竜を食む鳥
〜３０．祭壇の血闘〜

　ゼリグは動きを止め、はっとしたように首を振った後、
激しい痛みに口の端を歪ませ片膝を地につけた。
「ぐ…っ！ミルか…。…すまぬ。」
「ま、簡単にタネを明かすとそいつが頭の中まで筋肉バカだったから
さっきまで操らせてもらってたわけだ。
そこそこ便利だったんだけど最後の最後で使えなかったな。」
ミルの頭を、先ほどの痛みを感じないかのごとしであった、ゼリグの姿がよぎった。
あれはジュサプブロスが操っていたからなのだ。
ジュサプブロスにとってゼリグは道具に過ぎない。
だからあれほどの無茶が平然とできたである。
その事実を恐怖とともにミルは思い知らされた。
「…ならば使えないついでに貴様らの計画も使えなくしてやろう。ふぬぁ！！」
ゼリグは突然たちあがると、ミルとルルアンタを弾き飛ばし、
ジュサプブロスたちに向かって、猛然と突っ込んだ。
ジュサプブロスの白刃がきらめき、ゼリグの胸に朱色の花が咲いた。
「うおおおオオオオ！」
それでも、ゼリグの突撃はとまらず、ジュサプブロスらを吹き飛ばして、祭壇の前に立った。
その痛みだけが原因だけとは思われない、鬼気迫る表情に、
ミルはゼリグが仲間を殴り殺した記憶があることを悟った。
「何をする気だい？筋肉人形君。」
「よせ、死ぬな、ゼリグ！」
泰然としたジュサプブロスと悲痛なミルの声。
それを背にゼリグはなんと己の自由が利く、頭蓋を祭壇に叩き付けたのである。
頭蓋骨が割れる音と、祭壇が壊れる音が、洞穴に響いた。
そして何度も頭を祭壇に叩き付けたのだ。
「邪竜、復活はさせん。ぬんっ！！」
「クッ…。」
ジュサプブロスが、刃をさかしまにゼリグの背につきたてた。
鮮血でゼリグの体は真っ赤に染まったが、それでも止まらなかった。
洞穴のなかで、きらっきらっと流星が流れるたびに、
ゼリグの右腕、左腕、右足が切断され、最後の左足が胴から離れた瞬間と、
渾身の一撃を持ってゼリグが祭壇を破壊したのはまさしく刹那の差であった。
ゼリグはわずかに残った胴を、祭壇にうつぶせに身を横たえ、
崩れ行く、祭壇の瓦礫の中に消えていった。
このときミルは確かにゼリグの声を聞いた。
四肢を失い頭蓋を粉々してまで祭壇を破壊したゼリグに、
叫ぶだけの力が残っていたのかはわからない。
幻聴であったのかもしれない。
だが、確かにミルはゼリグの声を聞いたのだ。
「魂無き力は、虚ろ。力無き魂は、虚ろ。
力のみを求める我もまた、虚ろだったのやもしれぬ。さらば、だ。」と。

　ゼリグが渾身の力を込めて破壊した祭壇を見て、エルファスがつまらなそうに呟いた。
「これでは、祭壇を使っての邪竜復活は不可能か。」
「また、別な方法を考えないとな。
とりあえずここは一度退こう。俺も彼らを始末してから行くよ。」
「では、そうさせてもらおう。ジュサプブロス、お前も気をつけろ。」
最後に、ちらとミルたちに目をやった後、エルファスは光の中に姿を消した。
「さて。なぁ、死に場所の希望とかない？」
エルファスの忠告を聞いた風でもなく、ジュサプブロスが、
あいかわらずのあっけらかんとした姿でミルたちに向き直った。
そして、口に出した台詞は、ミルが予想していなかった類の言葉である。
同時に、誰かに話すことを想定していないかのような、独り言であったのだ。
裏を返せば、ここでミルたちを皆殺しにするという、自信の現れだった。
「俺は断然、太陽の下だね。照りつける太陽の下。生まれた時からダークエルフ。
家族して、暗い穴ぐらの中で、おびえてふるえながら生きてたよ。
でも、あの日、兄貴が俺を誘ったんだ。
とっておきの場所に行こうって笑いながら俺を引っ張っていった。
それが外だった。太陽の光がまぶしくて明るくて、暖かくて、清潔だった。
兄貴はその光の中で死んだよ。
ダークエルフ狩りのエルフに見つかって笑顔のまま射抜かれた。
俺のあの日の記憶はそこで終わりだ。
胸を射られて、次に気がついた時には家族はみんな、肉の塊になってた。
…２００年も前、俺が６歳の時の話さ。
でも、あの太陽の光は忘れられない。気持ちいい感覚が記憶に残ってる。」
ルルアンタの背に、冷たいものが走った。
老若男女の区別しない残虐無比の男がみせた、５歳以下の子供は助けるという奇妙な拘り。
ここでその理由は分ったが、恐るべきはそのジュサプブロスの表情であった。
彼は恍惚の表情を浮かべているが、その色眼鏡からちらちらと見える黒い瞳は、
相変らずまったく感情というものが感じられない銀色の光を放っていた。
それは、はじめてミルとルルアンタが、ジュサプブロスと刃を交えてからまったく変わっていない。
先ほどのゼリグの目がまったく意思や生気といったものを感じさせなかったのは、
彼が操られていたと同時に、操り主がこの男であったことが影響していたのだろう。
「ミル…。」
ルルアンタはミルの腕を、その小さな胸の中に、しっかと抱きしめた。
ジュサプブロスに恐ろしさを感じたのもあったが、なによりミルから今までの彼からは、
信じられない程の怒りが溢れ出ているのを感じ取ったのだ。
ルルアンタが抱きとめた腕は、服の上からでもその強い怒りからくる熱を、
小さな胸で簡単に感じ取れることができるほど熱かった。

　ミルとルルアンタがシスティーナの伝道師の一人黒の祈りのジュサプブロスと、
初対決を果たしたのはカルラがロストール王国へ攻め入る前まで遡る。
王都ロストールとリベルダム間の街道を歩いていた二人の前に、
真っ青になって逃げてくる二人組の山賊がやってきたのである。
その男は返り血と思わしき血で衣服を真っ赤に染め上げ、
「た、たたた、わたた、たすけてくれぇぇぇ！！
ばけ、ばけもの…化け物が、化け物が俺たちのねぐらにぃぃーっ！」
「ひぃああ！見つかったら殺されるぅぅ。たぁぁすけぇてぇぇぇ！！」
と、それぞれ人とは思えないほど恐ろしい絶叫を残しながら、
命からがらと言った体で逃げてきたのだ。
そこは、元々の性格は何にでも首をつっこみたがるミルのことである、
興味本意で山賊のアジトまで早速足を向けた。
そこで山賊を次々虐殺してまわるジュサプブロスと出会い、剣を交えたのであった。
結局そこでは、オイフェパーティーの登場もあり、
痛み分けに近い形でジュサプブロスを逃してしまった。
次に出会ったのはゼグナ鉱山であった。
そこで、ネメアとジュサプブロスの戦いを見届けたのである。
ネメアがノエルという若い冒険者を庇い、次元の狭間に落とされるまで。
ミルは密禎として物陰から一部始終見ていたのだ。
もっとも、その後動揺して混乱するノエルパーティーから、
ちゃっかり貪欲の盾をスってきたあたりは抜け目がないところであるが。

　ミルはキッとジュサプブロスを睨み付けながら一歩前にでた。
ルルアンタは更にきつく腕を抱きしめた。
「おれ、ひとりがやる。ルルは賢者様と後ろに。」
ルルアンタに心配するなと優しく言い、腕を振り解いた。
そのまま、つかつかとジュサプブロスの前にたった。
これにはさすがのジュサプブロスも驚いたような顔をした。
「ミルというんだっけ？」
「そうだ！ジュサプブロス。おれ一人が相手だ。」
「君の男気に免じて褒美をやるよ。勝負しようぜ。」
「勝負？」
ジュサプブロスは怒気を漲らしたミルを目の前にしても、
動じた風もなく、顎鬚を撫でながら突然妙な事を言い出した。
その申し出に、ジュサプブロスの意図を読みかねたミルは怪訝な顔をした。
それは後ろにいるルルアンタやオルファウスも、
一体目の前の薄汚れた黒衣をまとったダークエルフが一体何を企んでいるのか計りかねた。
「聞こえるかい、この祭壇から聞こえる音を。
邪竜アズラゴーザが復活し損ねて歯軋りしてんだよ。」
ミルはこの時初めて洞窟に微かに響く、特定のタイミングで、
ぎぃぃぃぃぃ、ぎぃぃぃぃぃと鳴る物悲しげな音に気がついた。
ジュサプブロスはゼリグをばらした際の殺気はどこへいったのか、
まったくの無防備のままミルを横切り、その後ろに背を向けたまま立ち止まった。
右手にあった剣はいつのまにか鞘の中に戻っていた。
「これが後三回聞こえたら、よーい…だ。」
「…早抜きか。やってやるよ！」
ミルは後背で背を向けているダークエルフが、にんまりと笑う気配を感じた。
これが挑発であるとわかっていたが、押さえきれない怒りがミルの背を押しつづけていた。
自分でもこのような熱い面があるとは知らなかったほど熱さだった。
もしかしたら常に生きて帰る事を要求される密禎という仕事に付き、
冷静であれと務めてきた事により、抑圧されてきた感情が、
ここに来て一気に高ぶり爆発したのかもしれない。
両者はともに背を向け合い、決着の時に備え始めた。
ジュサプブロスは鞘からのぞく剣の柄に右手をそえ、
一方のミルは腰の剣に手をやるでもなくだらんと手を宙に泳がしていた。
歯軋りが洞穴内に響いた。心なしか邪竜の歯軋りは大きくなった様であった。
「まず一度。タイミングをしっかり計れよ、もし読み違えたら…そこでお終いだと思いな。」
背を向け合う二人を、ルルアンタは祈るような気持ちで見つめた。
その胸には白猫の姿をした賢者オルファウスがいる。
再び、例の音が響いた。
（次が最後…。）
ルルアンタは唾を飲んだ。

　最後の一度が響くまでの時間は、突如時の流れが遅くなったかのような、
錯覚を覚える程ルルアンタには長く感じられた。
二人の体が陽炎の様に、ゆらゆらと大きさを変えていくようにすら見えた。
ルルアンタもオルファウスも、
ミルから「動くな」或いは「手だし無用」といった言葉を言われたわけではない。
しかし彼女らには大気が蒼い氷になったかのように感じられたのだ。
その瞬間、二人は同時に動いた。
ジュサプブロスの腰から、振り向きざまに金色の閃光を纏った白銀の飛沫が飛んだ。
ミルは腰の片手剣に手をやらず、直接ジュサプブロスの右手首めがけて腕を振った。
金色に輝く光の渦にミルが包まれ飲み込まれるのと、
ジュサプブロスの手首から真っ赤な血が噴出したのは同時であった。
そして、あまりの眩しさに思わず目を逸らしたルルアンタとオルファウスが、
何かを取り落としたような乾いた音を合図に再び目を戻した時、
そこには、ジュサプブロスの首目掛けて刃をつきたてる寸前の姿のまま、
握っていた短刀を取り落としたミルが居たのである。
ジュサプブロスがくるりと背を向け、カチンと剣を鞘に戻した音が鳴った。
その音とともに、全身の関節という関節から血を噴出しながら、
ミルは静かに大地に崩れ落ちた。
――間隙波。
剣に金色の闘気を纏わせ、その光を刃に変え鎧や剣の間隙を縫い、離れた敵を膾のように切り刻む。
ジュサプブロス最大の必殺技であった。

　この距離の戦いにミルは絶対的な自信があった。
事実単純なスピードならばミルが勝っていた。
彼の袖に隠し持っていた短刀は、ジュサプブロスの手首を切り裂き、
腕の自由を奪い、返す刀で頚動脈を断ち切ったはずであった。
だが、ジュサプブロスの必殺の一撃は、剣を持つ手首への一撃など関係なく、
剣から放たれた光の刃が一瞬にしてミルを引き裂いた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ！」
ルルアンタがオルファウスの制止を振り切り、
絶叫ながら血の池に沈むミルに駆け寄ろうとした。
ジュサプブロスがぬぅとその間に立ちふさがった。
「リルビーか。念のために聞くけど、五歳以下ではないよね。」
ルルアンタが答えず、短刀を構えるの見るとジュサプブロスも剣を構えた。
右手首からは血がぼたぼたと流れていたが、ジュサプブロスは一向に気にする気配がなかった。
だが、ジュサプブロスがルルアンタに襲い掛かることはなかった。
一本の短刀が一閃し、ジュサプブロスの側喉を、深深と刺し貫いたからであった。
「ミル！」
ルルアンタが歓喜の声を上げた。
見れば、血の気失せた顔のミルが、血の池の中から半身を起こして腕を振り上げていた。
「ミスったな、ジュサプブロス。ルルが子供の姿だったから、おれを忘れたのか…？」
ジュサプブロスは、己の喉を貫いた短刀の姿を、
信じられないといった表情でみつめたまま、ゆっくりと後ずさり祭壇横の崖淵に立った。
「ちぇ…、やだなあ。結局こんな暗い所で死ぬのか…。
もし生まれ変わりとかがあるなら今度は、太陽の下で……。」
ごぽごぽと音をたてて口からあふれ出る血が、下顎と胸を真っ赤に染め上げていくなか、
ジュサプブロスは両手を大きく広げながら、仰向きの姿のままゆっくりと底に落ちていった。

「…ちょっと、複雑な気分ですね。
ですが、みなさんのおかげで邪竜の復活は防ぐことはできました。
ひとまず、私の家へ戻って、これからのことを考えましょう。
これで終わりではないでしょうし。」
オルファウスが魔法でミルの治療を終えると言った。
その脇には祭壇の下に転がっていたオイフェがいる。
まだ意識は戻っていなかったが怪我もなく、いずれ気を取り戻すだろう。
その声を受け、ミルがルルアンタに支えられつつも、オイフェを肩に抱き、
さっそくたち上がると、ルルアンタもオルファウスを抱き上げようとした。
「あ、結構ですよ。私の家まで転移しますから。」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ！？
だったら賢者様も戦ってくれれば良かったのに！
一人だけずーっと怠けやがって、まったくムカつく人だな。」
「ははは、まぁいいじゃないですか。では、いきますよ。」
四人の姿が一瞬に掻き消え、邪竜の祭壇は再びその静寂を取り戻した。
願わくば、この戦いを誰も汚す事のないように、と祈るように。