかった。
「面白いものを見せてもらった。」
「ありがとう、でもお代は安くないわよ。フフフ、踏み倒されないか心配。」
「代わり、にしてはチャチだけど今度は君が見る番だ！」
ダランベールは懐からなにやら拳大の玉のようなものを取り出した、
それをゆっくりと口元に寄せていった。
ビアトリスはそれが何か目を凝らす。
今の彼女には余裕が無かった。
竜殺しビアトリス・リューガといえど剣聖相手に接近戦は辛い物があった。
もちろん勝算があってこその戦いであるが、
いまはまだ粘り、必勝の機を待っている状態である。
「！」
ダランベールが胸を膨らませ息を激しく噴出した瞬間、
玉が弾け粘性を持つ複数の縄になり襲い掛かってきたのだ。
その縄はビアトリスの顎に張り付き、右手の絡みつき、両足を縫い付けた。
よくよく見ると縄はダランベールの手元に続いていた。
ビアトリスが必死にもがくも踏ん張りの利かない彼女の力では切ることはかなわず、
魔法で焼き切ろうとしても口が塞がれ思うように魔法が発動しない。
火にあぶられ熱を帯びているビアトリスの背に冷たいものが滴り落ちる。
「おやおやビアトリス、王都に住んでいるくせに特産の品を知らなかったのかい？
昔、自警団にいたころ皆で金を出し合って、よくこれを購入したものだよ。
束縛の糸…ひ弱な僕たちを支えてくれた魔法の糸さ。」
ダランベールが器用に糸を振りまわすとまるで意思を持ったかのように動き、
益々ビアトリスの体を複雑に締め付ける。
そのなかで彼女の得物、片手剣ファルシオンが音を立て大地に転がった。
それを見てゆっくりと糸をた繰り寄せるダランベール。
かろうじてバランスをとり倒れることを拒否するビアトリスに、
ダランベールは優しく語り掛けた、ただその言葉は優しさとはかけ離れたものであった。
いや同じであると言えるのかもしれない、
愛憎ともに相手を強く想うという点では同種の感情であるのだから。
「さて、まずは喉をもらおう。魔法を唱えることが出来ないように。
次は腕だね、武器をもてないように。そして足を断つ、逃げられないように。
その後はどうしようか。舌を抜き鼻を潰し耳を削ぎ目をくりぬく。」
じりじりと引き寄せられ両者の間合いが狭まっていく。
ビアトリスは何度も魔法を唱えようとするが、やはりうまく行かない。
それを見て微笑むダランベール。
「その口で魔法は唱えぬ方が良い。
でなければ、舌が糸に絡まり引き千切られてしまうよ。
最早僕の剣から逃れるは不可能、ビアトリスそうだろう？」
ビアトリスはさらに引き寄せられた、
そしてついにダランベールの手の届く距離まで接近した。
ゆっくりとダランベールは腕を伸ばし、
花でも愛でる様に優しくビアトリスの首に手を掛けた。
「まずは喉を潰す。」
ビアトリスは全身から冷たい物が噴出していることを理解した。

　しかしダランベールの手に力が込められる事は無かった。
ダランベールを矢の雨が襲い掛かったのである。
とっさにビアトリスから手を離し後ろに飛びのいた。
「くっ何奴っ！」
矢の飛んできた方向に目を向けるとそこには屋根の上子供が矢をつがえていた。
リルビーのレルラ＝ロントンであった。
次々放たれる矢にダランベールは後退を余儀なくされ、
さらに飛びのき物陰に姿を隠した。
その隙をどこに隠れていたのかチャカとユーリスがビアトリスに駆け寄り、
下位魔法で束縛の糸を焼切った。
「間一髪でリューガの令嬢の命を救うだなんて、
後で宮廷魔導師として三顧の礼で迎えられたりして！
いや駄目よ私はアカデミーに帰らなきゃいけないの！」
「助かったわありがとう。まさか時間稼ぎで殺されかかるなんて思いもしなかったわ。」
そして瞬時に三人の姿は消え、レルラの横に姿を現す。
ダランベールは物陰から千載一遇の機会を失った事を悟り、
激怒し歯軋りしたが最早後の祭であった。
それを上から見下ろすビアトリスと仲間三人。
「フフ、また剣聖貴方が見る番よ。金色の智者の恐ろしさを！！」
「世紀の大魔導師ユーリスと竜殺しの仕掛ける必殺の罠！」
二人は頷きあうと両の手に魔力を集中し始めた。
ダランベールは轟音とともにスラムの真中に巨大な竜巻が発生していく様を目撃した。

　その竜巻はレルラの矢雨の前に釘付けにされたダランベールへ円を描き徐々に接近する。
その中途建物を破壊し炎を取りこみ巨大な火柱となりながらダランベールに襲いかかる。
この竜巻は風の禁呪サイクロンであった。
風の巫女が東方の博士シャリにより誘拐された折、
その間隙を縫い三聖竜の一匹翔王を倒した彼女らはそのまま、
エルズの奥に進み風の祭壇にて精霊神プレシオーネと取り引きをした。
精霊神の力を封じる巨人を倒す代わりに精霊心の力の一部を手に入れると言うものであった。
見事巨人を打ち倒した彼女らが手にいれた力、それが風の禁呪であった。
見た事のない魔法に恐怖を覚えたダランベールは必死に飛び出し脱出を図る。
しかし竜巻は進路を微妙に変え逃亡を許さない。
その嫌らしい竜巻の動きと矢に動きを封じられたダランベールを驚愕が襲う。
いつの間にかニつに竜巻が増えていたのである。
ダランベールは屋根にいる四人を睨む。
するとビアトリスの両の手から強力な魔力が迸っているのがわかった。
そうこうしているうちに更に竜巻は増えていき四つを数えるまでとなっていった。
竜殺しの横にいたユーリスも殆ど同じ魔力を発していたのだ。
禁呪をビアトリスとユーリス、二人の魔法使いがそれぞれデュアルする。
四つのサイクロンをもってしてスラムごと剣聖を「確実」に葬り去る。
これこそが竜殺しビアトリスの罠であった。
凄まじい轟音が四方からダランベールに襲い掛る。
それぞれ火柱となりじりじりと迫ってくる。
ダランベールは覚悟を決め障害物の裏から一気に駆け逃亡をはかった。
「ビアトリス！」
「いくわよ！」
ビアトリスが手を叩くと同時に四つの竜巻はダランベール目掛け殺到した。
凄まじい悲鳴を残しダランベールは渦の中へ姿を消した。
四つの竜巻は合流して一つの巨大な竜巻となり炎を空に巻上げていった。
「私より貴方が逝った方がアイリーンも喜ぶはずよ。さよなら、エルメスさん。」
それから間もなくビアトリスは、三人を引き連れスラムをすっと後にした。