竜を食む鳥
〜３４．超人類ベルゼーヴァ〜

　カルラとダランベールは慎重にベルゼーヴァに近づき向かいあった。
独特の威容を誇っていたその髪型は崩れ、長い黒髪が肩までかかっていた。
黒く艶やかであったディンガル帝国の制服は、
胸に空いた穴をはじめ擦り切れ襤褸雑巾のように汚れている。
体もほこりに塗れお世辞にも清潔とは言い難かった。
しかし暗がりで見え難いとは言え、白い顔や鋭利な視線、細身の体格、
そして凛とした冷たい声はまちがないく帝国宰相ベルゼーヴァのそれであった。
ザギヴが皇帝に即位した際に殺されたといわれた彼が生きている。
それがどれほどの影響を旧ディンガル帝国諸勢力に与えるのか。
そして、そもそもこの男はいかなる奇術を駆使しザギヴの魔手から逃れ得たのか。
カルラとダランベールにとってこの目の前に立つ、
前ディンガル宰相ベルゼーヴァ・ベルラインはあまりにも謎に満ちた存在だった。
カルラとダランベールはこの男が本物である、
少なくとも本物といって通る程似ている人物であると認識すると、
両者の胸には同じ思いが去来した。
「ほう、随分と珍しい所であったものだ。しかも同じ目的を持っているとはな。」
ベルゼーヴァは高慢とも取れる表情を浮かべ言った。
ネメア・ランガスター・ディンガルと、無限のソウルであることを知るティナ・ミイスを除けば、
この男にとって己と世の人間は全て等しく凡人である。
その意味ではバイアシオン大陸でもっとも差別意識から遠い男であるといえるのかもしれない。
「ベルゼーヴァ・ベルライン卿、よね。あなたは死んだと思っていたわ。」
「確かに不覚はとったが、私がザギヴごときに殺されるなどとは心外だな。」
「それだけ聞けば充分！」
ベルゼーヴァが唇の端を吊り上げながら言うや否や、カルラとダランベールは大きく跳びずさった。
ベルゼーヴァはそれを見ると背を反り返し、哄笑した。
両手で押さえられた顔から、くもぐった笑い声が漏れ聞こえ大洞窟に反響する。
「ははははははっ、凡人の君たちでは私に勝てぬよ。」
一瞬にしてベルゼーヴァを中心に周りの空気が殺気で凍り付きはじめた。
カルラとダランベールの二人をしても腕すらうごかないような重圧であった。
ダランベールはこれと似た感覚を過去に味わったことがある。
この重い水のよう粘っこく変化した空気。
ゼネテスやネメア、レーグなどの猛者たちと初めて出会った時に感じた感触であった。
それでもダランベールが一歩カルラの前に進みでた。
このあまりに強烈な圧力の中それが可能であったのは、
ダランベールはこの戦いを既に勝っている事を知っていたからだ。
「確かに、二度も間接的にといえ上司となった奴。
なにより強い、僕一人では歯が立たない。殺すのはあまりに惜しい。」
「私を、殺す？笑えん冗談だな。」
「冥土の土産に教えてあげる、僕は剣聖ダランベール・エルメス。…カルラっ！」
ダランベールは名乗った後、多少間を空けカルラの名を叫んだ。
ベルゼーヴァは初めてカルラが黙祷するかのように、目を閉じている事に気がついた。
ゆっくりとカルラの栗色の瞳が開いた。
「ベルゼーヴァ、あなたはもう死んでいるの。
あなたの強さ、ネメア様ヘの忠信、本当に殺すには惜しかったわ。
でもね、あなたが生きていると色々都合が悪いの、わかる？」
ベルゼーヴァの腰のまわりに黒い筋が浮かび上がり、黒い液体がどぼどぼと溢れ出た。
カルラがベルゼーヴァの前から飛びずさった時、既に勝負は決していたのである。
ただ、いくらカルラ渾身の一撃とはいえ圧倒的な力量差を鑑みるに、
ベルゼーヴァがこの一撃に気が付かなかったのは、まさしく油断以外何者でもないだろう。
「なにぃ！」
「とどめっ。」
ダランベールは、死のうめきを上げたベルゼーヴァの懐に飛びこむと、
左の脇腹から右肩にかけて一刀のもとに切り裂いた。
ベルゼーヴァ・ベルラインが血の滝を撒き散らしながらどうと転がると、
その身体は四つに分割されていた。
右腕のみは大地に転がらず高々と宙を舞い、ゆっくりと溶岩流の中に落ちていった。

「まっことに惜しいよなぁ。しかしカルラ、あれは見事な一撃だったよ。」
ダランベールが血糊をふき取りながら、
ばらばらとなり血の海に沈むベルゼーヴァを見下ろして言った。
その声にはどこか残念そうな響きがある。
英雄が英雄を知るように、強者は強者を知る。
それゆえにその死を惜しんだのだ。
カルラとダランベールはベルゼーヴァを退けると、ろくに休みもせず再び先に進み始めた。
このとき、血の海に沈んでいたベルゼーヴァの目がぎょろりと動き、
自分たちの後姿を見つめていたことを二人は知らない。
四つに分割されながらも、実はベルゼーヴァは生きていたのである。
光がはいらぬ暗がりの洞窟、ただぼこぼこと音をたてる溶岩の赤い光のみが岩肌を照らしている。
しばらくするとその場でベルゼーヴァはぞもぞと動きだした。
その光景を見たものがあれば、恐ろしさのあまりに絶叫を上げたであろう。
なんと殺されたはずのベルゼーヴァの死体が、
自らの左腕を動かしてばらばらにされた部位と部位を、じっと押し付けはじめたのだから。
その溶接にも似た作業はじきにおわり、ベルゼーヴァはゆっくりと立ち上がった。
傷は完全にふさがりうす赤い痣を残すのみである。
ただ溶岩の中に落ちた右腕だけは再生されず、右肩から先はなにもなかった。
「おのれ。」
憎悪に満ちた顔が赤い光に照らされた。
それはこれだけの再生能力を持ちながら、不覚にも右腕を永遠に失なった痛恨のためであった。
そして身体を元に戻し、失った血液を補充しつつゆっくりと動き出したのである。
ベルゼーヴァは底知れぬ怒りを秘めながら歩き出した。
奥へ、ひたすら奥へ。

　二人のそこからしばらくの道程は、それまでと比べてとても和やかなものであった。
信じられぬほど強大な敵を油断につけ込みあっさりと破ったことに、
若干の拍子抜けもあったし、最大の山を越えたという安心感もあった。
大洞窟の最深部を目指しながら、ふと思い出した様にダランベールが言った。
「そういえば、お前は何の用でウルカーンに来たんだ。」
「あぁアレね。火の巫女フレアに用があったって言わなかったっけ？
フレアに空中都市について聞きたかったのよね。」
少し前、といってもカルラのロストール攻略が発表されるまえであるから一年ほど前の話しだが。
ロストール王国の領内やリベルダムを中心に、
竜骨の砂漠上空に空中に浮かぶ都市が出現したとの噂が広がったのである。
そもそも竜骨の砂漠は５世紀に魔道王国ラドラスが滅亡した際、
土の巫女であったズゥが作りあげたと言われる冒険ポイントである。
その砂漠に浮かぶと言われる天空の城の噂。
人々がそれに滅亡した魔道王国の遺産というロマン見出したのは無理からぬことであろう。
その空中都市浮上の噂にカルラは何故か興味を示した。
そして空中都市に一枚噛んだと噂される、
現在アルノートゥンにいる炎の戦士リンネ・テラネとその仲間を中心に、
空中都市に関係した人物の洗い出しを進めていたのである。
空中都市浮上の直前にはアキュリュースの水の巫女イークレムンが誘拐され、
リンネが水の神殿神官長の頼みを受け、イークレムン奪還に動いていたことをカルラはつきとめている。
イークレムンはラドラス四巫女に縁のある人間である。
カルラが空中都市浮上にほかの土風火の巫女も関係していると読んだのは当然の流れであろう。
結局フレアは死亡し、カルラは空中都市についての話しを聞き出す事はできなかった。
ダランベールはカルラが何故、普段なら一蹴にふしそうな空中都市に興味を示したのか、
そこが気になったがカルラは「わっかんないかなぁ。」と笑い、彼の疑問に答える事はなかった。
しかしそれが口火となり、二人は笑いながら様々なことを喋りだした。
客観的な視点で見ればなにかにおびえているようなフシすらあるような、
二人は軽い興奮状態であったのだ。
そのうちに話題がロストール王国についてに移る。
「レムオンはね、純粋に誇り高い貴族な…。」
ダランベールがそこまで言いかけた時、ふと前を進むカルラの無駄のない体の線が目に入った。
カルラが肩にデスサイズをかけて、ひょいと一足先に岩場から岩場に飛び上がった時である。
思わず背から下腹部にかけての白い露出された肌に視線が吸い寄せられ、
ダランベールも岩場を飛び越えながら照れた様に顔を背けた。
「どしたの？早く続けられないのかなー。」
「あっいや、純然たる貴族だよ、うん。
出生が秘密が取り沙汰されてるけど、そのあたりに秘密があるのかもしれない。」
「ふーん。」
ダランベールは、歩きながらも先と比べて信じられないくらい、
真剣に考えこみ始めたカルラの臀部から内腿にかけてをニコニコとしながら眺め、
「カルラかぁ。」と誰に聞かせるでもなく呟いた。

　そうこうしているうちに二人は視界が開けた大きな広間にたどりついた。
出入り口に立つカルラとダランベールの眼下には巨大な魔方陣らしきものが広がっている。
強烈な魔力を放出するそれは、誰が見ても精霊神の座所ヘと繋がる門であった。
二人は頷き合うと、子供の様に岩を駆け下り魔方陣をまじまじと覗きこんだ。
「ついにたどり着いたな。」
「やったわね。」
ふたりは満面の笑みを浮かべハイタッチをかわすと、ゆっくりと魔方陣に足を踏み入れようとした。
その時である。
「待て。」
二人を制止する声が洞窟を雷鳴の如く引き裂いた。
いざ歩きださんとした両者を一瞬にして押し止めた程の声。
カルラとダランベールにとって聞き覚えのある声。
先ほどまちがいなく斬殺したはずの男の声であった。
二人がゆっくりと声がした出入り口のほうへ顔を向けると、
そこには激闘をへてますますのぼろとなった黒衣を着た男が見下ろしていた。
狂気にも似た固い決意を秘めた瞳を爛々と輝かせながら。
「私は超人類ベルゼーヴァ、超人類は人を越えたモノ。」
ベルゼーヴァはその口を耳まで裂けんばかりに広げ笑った。
凶相を浮かべ笑う、右腕を失ったその姿は、まさに魔人と呼ぶに相応しい容貌である。
「貴様っ確かに、確かに真っ二つにしてやったはず！化け物め…。」
表情をひきつらせながら、ダランベールがうめいた。
「超人類となるとき私は全てを捨てた。
人であることを捨て、自らへの誇りを捨て、ネメア様への信頼すらも捨てた。
殺られるかよ、私が貴様ら如きにぃぃぃぃぃぃぃ！」
ベルゼーヴァは身を沈めたと思うと、次の瞬間には岩場を蹴り左腕を広げ宙を舞っていた。
黒い髪と黒い衣を翻した蒼白の魔鳥が、カルラとダランベール目掛け襲いかかった。
ダランベールの腰から赤い炎と白い閃光が迸り、黒怪鳥と化したベルゼーヴァを迎え撃つ。
正確に言えば、迎え撃とうとした。
だがベルゼーヴァの肢体はダランベールの想像よりも遥かに高く飛び上がっていたのである。
「いけない！」
カルラは叫ぶが早いか、ダランベールの首にその細椀を絡まると、
勢いに任せておもいっきり押し倒した。
ベルゼーヴァがカルラとダランベールを退治することよりも、
火の禁呪奪取を優先し二人より早く魔方陣に飛び込むつもりであることに気が付いたのだ。
ベルゼーヴァが虚空から魔方陣に舞い降りたのと、
カルラとダランベールが魔方陣に倒れ込んだのは、殆ど同時であった。