船幽鬼

「フフフ、来たか。死の獅子よ。」
「千年を見通す風の巫女よ一つ問う。私は運命から逃れる事ができようか。」
「よかろう、汝に教えようぞ。そなたに破壊神が宿る…。それは抗えぬ運命だ。」
「破壊神は復活させぬ。」
「無駄な足掻きを。相手が運命であっても戦うと言うのか。」
「運命が復活させようとするなら運命を叩き伏せるまでだ。」

　バイアシオン大陸から見て南に位置する島嶼国家エルズを船は出航し、
バイアシオン南端の街アミラルを目指していた。
その船の先端に分厚い黒鎧を着込み、身の丈を越える禍禍しい槍を持った男が立っていた。
眺める先には徐々に姿を小さくするエルズとその脇にそびえるラミリーの偉容がある。
固い表情からは何を考えているのか伺うことは不可能であった。
長身に長い金髪を風に靡かせる様はまるで黄金の獅子の様に見える。
男がなにものが察した者は例外なく畏怖と敬愛の眼差しを男に送っていた。
四人の仲間とともに魔王バロルを倒し世界を救った、
勇者ネメア・ランガスター・ディンガルその人であったからだ。
その他にも実の叔父であり現在のディンガル皇帝エリュマルクから課せられた、
１２の難事をすべてやり遂げるなど既に生きる伝説呼んで過言ではない存在であった。
「ねぇおじちゃん。」
ネメアは振り向き目を下に降ろす。
そこにはまだほんの小さな少年が下から見上げていた。
「おじちゃんって勇者様なんでしょ？やっぱり強いの？」
ネメアは頷いた。
「じゃあいろんな冒険したりすんの？」
「あぁ、聞きたいかい？」
「うん！」
そして様々な話をねだった。
ネメアは甲板の段に腰を下ろしゆっくりと自らの武勇伝を語る。
少年は目を輝かせ聞いているといつの間にやら
様々な人が集まりネメアの話に耳を傾けていた。
話が一区切りつく頃には風も冷たくなりあたり一面も暗くなりつつあった。
集まった人々も解散しネメアと少年だけが残る。
少年も母親と思しき女性に呼ばれていた。
ネメアが君も早く戻りなさいと言おうとすると、少年は小さく囁いた。
「ねぇねぇ、ボクもどうやったらおじちゃんみたいに強くなれるの？」
その母親と思われる女性は腹が膨れている、つまり妊婦であった。
ネメアは微笑むと少年の頭を撫でた。
「まずは今やらなければいけないことをしっかりやり遂げなさい。
例えば君の母親に心配をかけてはいけない、危険だ。」
そして大きな手で少年の背を叩いた。
「もう暗い船室に戻りなさい。」
「おじちゃんありがとう！」
「どういたしまして。」
たとたとと少年は母親のもとに駆けて行った。
母親はネメアに深深と礼をすると少年と手をつなぎ船室に消えていった。
だが一つだけネメアは意図して少年に語らなかった話がある。
思い出すたびに複雑な感情を呼び起こすそれは心に刺さったままの棘のようであった。
暗殺集団の告死天使を操る地下宗教組織、施文院。
その大神官を誘拐する１２の難事最後の偉業について彼は語りたがらなかった。
少年を見届けた後ネメアは海に目をやる。
最早あたりの視界はわるく闇の向こうに何があるのか、
いくら目を細めてみても判別することは不可能であった。
「嫌な海だ…」
一言呟きネメアは身を翻し船室に消えて行った。

　殆どの者が寝静まった深夜。
ネメアの鋭敏な神経は徐々に高まりつつある闇の気配を感じ、意識をゆっくりと覚醒させた。
鎧を着込み得物を握り部屋の外にでると、なんとも言いがたい闇の気配を感じた。
周囲に目を走らせると廊下の角に立つ女性を捕らえた。
石膏のように生気が抜けたつやのない色白の肌、
一見うら若い娘のようにも見えるが異様な老齢のようにも見えた。
そして美しい、現実感というものを超越した魔性を感じさせる。
闇に身体を溶かしつつ己を遠くから見つめる光景は幻想的ですらあった。
女性との様々な意味で距離を図りかねるネメア。
ネメアを見つめながら女性はゆっくりとその指で天井を指し示すとゆっくりと闇に姿を消した。
「甲板に行けと？」
ネメアは甲板にでると縁から身を乗り出しあたりに目を光らせる。
あたりに充満する濃厚な闇の気配を感じた、
だが闇の気配があまりに一面に広がっている為どこから闇が漏れ出ているのかすらわからなかった。
船員の一人がネメアの行動を見て声を掛ける。
このあたりの海は静かですよ。そういうつもりであった。
たしかに最も西よりの航路とはいえ定期便が出ている航路である。
海賊などはでるもののそれほど、ネメアが警戒するほどの危険は考えにくかったのだ。
しかし結局船員からその言葉が発させられることはなかった。
「来るなっ！水の魔法だっ！！」
「へ？」
細い筋のようなものが船員の頭部を貫いた。
その刹那ネメアの視界を巨大な大波が覆い必死にネメアは船にしがみつく。
凄まじい轟音とともに大波が暴れ狂い甲板に居たものすべてを洗い流してしまった。
大波が去った後残ったのは雲霞の如く現れたシーピジョップ、セイレーンらの海の魔物であった。
いちはやくネメアは魔物たちの群れに飛び込むと存分に破滅の槍を振るう。
槍が一閃するたびに魔物の体は両断され死体の山を築いていく。
ネメアの耳に船の船室から悲鳴が聞こえ、思わずそちらを向いたネメア、
だが一歩たりとも動くことは出来なかった。
その広い背に心の臓を鷲掴みにされたような強烈な殺気を感じたのだ。
先程まで暴れまわっていた怪物たちもピクリとも動かなくなった。
殺気は辺りをも支配していたのだ。
まるで闇の中から肩越しに手が伸び首に纏わり絞め殺するかのごとしであった。
それは焼ける様に熱かった、そして同時に凍える程冷たい様にも感じられた。
ゆっくりとネメアがふりかえるとそこには槍を持った男が立っていた。
思わずネメアは息を呑み、その肺に肉体が許す限りの空気を吸い込んだ。
黒い鎧をきた男、その全身から放たれる闇の闘気。
まさしく魔人と呼ぶにふさわしいものであった。
「バルザー！！！！！！！」
爆発音のごとくネメアの咆哮が響き渡った。
海上で起きた音の暴発と言えるような大音声であった。

　…ネメアはバルザーと武器を構えしばし向かい合いながら、言いようのない違和感を感じた。
相手の外見は黒々とした髪を後ろに流していた。
おそらく長くなればそれは黒獅子ともいうべき、鬣に似たものとなるであろう。
その表情はネメアに似て精悍そのものであった。
どこを見てもネメアの知っている魔人バルザー、のはずであった。
しかし何かが違うとネメアは感じていた。
「！」
ネメアは違和感の最もたるものに気が付く。
それは槍であった。
バルザー本来の獲物、破滅の槍は現在ネメア自身のものだ。
先日ネメアがバルザーとの決戦に勝利し奪い取ったからだ。
それにもかかわらず目の前にいるバルザーは破滅の槍を装備していたのだ。
突如ネメアは現実に引き戻された。
バルザーの持つ槍の穂が巨大な金属の盾となってぐぅぅぅと迫ってきた錯覚を覚えたのだ。
事実いつの間にかバルザーが両者の間合いに入り込もうとしていたのである。
槍が流星のように光り、刃が金属音を響かせ衝突する。
その反動に負けネメアは船室の壁に叩きつけられた。
バルザーが一瞬だけ早く動いた勢いが差を生んだ。
大上段から振り下ろされた槍がネメアに襲い掛かる。
ネメアは辛うじて横に飛び、体を捻りながら力の限りバルザーの頭蓋を断ち割ったのだ。
その壮絶な一撃を受けバルザーは糸の切れた人形のようにまっさかさまに海へ落ちていった。
息を整えつつその血を拭う。まだ船室のほうで戦いは続いている。
そちらへ一歩ふみだした瞬間ネメアは何かに体が吸引される感覚を持った。
次の瞬間には有無を言わさずネメアの巨体は船の縁に引きつけられたのだ。
ネメアは体を這う二つの腕に気が付きぎょっとした。
それは明らかにネメアを海中に誘う死の腕であった。
勇者、冒険者の神など讃えられるネメアであったが、重装備のまま海中に落ちれば命はない。
「あの人には手を出さないで…」
ぎりぎりと鎧がきしむの強力に抗するネメアの耳にはいる聞き覚えのある言葉。
ネメアが驚愕とともに後ろに目をやると、見知った女の姿があった。
先ほど廊下の角に立ちネメアに注意を促した女性と同じ容貌であった。
しかし屈託なく楽しそうに笑っているその顔はネメアが始めてみる娘の表情であった。
「一緒に、いっしょにいきましょうよぉぉぉぉぉぉぉっぉぉぉぉ！
二人で、私とに楽しく暮らしましょうよぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉ！」
女の名はイズと言った。
昔、ネメアが皇帝エリュマルクの命により無理矢理にその身を奪った施文院大神官であった。
イズは皇帝の妻とされ最後はネメアと通じた罪でエリュマルクに処刑されていた。
女をかどわす不名誉に加え、ひとりの女性に決して幸せでない最期をとげさせた、
それは決して許されることではなかった。
ネメアは歯を食いしばり耐えるがイズの手はネメアの力を遥かに凌ぎ海中へ誘う。
抵抗するネメアが腕を振ればイズの腕が追い、足が動けば足が追う。
次々イズの柔肌がネメアに絡みつき、最早振り解くは不可能なまで複雑に巻き付いていた。
縁にぶつかり折れ曲がる背骨は危険な角度に折れ曲がり悲鳴を上げる。
声ならぬうめきが響くなか両者の死闘は何時果てるともなく続く。
だがネメアが屈するのは最早時間の問題であった。
枯れ葉がネメアの体に落ちてしまえばネメアの体は暗海の中に吸い込まれた、
であろうほどネメアを追い詰めたイズの力が急に抜けた。
ネメアはそれが何を意味するのか考える間もなく、
一瞬にして振り解き体を入れ替え、槍を横一文字に薙ぎ払い首を刎ねた。
ごとりと落ちた首は音をたて蒸発を始めた。
それに背を向けネメアは歩き出した。
強烈な疲労が残るがまだここは戦場であった。
声が響いた。
「それは抗えぬ運命だ」「ムダだ。運命は変わらぬ」
「そんなこと言うから、運命が敵に…」「う…」
首が、誰でもないようでまた誰でもあるような声でうめいたのだ。
只一つ確実なのはその声はイズの声ではなかったことだった。
「運命。受け入れられぬ運命であれば私はこれからも戦い続けるであろう。」
ネメアは大きく飛翔すると魔物の群れの中に飛び込んだ。

　夜が明ける頃、魔物の死体の山の中ネメアは一人佇んでいた。
返り血を滴らせながら朝日の中に立ち尽くす姿は神々しさすら湛えたものであった。
船室から無事だったものが口々にネメアの名を叫びながら甲板に姿を現した。
ネメアの取り巻く輪の中からいつぞやの少年がネメアに勢いよく抱き付く。
「おじちゃーん！僕お母さんを守る為頑張ったよ！」
「よくやったな。困難に負けてはいけない、これは私との約束だ。」
ネメアは優しげな微笑を浮かべ、少年の頭を撫でた。



『夢幻囚人』冷月様、桃雪みゅのん様へ贈呈させていただきました。