自由への戦い

　風の神殿竜の座。
逆光の中、一人の剣士が男たちを引き連れ竜の前に姿を現した。
背に身長を遥かに超える両手持ちの剣を背負う重装の剣士だった。
「愚かなり…。我が警告を無視するとは…。」
竜はその姿を見るや、その首をもたげ、巨大な両翼をゆっくりとひろげてゆく。
思わず竜を見上げる剣士の周囲を固めるのは歴戦の風格を持った三人の男たちだった。
無限の魂のもとに集った真紅の戦匠。剣狼。炎の刀工。
虚空の王者と呼ぶにふさわしい、実に夢魔的な恐るべき姿に立ち向かう、
バイアシオン大陸随一と呼ぶにふさわしい漢たちであった。
竜が咆哮する。
「竜はいかなる時も真なる言葉しかはかぬこと、その身をもって思い知るがよい。」
竜が宙に舞う、それを合図に戦士たちは一気に散開した。

　それはまさに死闘というべき戦いだった。
竜のブレスは猛火の雨となって神殿の床もろとも戦士たちを焼き尽くした。
戦士たちの魔法は竜の腹を撃ち、剣と斧は電光がひらめくかの如く翼を切り裂いた。
急速に発酵されてゆく殺気に四方から襲われ常人ならば、
気死するような空間の中で汗にまみれ血にまみれながらただひたすらに戦い続けた。
まず二人倒れた。
渾身の力を込め竜の体をくの字に折り曲げ放たれたハイスペル・ライトアロー。
地平まで届くかと思われるほどの極太の光線が、赤鎧の老戦士目掛け死神の鎌を振り下ろす。
そのとき極度の緊張と疲労が、老人の体を蝕み足を地面に縫いつけてしまったのである。
「とっつぁん、いけねぇ！」
剣狼と呼ばれる偉大な剣士が、人望厚き老戦士を庇わんと飛び掛った。
だが光はそのまま二人を無情にも飲み込んだ。
次に倒れたのは炎の刀工であった。
竜のはばたきにより風圧を刃と変え全方位から襲う、ソニックストーム。
彼は尊称に恥じぬ強烈な斬撃と引き換えに、全身から血を噴出しながら腰から崩れ落ちた。
残るは無限の魂ただ一人。
漢たちとて一方的にやられていたわけではない、竜もまた傷ついている。
竜、翔王。
無限の魂、リンネ。
竜も人も限界を迎え、戦いは最終局面を迎えつつあった。
翔王が突如大きく飛び上がり、何度も何度も力強く羽ばたきだす。
吹き荒れる風がリンネの全身から放たれる闘気にぶつかり弾けていく。
そこまで溜め込んでいた物全てを吐き出すかのごとく翔王が巨体を揺らし動きだした。
なんと身そのものを武器に変え無限の魂目掛けて襲い掛かったのだ。
翔王に比べあまりに小さな人間に翔王の体当たりが当たるはずもなかったが、
超低空高速飛行の衝撃波を受け無限の魂の視界が一瞬にして反転する。
翔王は神殿を突き抜けラミリー山の周囲を優雅に旋回し次の機会をうかがう。
リンネは「ギガバースト」と呟き、恐るべき闘気を剣に込め頭上に構え迎え撃った。

　風の巫女エアが空間を割り竜の座に姿を現した時、まさに両雄が交錯する一瞬であった。
エアの目の前でゆっくりと翔王の巨体が大地を滑り抜く。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ！！」牡牛の吼えるような声を放ちながら
リンネも獲物を渾身の力を込めて振り抜いた。
そして軽々と無限の魂の肉体が空に吸い込まれ、派手な音をたて大地に叩きつけられる。
思わず悲鳴を上げたエアの背後で轟音が響き渡った。
「無限の魂…見事だ…。」
その言葉を最後に翔王が空から落ちたのだ。
「翔王様！」とエアが駆け寄ってくると翔王はぼそぼそと口を開いた。
「エアか…？我が小さき娘か…？見よ、我は死ぬ。」
駄々をこねる子供のように首を振るエアを翔王はあやす様に優しく語り掛ける。
翔王の傷は無残なもので、腹は縦に切り裂かれていた。
明らかに致命傷といえる傷だった。
「見よ、無限のソウルを持つ者を…。汝にすら、すべてを見ることあたわざる者を…。
希望は…ある…。どんなところにも絶望さえしなければ希望はあるのだ。
風の巫女よ…風になれ。お前の母たちが逃れたいと願っていた地獄のくびきから逃れよ…。
この者ならば、お前を縛る鎖をも軽々と引きちぎるだろう…。」
仲間達を起こしながら近づいてくる無限の魂をエアは見た。
エアは真っ直ぐにとリンネを見つめ、リンネもエアを見つめ返す。
翔王はそれを見て満足げに続けた。
「我は翔王と名乗りながら、すべてが自由にならなかった。
この巨大な翼も竜王の束縛を振り切ることはできなかった。
だが、死に臨んで我は自由だ。風よ、小さき娘よ…。
お前も…自由に、なるのだ…。」
「翔王…様…。」
うなだれるエアを抱き寄せるリンネ。
その二人をはじめとする五人に忘我したかのような翔王の声が響いた。

　「そうだ。我はついに振り切った。竜王の束縛を…死に臨んで振り切ったのだ！」
首を天高くまっすぐに伸ばし羽を全開にすると翔王は飛び上がった。
凄まじい烈風の中でエアが翔王になんとか縋ろうとして取り押さえられる。
もがくエアを押さえつけるリンネの耳に、
仲間の「まだあれだけの力が残っておったのかっ？！」という声が飛び込んだ。
神殿を飛び出した翔王は風に乗りエルズの町並みや神殿、ラミリー山を眼下に見下ろす。
その飛行は信じられぬほど爽快な、気持ち良いものだった。
「竜王の束縛…とは、地獄の…くびきとは、これ程までに重かったのか…。」
何度も何度も軽やかに翼を動かしぐんぐんと加速する。
エルズから未開の森を抜け、しぶきの群島を通り、再び大洋にでる。
そのままひたすらにとんでいく翔王の魂はかってないほど高みに上り詰めていた。
既にバイアシオン大陸は水平線の彼方に消えて見えなくなっていた。
「この翼でどこに行こう…海か？山か…？我は振り切った…のだ。
まだ…見ぬ大陸がいい…。この巨大な翼さえあれば…どこへでも行ける…。」
翔王は飛んだ、命尽きるまで飛び続けた。
どこで翔王が落ちたのかは誰も知らない。

　翔王は力の限りをこめて飛び去り、皆その方角を呆然と眺めている。
エアが力なく床に崩れ落ち泣いていた。
声こそ出してはいないが、肩を震わせ泣いている。
誰かがつぶやいた。
「…竜の強さはあんなものではない。
翔王はお前に倒してもらいたかったんじゃな…。」



『文和堂』文和様へ贈呈させていただきました。