竜を食む鳥
〜２５．死神皇帝ザギヴ〜

　茶色の髪をした小柄な娘がとことこと机に近づき、
書類の山を興味深そうに覗き込んだ。
「ベルゼーヴァ元気？最近すごい頑張ってるんだって？」
その声にベルゼーヴァはゆっくりとその面を上げた。
ベルゼーヴァの顔に絶句し、後ろへ思わずティナは後ずさった。
相変わらずころころと表情が変わる娘だ、とベルゼーヴァは思った。
「ぇぇええええ…ねぇちゃんとご飯食べてる？
睡眠時間とってる？もしかして自殺志願？」
それほどベルゼーヴァの顔はやつれ、艶というものが失われていた。
それは顔だけではない手や髪なども同様であり、
黒いディンガルの制服とベルゼーヴァが持つ鋭い印象を併せ
地獄から這い上がってきた死者を想起させた。
「ああ、君か。この私になんの用だ？
他愛のない話なら後にしてくれ、私は見てのとおり忙しい。」
「そういいなさんな。どうせ普段女っけないんでしょ？後、これお土産ね。」
そういうとティナは懐から二つの袋を取り出しそのうちひとつを適当な所に置いた。
ベルゼーヴァは一瞬目をやりすぐに机の上に戻す。
ティナが来てから若干決裁の速度が落ちている、彼女の話を聞く気はあるようであった。
「お茶ね。ルーマティー。美味しいよ、安いけど。」
「人に贈る物を安いとか言わないほうが良い。話は変わるが、そうだな…。
君は知っておいた方がいいだろう。」
ベルゼーヴァはティナに聖と闇の禁呪の話を始めた。
ティナの才能にベルゼーヴァは期待を寄せていた。
人類の革新を成し遂げられる可能性を持つ人材、と言う評価を彼女に下していたのだ。
もちろんネメアによって人類の革新が成し遂げられるのは間違いない事なので、
ネメア以外に成し遂げられる人材がいてもベルゼーヴァとしてはあまり関係ことではあった。
話が終わる。
「気が向いたら、また顔を出してくれ。」
「はいはい、じゃね！」
ティナは入ってきた時と同じ様に、トコトコと出て行った。
しかし一度閉められたはずのドアがまた開き、再びティナが顔を出した。
「ベルゼーヴァ、ザギヴについて何か知ってる？今日会えなかったんだ。」
「ザギヴ？知らんな。気をつけることだ。見た目では判断できぬ女だからな。」
ティナは不愉快そうに口を窄め再び姿を消した。
己以外誰もいなくなった部屋の中で一人呟いた。
「ネメア様が…姿を消され、ザギヴが残った…。
これは何を意味するのだろうな。」

　次にベルゼーヴァが休憩を取ったのは夜もだいぶ更けてからであった。
ふと、ガラスに映った自分の顔を見て呆然とする。
「これが私か、酷いな…冴えない顔だな。」
生気というものが感じられない。
これでは近いうちに倒れてもおかしくはないといった感じであった。
流石に宰相が過労で倒れては動揺は小さくないであろう。
言いたい放題言ってくれたティナの言葉を思い出した。
そして机に無造作に置かれたままになっているルーマティーを手に取った。
慣れない手つきで紅茶をいれる、思った以上に美味い。
「美味いな。」
ティナの紅茶の見る目は確かな様であった、
最もベルゼーヴァとしては紅茶選別程度に才能を浪費しないでもらいたいところではあったが。
カップを洗う為に廊下に出るとベルゼーヴァは妙なことに気が付いた。
玉座のある謁見の間に薄明かりがついていたのである。
ベルゼーヴァは嫌な予感を胸に謁見の間へ急いだ。
彼が謁見の間に姿を現したとき謁見の間には二人、人がいた。
薄闇のなかに幽かな光を浴びうっすらと浮かび上がるその姿。
一人は玉座に身を置く深い皺をたたえた坊主頭の老翁。
一人は入り口近くで立ち尽くす帝国の制服を着た若い女であった。

「ゾフォルっ、そこを退け！その席はネメア様の席だ！
ザギヴ、貴様もなにをしている、奴を野放しにするつもりか！」
ベルゼーヴァは彼らしくもない、激しい怒りの感情を表し前に進んだ。
ザギヴはベルゼーヴァなど眼中にはいっていないのごとく微動だにしない。
ベルゼーヴァは玉座の前に進むと、下からゾフォルをにらみつけた。
「ベルゼーヴァか、宰相じきじきの見回りとはご苦労な事だな。」
両の腰の剣をゆっくりと抜き放つ。
刃が流れ星の尾のように残像を描いた。
「ほざくな妖術宰相。ここで貴様を討ち果たすなど造作もないこと。
ネメア様の障害を取り除いてくれる。」
二刀を構えるベルゼーヴァを見つめ妖術宰相は嘆息するように、悲しむように息を吐き出した。
「……………。これも運命。帝国の柱石、墜ちたり。」
「何？」
ベルゼーヴァは胸に燃えるような痛みを感じた。
ゆっくりと視線を胸に落とすと、そこには真っ赤に血塗られた手があった。
手刀がベルゼーヴァの胸板を容赦なく刺し貫いていたのだ。
「他者にした忠告、己が忘れるとはな。見た目では判断できぬのではなかったのか？
無防備な背を見せた段階で、この結末見えていた。」
ゾフォルは諦念にも似た表情のまま首を横にふった。
吐血し、びくんびくんと断末魔に震えるベルゼーヴァに言葉が聞こえた。
それは女の声だった、しかし酷く醜い声であった。
「破壊神円卓の騎士がひとり、マゴス。」
ベルゼーヴァは肉体に鞭打ちゆっくりと振り向いた。
そこにはザギヴが居た。
玄武将軍ザギヴ・ディンガルがベルゼーヴァを刺したのだ。
その顔には笑みが浮かんでいた。
会心の笑み、それでいて暗い愉しみを感じさせる笑みであった。
ベルゼーヴァがこちらを見ていることに気が付くと、美しい顔が大きくゆがんだ。
「俺だよ、オ・レ！マゴス様だぁ！
油断し過ぎだぜぇおい、宰相さんよォ！
あの女はもういねぇよ。これでこのカラダは俺のモンだ！ギーヒッヒッ！」
ザギヴはベルゼーヴァを吊り上げ、胸に手刀を何度も突きたてた。
「やぁーっと俺は本格的に活動できる！おれはよ、ベルゼーヴァ。これでもお前に感謝してんだ。
ありがとよ。お前がいろいろこの女のこと吹聴してくれたお陰で俺は随分と楽になったぜ。」
ベルゼーヴァは答えない、そればかりでなくピクリとも動かなかった。
「なんだもう死んだのか。」
「そのようじゃな。」
「せめてもの礼にマゴス様の恐怖のフルコース、とくと味わえってもらおうと思ったのによお！」
ザギヴはベルゼーヴァを外に投げ捨てると玉座に座った。
それが合図のように謁見の間の空間を裂き次々三人の闇の伝道師たちが現れたのである。

　まず布を纏い奇妙にねじれた杖を持った長い銀髪を持つ青年現われ名乗りを上げた。
「救世主エルファス。」
次に姿を見せたのは独特な、バイアシオン大陸ではほとんど見ない服装をした少年。
「東方の博士シャリ。」
最後に現れたのは薄汚れたローブに身を包んだダークエルフの男だった。
「黒の祈りジュサプブロス。」
そして玉座の横に立つゾフォルを合わせた四人が秘密結社システィーナの伝道師のメンバーであった。
四人の姿はそれぞれ向かい合う。
薄闇のなかに幽かな光を浴びうっすらと浮かび上がるその姿。
それは四つの鬼火が謁見の間に浮かび上がっているかのようであった。
「諸君よく集まってくれた。
紹介しよう、ここにおわすはエンシャントの新皇帝ザギヴ・ディンガル陛下だ。
ディンガル家の正統な後継者であり、強大な闇の力を身中に宿しておる。
闇の世を治めるのにふさわしき皇帝よ。四つの予言はこれですべてなった。
ウルグ様復活の計画はまったくもって順調にすすんでおる。」
ゾフォルの発言を受け、ジュサプブロスが満足げに頷いた。
「破壊神復活の前夜祭まであと少しといったところか。
それにくらべて…空中都市は大失敗だったな。」
「竜王に撃墜されたならならまだしも闇の聖母の封印を守る巫女が１人も死ななかったばかりか、
逆に１人が封印の守りに入ってしまった。シャリ、どうするつもりだ。」
エルファスも同調した。
「ジュサぷー、エルファス。メンゴ。」
「誰がジュサぷーだ。少しは反省の色を見せてくれ。」
「許してよ。ま、頼んだ冒険者が誘拐任務中、
いけにえにするエルフに手ェつけて自殺させちゃった人もいるわけだし。」
「……………。」
エルファスは苦りきった表情を浮かべたが何も言わなかった。
「まったく、満足に仕事もできない素人なんかに頼むから…。これ、どーするのよ？」
「大丈夫。その姉が闇におちていい感じなんだ。
死の獅子のもとで修行も積んでな。きっと邪竜復活に使えるはずだ。」
「ここはひとつ、俺も救世主の邪竜アズラゴーザ復活計画に協力するか。」
「邪竜アズラゴーザねぇ…。僕、あんまし、竜とか偉ぶったのは好きじゃないな。」
「あのな、俺たちの計画は俺と君、ゾフォルの爺様に、救世主。たった４人で切り盛りしてんだ。
君も作った人形を使って、遊んでいる暇があったら、もっと働けよ。」
「ちょっと、悦にはいっていただけさ。案外、固いこと言うんだな。」
シャリはパチリと指をならし、闇の王女を呼び寄せた。
純白のドレスに映える美しい金髪、それに比してまったく表情というものがない顔。
そのコントラストは異様であった。
シャリが闇の王女の金髪を玩びながら言った。
「これの出番は前夜祭のあとだね。前夜祭はたのんだよ。」
「うむ。前夜祭はザギヴ・ディンガル陛下の領分、
闇の世を治めるのにふさわしき夜になるであろう。」
それを聞きザギヴは口が耳まで裂けんばかりに、にたぁぁぁぁと笑う。
「その時こそ陛下は恐怖とともに呼ばれるであろう。そう、死神皇帝と、な。
世界の破滅までほんのあと少しじゃ。諸君、頼んだぞ。」
三人はゆっくりと頷いた。
エルファスが姿を消し、ジュサプブロスも闇夜に姿を消した。
「シャリ、邪竜が起きたら見物に来るといい。人形遊びよりは、退屈しのぎになる。」
去り際にジュサプブロスが言った。
「楽しみにしてるよ。ジュサぷー。じゃあね、ゾフォル爺さん。」
伝道師たちがすべていなくなると謁見の間には静寂が訪れた。
ゾフォルは帝国宰相が投げ捨てられた窓によると、その下を見下ろした。
そこには黒々とした濃密な闇が広がっていた。
その下にベルゼーヴァ・ベルラインの死体が転がっているはずであった。
「惨いものだな。そのまま死ぬことができれがどれほど楽な事か。これも、運命か。」

　青竜軍という敵を失ったロストールは混迷を極めた。
朱雀将軍アンギルダンに続いて、青竜将軍カルラまでも撃退し、
ロストールを守った救国の英雄ゼネテスがレムオンの陰謀により、
無実の罪で捕縛され、処刑されたのだ。
ファーロス家出身の王妃と対立しているレムオンは、ファーロス家の権力が、
このことで決定的になる　ことに危機感を抱き、クーデターを起したのである。
これには彼の出生の秘密の暴露が隠されていたがその他大勢には預り知らぬ事であった。
一方ディンガル帝国ではネメアが死んだという噂が流れると、
ザギヴ・ディンガルは宰相ベルゼーヴァを殺し帝位についた。
バロル帝時代に妖術宰相ゾフォルが予言した「ザギヴが将来ディンガルを支配する」が
まさしく的中したわけである。
その瞬間帝国は分裂した。
時代は、人々の望む望まざるに関わらず着実に、混沌の度合いを深め続けている。
平穏な時代を人々が想像できぬほど、希望は遥か彼方であった…。