竜を食む鳥
〜２８．猫屋敷にて〜

　ミルはしばらくボケェっとした後、時間を見計らって猫屋敷のなか引っ込む事にした。
すると、ミルの直感がどうも厨房が騒がしいと告げたのだ。
気のせいか、匂いにもなにやら不穏なものが混じりはじめているような気もする。
体の芯に染み渡るような、嫌な予感を胸に食堂に向ったミルが見たものは、
大きな卓を囲みながら配置された席のなかで、妙に離れた場所にある二つの席だった。
ミルは思わず卓の上でごろごろしているオルファウスに声をかけた。
「オルファウスさん、この席は誰の？」
「そりゃあ、ミルとネモの席に決まっているじゃないですか。」
「はぁ…。」
「ええ、私たちの分はケリュネイアが作ってくれていますので。」
「はぁ。」
心にかかっていく雲は、ますますどんよりと黒く厚くなるばかりであった。
そして厨房にはいったミルが目にしたのは、ボンっと大きな音がした鍋に、
蓋をしながらアトレイア王女が、ふるふると首を横に振る姿であった。
鍋からなんともいえぬ色合いの煙が、蓋の隙間からもうもうと立ち昇っていた。
（……………。）
ミルは結局、なにも言わず、黙って厨房をあとにした。
げっそりとした、陰鬱な表情で食堂に戻ってきたミルを迎えたのは、
美しい茶色の髪が印象的なハーフエルフの女性であった。
その女性、ケリュネイアはミルを心配そうな目で見つめ、
手に握っていたものをミルに手渡した。
それは、ミルもよく見覚えのある物であった。
「…七色のなんこう、ですか。」
「貴方なら大丈夫。そう信じてるわ。」
ケリュネイアはミルの目をしっかりと見据え、
両手をぎゅっと握り締めそれだけいうと、脱兎の如く走り去ってしまった。
残されたミルは、この前ネメアが次元の狭間に落とされたと聞いた時は、
卒倒せんばかりだったのに彼女も随分と立ち直ったなー。
なんてこと考えながら、一人現実逃避気味に何時までも食堂に立ちすくんでいた。

　食事の時間になると、食堂にミル、ネモ、アトレイア、オルファウス、ケリュネイアが集合し、
昼間の静寂が嘘の様に賑やかな空気に包まれた。
ミルとともに長旅をこなしたばかりのルルアンタは、一度食堂に現れたが、
その小さな体に旅の疲労は大きな物であった様で、さっさと寝室に引っ込んでいた。
小さな虫ですら、あれだけ大きな音をたてるのだ。
ここにいるのが人間五人ではなく、人間二人とハーフエルフ、
猫二匹でもその騒がしさは押して知るべしである。
結局、食事の時間にミルとネモの前に出現した、
赤黒い色をしたそれは、まるで病人の流動食とも言うべきものであった。
密禎として培われた経験が、これはヤバイ！と警鐘をけたたましくならしている。
先程ルルアンタが、戻り際に心配そうな顔で、
「ミルも体調悪いの？」と質問していったのは、この料理を見たからであろう。
ミルは「アトレイアの力作。」と答えるわけにもいかず、
適当に「ぉぅょ。」と答えるしかなかった。
ゆっくりと周囲を見まわすと、アトレイアはいかにも自信なさげな表情で、
ちらっちらっとした視線をミルに送ったり、所在なさげに泳がしたりしていた。
ちょうど反対側にいるオルファウスとケリュネイアは、
同情とも好奇ともとれる視線を、時折こちらに送ってくる。

――そしてミルの横にいる、ぶさいくな猫ちゃんは、
文句だけは盛大に振りまきながら、美味そうに流動食を頬張っている。
「不味い、不味い、なんて不味さだ！腐った肉のほうがマシだな。」
その美味そうな食べっぷりをみて、ミルは己を恥じた。
自分の密禎としての経験には、人は見掛けによらない場合が多々あることは、
よくあることであった。
確かに仇であるリューガ家には、美しくもいかにも欲の皮がつっぱっていそうな兄妹がいて、
実際権力欲の権化のような連中であった。
しかし自身が仕え、敬愛したエリス王妃はどうであったか？
王妃は悪女的な外見をしており、実際そのような面がなかったとはいわないが、
非常に家庭的であたたかい女性であった。
特に料理を作っている時の王妃はとても楽しそうで、
顔すらミルの記憶に残っていない、母の残像を重ねてしまったこともある。
そしてその甥で、ロストール総司令を務めたゼネテスも、
外見とその実が一致しない人間であった。
胸を肌蹴さして無精ひげを伸ばしたその姿をはじめて見たときは、
胡散臭さが先にたち、貴族の子弟と知った後はこれでいいのかという疑問が先にたった。
だが、ゼネテスは兄貴肌の実に面倒見のいい男で、
ミルから見て暴風雨の中、自分を雨から守ってくれるかさのようなものであり、
このかさは暴風雨の意味などを教えてくれたりもしたのである。
父フリント亡き後、ゼネテスはまさしく年の離れた兄であり、
頼りがいのある大きな背を感じさせてくれる存在だった。
（外見だけで判断するなんてダメだ！
そうだ、この怪しげな、原料の固有の姿とどめない食べ物も、きっと美味い！
食べたらあまりの美味さに頬が落ちるかもしれない！
もちろん頬肉が壊死して穴が開くというわけではなく！
絶対にイケルはずさ！）
ミルは決心を固めると、ゆっくりと流動食を口に運んだ。
すると、ミルのあたり一面の風景が、ぐるんと回ったかと思うと、
そのまま白一色の世界に変わってしまった。

　次に目を覚ました時、まずミルの目には天井が飛び込んできた。
寝台からゆっくりと身体を起こしていくと、ずきり、という痛みが頭のなかに響いた。
いったい昨日のものには何がはいっていたのであろうか。
手で頭を押さえながら、外に出ると食堂の机に両肘をつきながら、
たそがれているアトレイア王女がいた。
そして、その前にはなにやらぺちゃくちゃ喋っている猫、ネモがいた。
アトレイアはミルを見ると、跳ねるように飛んできた。
「ミルさん！大丈夫ですか？」
「はい。最近忙しかったので、無理していた様です。」
「そうですか。実は、あの、私の作った料理のせいで、
ミルさんのお体を壊してしまったのではないかと、とても心配していたのです。」
（いったいアレはなんの料理だったんだろうか…）
そんなことを考えながら、微苦笑を浮かべつつ、
そう力説していると、ネモが割りこんできた。
「おれの言った通りだろう。よかったな、アトレイア。」
「…うれしいです。 ミルさんにほめられると、いっそう。」
恥ずかしそうに頬を染め、もじもじと顔を伏したアトレイアの横で、
まるで我が事のように胸を張るネモ。
その胸は徐々にひっくりかえらんばかりにそり返っていった。
「ま、アトレイアは俺が学問を教えた弟子の中じゃ
最悪に頭は悪いが料理だけは抜群にうまいからな。」
「料理で、 ネモ様にほめられてもあまり、自慢にはなりません。
ネモ様は文句が多いわりになんでも、喜んで食べてくれますから。」
「なんだ、アトレイア。師匠に向かってその口の聞き方は…？」
「す、すみません、すみません！」
「にゃー！」
ネモに追いまわされて、美しい栗色の髪を靡かせながら、
円卓をぐるりと一周したアトレイアは、さっとミルの背に回りこみ盾にした。
そのアトレイアをミルの体ごしに、にゃー！にゃー！と毛を逆立たせて、
威嚇するネモの姿はなんとも微笑ましく、今だ頭痛の残るミルの顔にも笑顔が広がった。

　二人と一匹が、適当なお茶をいれ、食堂で暇をしていると、
とことことオルファウスが現れ会話に加わった。
アトレイアのが言うには昨日のミルは、がつがつと一気に料理を腹に詰め込むと、
夢遊病者の様にどこへともなく歩き出し、ひっくり返ったそうである。
話が変わっていき、ロストール王国の現状をミルが語りだすとアトレイアの顔が暗くなった。
「王族に生まれながら、私はなにひとつできぬ不束者です。それがもどかしいのです。」
「おれはまったく気にしていません。」
「ありがとうございます。でも…」
ロストールは総指令になったノーブル伯ビアトリス・リューガと、
王国の実権を握るレムオン・リューガのもと、着々と軍備を再編成していた。
しかし戦災の傷痕はあまり回復しておらず、王都はいまだ瓦礫の山であった。
アトレイアはその現実に胸を痛めていた。
二人の会話を遮る様に、ネモがアトレイアの膝に飛び乗り、
突如なにやら料理の重要性について、こんこんと説教をはじめだした。
なんて羨ましい猫だ…なんてことを考えていたミルに、
「ちょっと、よろしいでしょうか、ミル。大事な話があります。」と、
オルファウスが、ミルを食堂の隅に呼んだ。
「実は最近、大陸南東の断層から強い妖気が放たれているのです。
あの辺りは邪竜アズラゴーザが封じられている場所なんです。
それで調査に行こうと思っていたんです。
できれば、あなたたちもついてきてくれませんか？」
ミルはふとネモの説教を受けているアトレイアに目をやった。
そして少し考えるような仕種の後、頭を縦に振った。

　ミルはルルアンタとオルファウスを伴い、猫屋敷に別れを告げた。
オルファウスの言う、大陸南東の断層とは、
リベルダムから行く事が出来る、邪竜の断層と呼ばれる場所であった。
ミルもリベルダムのギルドで請け負った仕事で、
邪竜の断層にいるモンスターを退治した事はあったが、
邪竜アズラゴーザが封印されているほど深い場所までは未踏であった。
エンシャントから海路を使いリベルダムに到着したミルは、
リベルダムの復興具合に大きく驚いた。
ミルだけでなくルルアンタもその急速な復興に目を丸くした。
それほどリベルダムは以前の姿を取り戻しつつあったのだ。
そして程なくしてリベルダムから二日の距離にある、邪竜の断層に到着した。
到着するなり、ルルアンタとオルファウスを後ろ庇いしながら、
ミルはゆっくりと崖をくだっていった。
邪竜アズラゴーザが封印されている祭壇は、
この崖をくだった底にある洞穴の更に奥底である。
普通、邪竜の断層での依頼の場合、洞穴の中までいくようなことは滅多にない。
もちろん邪竜の断層には途中の崖にセヅネの毒草が生え、
底にある洞窟の中には土精の結晶があるため皆無ではないが。
ゆっくりとくだって行き、ゼヅネの毒草が生えた辺りまで辿りつくと、
突如オルファウスがその白い毛を逆立て始めた。
驚くべきことに二人ほどの人影が、岩の陰からちらちらとのぞいたのである。
「オイフェ？」
「ミル！やっぱり、ここに来ていたのね。」
向こうも、こちらと同時に気がついたらしく、ミルたちに振り向くと、
稲妻のごとき敏速さで武器を構えた。
オイフェは鋭利、ドルドラムは豪壮といった武風に違いはあれど、
ネメア直属の兵であることから分かる様に、ともに並々ならぬ使い手である。
ダークエルフのオイフェとドワーフのドルドラム。
そして今姿は見えないが、これにボルダンのゼリグを加えた面々は、
ディンガル帝国に仕え、ネメアの指揮のもと闇の神器探索の任にあたっていた。
一方ミルはケリュネイアから闇の神器探索の依頼を受けており、
ロストール王国の密禎としても、そして私的にはネメアに挑むためにも、
オイフェのパーティーと壮絶な争奪戦を繰り返してきた。
しかし両雄はは、以前ミルがオイフェの願いを度々聞き届けたことからもわかる通り、
お互い好敵手として一目もニ目もおいていた。
そこに友情にも似た各々の人格への、奇妙な信頼感が存在しているのも確かであった。
オイフェは鉄火姫の二つ名そのままに、猛烈な勢いでまくしたてた。
「率直に言うわ。あなたたちの持つ闇の神器を渡して。」
「やれやれ。人にものを譲ってもらうときの態度とは思えんわ。」
ミルが答える前に、オイフェのとなりにいるドルドラムが、
オイフェはかわらんのうといったふうに、両手を肩口まであげて首を振った。
「ネメア様は生きているわ。
そして破壊神復活に必要な闇の神器さえ持っていれば、
ネメア様は私たちの前にきっと、現れるはず。
さぁ、神器を渡して。」
「いやだ！あれは渡さない。」
ミルは拒否すると、ルルアンタとオルファウスを庇いながら、
ゆっくりとあとずさり、間を空けた。
「お前は何を見てきたんだ、オイフェ！
ウルカーンのシェムハザ長老を見なかったのか、
ロストールのエスト・リューガ博士だってそうだった。
あれは人を闇に染める。
闇の神器に取り込まれないだけの強力なソウルの持ち主なんて、
この世に限られている。」
ミルの力説に、大して感銘を受けた風もなく、
オイフェとドルドラムは、じりじりと近づいてくる。
「持ってみなきゃ、わからないわ！渡さないと言うのなら…！」
「すまんが、力ずくで、ということになるのう。」
ドルドラムがなんの躊躇いもなく、得物のハンマーを持ってミルに踊りかかった。