竜を食む鳥
〜２７．ナッジの決意〜

　バイアシオン大陸の北西、
大陸屈指の標高を誇る山の斜面を繰り抜き作られた町がアルノートゥンである。
その歴史は古くディンガル帝国が成立するより前に大陸に覇を唱えていた、
神聖王国アルレシアの時代から存在しているノトゥーン神官たちの町である。
その町もディンガル帝国の白虎将軍ジラークの攻撃を受け凄惨な戦いの末陥落。
いまは白虎軍の根拠地となっていた。アルノートゥンの麓には広大な宿営地が築かれ、
陥落以前とは随分と印象の違う風景を作り上げていた。
ザギヴの即位に対し、カルラとならんで真っ先に対抗する意志を見せたのがジラークである。
ザギヴの正統性に疑問を呈したカルラに対し、
ザギヴはネメアの意志を継いでいないとジラークは訴えたのである。

　ある夜、ナッジは仲間たちをリンネのテントに集めた。
そしてジラークとともに手勢を率い、リンネのテントを遠巻きに包囲したのである。
一方でナッジからの呼び出しを受けた三人はなんの疑問も抱かずに、集まってきた。
「エステルぅ…この薬、いつもより臭いと色が変だと思うんだけどよ。
今回は、無し、にしないか？」
「いくら美味しくないからって、子供みたいな情けないこと言わないの。」
「お前だってこの前一口含んだだけで、ぴゅーって、テントから走りさっちまったろーに！」
「あのねぇ、キミは病人でしょ。ぶつくさ言ってないでさっさと飲みなよ。
この前だってボクに隠れてお酒飲もうとしてたし…。もう少し体を大事にしてよね。」
「へいへい。わかったよ。」
テントでは寝台に身を横たえているリンネのまわりに、仲間であるヴァンとエステルが集まり、
突然の呼び出しに疑問を抱きながら、その当人の登場を待っていた。
リンネは背はそれほど高くないが、生粋の戦士らしく引き締まった筋肉と、
がっしりとした良い体格をしていた。
まず見る者の目に飛びこむのは燃えるような赤い髪であるが、
次の瞬間には歴戦を物語る数多くの傷が見る者を威圧する。
そんなリンネも病は最近ますます重く、
日によってはまったく立ち上がれなくなることもざらであった。
肉付きよかった体も以前と比べて痩せ細っており、
以前のリンネを知る者たちから見れば、とても見るに耐えない姿だった。
それでもリンネをリンネたらしめる、圧倒的な野生と精気の放射は衰えを知らなかった。
もっとも、なんとも凶暴のようでいて、とにかく目立つことが大好きで、
悪戯好きの子供のような所を多分に持ち、さらに妙に間の抜けた所も相変らずであったが。
「所でナッジの奴、いったい何の用なんだ。エステルは何か聞いてるか？」
結局、リンネがいかにも不味そうな液体を、ぐぐっと飲み干すはめになった、
二人の結局毎日変わらぬやり取りを、にたにたしながら聞いていたヴァンが口を開いた。
「さぁ？ボクも聞いてないよ。」
「俺もだ。」
テント内の三人は首を傾げた。
思い返せば最近のナッジは、どこか心ここにあらず、
と言った風であり、悩んでいた様であったが…なにかとんでもない重要事でも抱えていたのであろうか、
と、重い空気がテントの中にたちこめていった。

　ナッジが白虎将軍ジラークとともにリンネのテントに現れたのは、
それからしばらくしてからであった。
ナッジの姿を見た三人は驚いた。
ナッジの手には彼の得物コルセスカが握られており、
それはジラークにしても同様で、その掌の中には浄化の月杖があった。
そしてその短槍と杖はゆっくりと先端を三人に向け、明確な敵意を感じさせたのである。
なにより親友たちを驚かしたのが、ナッジの表情は見た事のない程緊張に固まり、
尋常ならざる雰囲気を醸し出していたことであった。
「ナッジ！何をしやがる！！」
「ヴァン。僕はジラーク将軍とともに反乱を起こすことに決めたよ。コーンスの国を作る。
人間の国々を打ち倒しコーンスたちが安全に暮らせる国を、コーンスの理想郷を作り上げる！」
六つの瞳がまずナッジへ、そして彼の一足後ろに居るジラークに集中した。
ジラークは白のローブに身を包んだ体を身じろぎもさせず受けとめ、無言でナッジに話の先を促した。
「僕と一緒に来てくれるか、それとも袂を分かつか。今、ここで決めてほしい。」
ナッジの口調は一語一語ゆっくりだが確実に噛み締めるようだった。
リンネから見てもナッジの決意は固く、
今まで大切にしてきたものでひたひたに満ちている器を、大地にぶちまける覚悟があると思わせた。
リンネはナッジの言葉を聞きながらも、感覚を繊細な粒子と化して外の状況を探知させていった。
そして外に遠巻きにしている兵がいることを感づいた。
闇の中に溶けてはいたが、ナッジとジラークがテントの中に入ってから、
時間がたつにともなって、焦れてきている様であった。
それはそうであろう、今テントの中にいる二人はこれからの戦いの重要人物であるばかりか、
敵か味方かわからない大陸屈指の豪の者達が三人もいるのである。
彼らを責めるのは酷というものだった。
リンネはエステルを見ると、エステルも外の状況を把握しているようで、軽く頷いた。
友殺しをも辞さずという固い決意を持ってこの場に現れたナッジだが、
その心は緊張のあまり高ぶり、本来ナッジが語ろうとしていることの十分の一も話せていないようだ。
まずはナッジに落ち着いてもらうことが先決だな、
そんなことを考えていたリンネとエステルの目の前を、ふっと一人の影が横切った。

　その場にいた全員が声をたてる間もなく、ヴァンがナッジの前に行きその胸倉を掴んだ。
次の瞬間には力の限りを込めたヴァンの拳がナッジを殴り倒していた。
尻餅をついて何が起きたのか咀嚼できず呆然と見上げるナッジを見下ろしながら、
ヴァンは怒りを漲らせながら、怒鳴り付けたのだ。
「馬鹿野郎！俺たちはお前のダチだろ！」
口をぱくぱくさせるナッジに再びヴァンの怒号が飛んだ。
「舐めるんじゃねぇ！
俺たちとお前の友情は、頼み事をするのにいきなり槍をつきつけるようなものだったのかよ！
お前は俺の仇討ちのために、ガルドランを追っかけてくれたろ。
第一、俺はまだその義理も返してねぇぞ！」
それを聞き、リンネはエステルと顔を見合わせて、大声で笑いだした。
理由がどうたらこうたら、と考えているのが馬鹿馬鹿しくなったのだ。
考えてみれば最初からナッジの味方をする、なんて事は決まりきっているのだ。
「俺も同じだ、一緒に戦おうぜ。幹部に人間がいた方が何かとやりやすいだろ？」
「ボクも戦うよ。ラドラスの時、三人で助けに来てくれた恩を体で払うよ！
もちろん変な意味じゃなくてね。」
ナッジは信じられないものを見るかのように、三人を見まわしながらたち上がると、
ありがとうと繰り返しながら、だれはばかることなく泣いた。
三人の仲間に抱き止まられながら、泣きじゃくるナッジを優しく見つめた後、

　ジラークはひとり外に出ると、配置させていたコーンスたちを解散させた。
（君はいい友を持った。）
そのままジラークは陣地から出て、足下すらおぼつかない暗闇の中を歩きつづけた。
しばらくして振り向くと、天にそびえる山の壁に作られたアルノートゥンの町が、
松明のちらちらとした明りによって、幽かに赤く映し出されるのが見えた。
（長きにわたる無道で、我らは同胞を、あまりに多く失い過ぎた。
――だが、今になってようやく手にはいったものがある。大陸制覇の為の、この確固たる土台よ。）
ジラークは白色に包んだ己の体の中に、言葉に出来ないほどの感情が溢れてくるのを感じた。
ついに積年の夢へ向けて動き出すときが訪れたのだ。
ジラークは確信を込めて、ろうろうとした声で夜空に吼えた。
「非業の死を遂げた同胞たちよ。見ていろ、コーンスが世界を統べる日を！」

　場所は移る。
勇者ネメアとともに魔王バロルを倒した、賢者オルファウスが居とする猫屋敷は、
うっそうと木々が生い茂る、賢者の森の奥深くにあった。
エンシャントから一日とかからない賢者の森であるが、
賢者には運命に選ばれた者しか会うことができないといわれており、
森の最奥地の猫屋敷に、来訪者が現れるのは稀なことであった。
本来はオルファウスと養娘で閃光の女鹿と異名を取り、
父と同じようにバロルを倒した一員であるケリュネイア。
猫にされた魔人ネモの三人が暮らす、静寂に包まれた場所であった。
しかし、このところ、猫屋敷は賑やかな声が絶えなかった。
ロストールで密偵を務めていたミルとルルアンタが保護してきた、
ロストール王女アトレイアが、猫屋敷に居ついたからである。
そしてきょうはいつも以上に楽しげな声が猫屋敷から響いていた。
しばらく猫屋敷を留守にしていた、ミルとルルアンタが帰ってきたのである。

　皆の出迎えを受けた後、ミルは玄関前の階段に腰を下ろし、ぼうっと遠くを見ていた。
まだまだ日は高く、昼下がりといった時間である。
ミルはこうやって座っていると、猫屋敷に抱かれているようで、心が安らぐ。
エルズまではエンシャントから片道14日、帰りは猫屋敷まで15日もかるのである。
気心の知れたライバルオイフェの願いとはいえ、アトレイアを置いたっきり随分留守にしちゃったなぁ、
と言うのがミルの偽らざる本音であった。
「よう。よく帰って来やがったな。」
ミルが声のした方に顔を向けると、横に白い毛に黒い筋の模様がある、
ぶさいくな小猫が、ものぐさそうに座ってミルを見上げていた。
「いい匂いがしてるだろ。」
ぷいっと屋敷の奥へ顔を向けたネモに釣られて、あたりに鼻をきかせてみると、
確かに厨房のほうから、誰かが料理をしている匂いがする。
「アトレイアだよ。酒場のメニュー読んでるだけじゃ飽きたらなくなって、
最近じゃいろんなレシピを読んで料理に挑戦だ。
今日はお前らが帰ってきたから特に張りきってやがる。
どうだい、アトレイアの料理を味見して…」
「ミルじゃないですか。お疲れ様でした。」
ネモの声を切り裂いて、凛とした声が響き渡った。すると屋敷の裏手から、
この屋敷の主人である、真っ白い猫がこちらに歩いてきたのだ。
正確に言えばとりあえず猫の姿を借りている賢者である。
オルファウスは、「けっ。」と不満たらたらであるネモを制しつつ、
ミルにエルズまでの依頼について聞きたがった。
請けざるをえなかった依頼とは、闇の神器争奪のライバルであるオイフェの頼みであった。
ミルと以前護衛をしてくれたデルガドとフェティを見送りにエンシャントまででかけ、
そこでオイフェに「聞きたいことがある！」呼び止められのだ。
そして聞かれるままにネメアがゼグナ鉱山で次元の狭間に落とされた一部始終を話した。
すると、オイフェはいきりたってエルズの女王エアのもとに行くといいだしたのである。
しかし仲間の戦神ソリアスに使える神官戦士ドルドラムと、
力の求道者であるゼリグは闇の者の動きを警戒してそれに反対。
そこで困ったオイフェはミルに対して
「突然だけど私の護衛をしてもらえる？どうしてもエルズのエアに会いたいの。
どう？引き受けてもらえる？」と言ってきたのである。
そしてオイフェを伴って向かったエルズの女王エアのもとで、衝撃的な言葉を聞かされたのだ。
それは、ネメアに破壊神がやどり、
「それは抗えぬ運命だ。…私は奴にそう答えた。」という事実だった。
そこまで話すとミルはオルファウスをまっすぐに見据えた。
「それが、ネメアの運命なんですね。」
ため息をひとつついただけで、オルファウスはその問いに答えなかった。
二人は木々の細い先を透かして、見える青い空を見つめた。
そよ風が木立の間を抜けていくのを感じた。

　ようやく訪れた静寂に、まってましたとばかりネモがまくしたてた。
「おい、ミル。男女に邪魔された話の続きだが、
アトレイアの料理を味見していってやるか、しないのか。どっちだ。ミル？」
「食べます！幾らでも食べますよ〜！」
「やさしい男だな。ま、男はやさしいだけじゃダメなんだがな。」
即答に満足しつつ頷くネモを背に、オルファウスがそそくさと中へ入って行ったことに、
この時のミルはまだ気がついていなかった。