竜を食む鳥
〜３５．禁呪争奪戦〜

　ダランベールがしこたま打ちつけた後頭部を撫でながら起き上がったとき、
カルラは既に起き上がっていた。
辺りを見回すと自分たちが丸い盆のようなものの上にいることに気が付いた。
盆の周囲は小さな篝火が囲んでおり、
煌々とカルラとダランベールのみならず怪しげにきらめく盆の外側の空間を照らしていた。
「よくぞ、来た。無限のソウルを持つ者よ。」
二人の脳に分厚い重量を感じさせる声が響いた。
耳に聞こえたわけではないのだが確かに理解できるその声は、
精霊神ウルカーンそのものであることを感じさせる。
そしてこの場には二人の姿しかなく、
どうやら二人はベルゼーヴァとの競争に辛うじて勝つ事ができたようであった。
「我は火の精霊神ウルカーン。我が願いをかなえよ。
汝、この先の地にて、あのお方を封じる憎き巨人を倒すのだ…。
さすれば我、汝に至高の炎を与えん…。」
二人はにんまりと笑った。
「それは巨人に勝てば火の禁呪をくれるってことかな〜？」
「その通りだ。」
「おっけ〜。まかせといて。」
一瞬ダランベールには精霊神ウルカーンが自分たちに嘲笑を浮かべたような気がした。
その感覚はすぐに消え、精霊神は満足げに言葉を続けた。
「よし。なれば我、汝を封印の扉へとみちびかん。」
「ちょっと待ってくれ、精霊神ウルカーン。
ここにくるまで僕達と競っていた黒い服の男を知らないか。」
「知らんな。
汝、猛き炎の光に身を投じ、封印の巨人プネウマに挑むがよい。」
ダランベールの問いに精霊神は即答すると、
二人の肉体は空気に溶け合うように精霊神の前から姿を消し、
ゆっくりと巨人プネウマのいる守護者の座へ姿を現した。

　二人を包んでいたまばゆいばかりの光がようやくおさまり、ゆっくりと二人は目を開いた。
そこはまるで空のうえに立っているかのような錯覚を与える場所であった。
しかししっかとした大地はある。
どこか球状にも見えるその空間は現実感がまるで希薄で、
精霊神を封じる巨人の居場所としてはこの上なく相応しいような印象を与える。
その神々しい静寂の空間を、凄まじい剣戟音が響いた。
おもわず二人が駆け寄った先では、
金色の手刀を駆使し戦う巨人とその体を踊らせ巨人を翻弄する隻腕の男が戦っていた。
封印の巨人プネウマと超人類ベルゼーヴァだ。
一瞬プネウマとベルゼーヴァがとびずさったかとおもうと、両雄の姿が交錯した。
そして巨人が敗れ崩れ去った。
「ば、バカな…。
バイアス様よりいただきし我が力をしりぞける人の子がいようとは…。
無知なる人の子よ…。己が所業の意味に気づきしとき、汝は罪の重さに耐えられぬぞ。
愚かなり…愚かなり……。」
カルラとダランベールの目の前で爆音とともに巨大な影が消えうせ、
黒衣の背を見せる男だけが残った。
「ばっばかな…っ。なぜ汝は、この地に現る事ができた！」
突如精霊神の声が響いた。
精霊神からみてその黒衣の男は存在するはずのない男である。
巨人を倒すべく送り込んだ刺客二人のほかにこの場所に人間が表れるはずがない。
にもかかわらず男はそこにおり封印の巨人プネウマを葬ったのである。
三人か同時に座所へ飛び込み空間が混乱したのであろうか？

　ダランベールとカルラは既に得物抜き放っている。
男がゆっくりと振り向いた。
ほとんど原型をを留めていない衣服と、
それ以上に原型といった物を留めていないベルゼーヴァの体がそこにあった。
その顔に浮かんだ表情は狂気に歪み、顔色は死蝋と言うべき灰。
肩甲骨をはじめ体各所の骨が突起物の様に飛び出たその姿は、
もはや敏腕でならした帝国宰相ベルゼーヴァ･ベルラインではない。
「私は超人類ベルゼーヴァ。巨人プネウマは討ったぞ。」
「まてっ！精霊神っ僕たちとベルゼーヴァを戦わせろっ。
プネウマが死んだ以上、どちらでもいいはずだ。」
しばしの沈黙。
その間にも二刀を構えた男と巨大な鎌を持つ女と、
既に人間にあらざる姿をした男の間には殺気の渦が唸りを上げてぶつかり合っていた。
「好きにするがいい。勝者に相応しきものに我、至高の炎を与えん…。」
そして、次の瞬間には三人は光に包まれると、
ぼこぼこと溶岩が沸き立つ赤い海の中に屹立する岩場の上に立っていた。
この巨大な岩の上で戦え、精霊神はそう言っていた。
同時にその熱を持って敗者を完全に葬り去るつもりなのであろう。
岩の頂に立つベルゼーヴァ。
それを下から見あげつつも左右から挟撃する形となったカルラとダランベール。
この両陣の戦いは灼熱の大洞窟で再会した時からどちらかの必殺は避けて通れぬものであった。
人類の革新を狙うベルゼーヴァ。
彼にとってカルラを殺しその青竜軍を手中におさめることは、
自身の野望をスムーズに進める為にも必要であった。
逆にロストール攻略を狙うカルラ。
ベルゼーヴァが生きていて帝国の正統を継ぐかのような振る舞いをされては、
彼女の復讐の害にしかならない。
故に互いに殺しあう。
溶岩の照り返しで赤く染まる身体を互いに凝視しあうなか、
ベルゼーヴァがすっと左手を掲げると何の感慨も篭らぬ声で抑揚もなく言った。
「ファイアーボール。」
その掌に恐るべき魔力が収斂し、その周囲に人の頭ほどある火球が次々生まれていく。
ベルゼーヴァが左手を振り下ろすと、無数の火球が猛然とカルラとダランベールに殺到した。
超人類対青い死神と剣聖。宿命の戦いの火蓋は今切って落とされたのだ。

　カルラは劫火の雨を潜りぬけながら、一気に岩山をかけ上がり大鎌デスサイズを一閃させた。
それを左腕でいなすベルゼーヴァに間髪をいれず第二波、第三波の刃が襲いかかる。
「人類の革新を果たさなければならん。邪魔立てをするなカルラ・コルキア。」
「たった一人で人類をどうこうする？馬鹿じゃないっ。」
上下左右前後の全方向から迫りくる刃はまさに神速の死である。
ベルゼーヴァはそれを防ぐ、防ぐ、左手一本で徹底的に防ぎ続ける。
疾風と化した刃を持ってしてもベルゼーヴァの体を傷つけることはかなわない。
全てを捨て去った凄惨な宰相と死を運ぶ美姫の生き残りをかけた美しくも壮絶無比な舞踏を前に、
しばし見惚れていた剣聖も、緋炎の宝剣と片手剣アイリーンの双剣でベルゼーヴァに踊りかかった。
実はダランベールがそこまで止まっていたのにはもう一つ理由がある。
剣聖と呼ばれるほどの実力を備えながら戦場でなにもできず、
アイリーンを失い個の無力に打ちひしがれていたダランベールに取って、
ベルゼーヴァの力と一人で人類をかえて見せる、という決意は余りに魅力的であった。
そのため、あれだけの力があればどれほどの事ができるか？
という甘美な夢想に彼は一瞬囚われていたのだ。
飛びこんだダランベールの一撃を、金色の光が唸りを上げ弾き返した。
いつもまにかベルゼーヴァの片手には光り輝く剣が握られていたのである。
いや、握られているのではない。
手刀が伸びたかのごとく、指の先に光り輝く魔力剣が存在していたのである。
「魔法の剣。」
驚く二者から一度距離をとったベルゼーヴァが、不気味に笑い三人は再び衝突した。
四つの刃が作り上げる竜巻、皆傷を負いその流れた血が剣風によってまき上がる。
血煙の中で行なわれ、永遠に続くかと思われた死闘だった。
だが時間がたつに連れ徐々に均衡が崩れていく、
カルラに疲労の色が濃くなってきたのである。
それを見逃すベルゼーヴァではない。
デスサイズが大きく跳ね上げられ、容赦ない一撃がカルラを引き裂いた。

　岩場の頂から転げ落ちるカルラ。
致命傷を浴びたわけではないだろうということや、溶岩の海に転げ落ちることはあるまい、
と思いつつも、ダランベールにはカルラに気を回す余裕などこれっぽっちもなかった。
双剣を一部の隙もなく構えるダランベールに対し、
ベルゼーヴァはだらりと左手を下げてダランベールと向かい合っていた。
それだけでダランベールは改めてこの男が、帝国宰相ベルゼーヴァ・ベルラインとは
全くの別人となったことを再度思い知らされた。
その目を見ているだけで体がよろよろと大地に崩れ落ちていきそうな、
そんな感覚すら剣聖は味わっていたのだ。
剣狼ゼネテス・ファーロス、剣聖レーグ、獅子帝ネメア・ランガスター・ディンガル。
過去ダランベールが渡りあってきた戦士たちはいずれ劣らぬ剛の者たちであった。
ゼネテスのあらゆる危機を好機にかえる機知、
レーグの大地を震わす言語に絶する圧倒的ど迫力、
ネメアの唯我独存とも言うべき眩いばかりの強さ、
各々の長所ではいまだ越える戦士にであったことはないほどの大物たちだ。
だがその猛者たちが子供に見える程、
目の前にいる男――超人類ベルゼーヴァはあまりに強過ぎた。
一時はゼネテスをも圧倒したダランベールの怪力を上回り、
速さでは密禎に特化されたはずの能力を持つカルラに勝る。
先の剣風の中で負った傷は既に再生しており、なんらダメージが残っているようには思われない。
更にいえばベルゼーヴァの左手に輝く魔法剣は、
先ほど消滅した封印の巨人プネウマが彼との戦いの中で使っていたものではないか！
既に超人類ベルゼーヴァは信じられぬ戦闘能力と再生能力及び学習能力を併せ持った、
驚天動地の化け物となっていたのだ。
それもそのはずであるのかもしれない。
ベルゼーヴァはカルラとダランベールを前に確かに言った。
「超人類となるとき私は全てを捨てた。
人であることを捨て、自らへの誇りを捨て、ネメア様への信頼すらも捨てたのだ。」と。
ネメアへの信頼とネメアに見ていた夢を捨てた時、一体ベルゼーヴァに何が残ったのであろう。
おそらくなにも残っていなかったのだ。
故にベルゼーヴァはネメアに見ていた夢を自分で実現すべく動き始めたのだ。
その目的以外全てを捨て去って、ベルゼーヴァは人類の革新に自らの存在意義をかけた。
だがダランベールも負けることはできない。
アイリーンの仇を討たなくてはいけない。
アンギルダンとともにはじめた母国ロストール滅亡への戦いは、
既にダランベールの命を賭けた至上命題となっていた。
貴族と戦い平民街を守り続けていたときから、これは運命づけられていたのやも知れぬ。
とうの昔に彼もまたカルラと同じように復讐の為だけに生きる、
ただただ貴族へ挑戦し続ける絶望に塗れた剣鬼と成り果てていたのだ。
しかしどうしても自分がこの男に殺された後の想像が頭をよぎる。
超人類は本当にたった一人で人類を変えうるのか、ダランベールはそこに興味があった。
一瞬の隙が死を招くと言うことを重々承知しながら、
ダランベールはその夢想を止める事ができなかった。
「ダランベール、とやら。喜べ。人類の革新のための血祭りとなれることを。」
ついにベルゼーヴァがするすると動き出した。
一歩一歩超人類が歩を進めるごとに、
両者は逃げも避けもできぬ決闘の風圏に深く深くはまりこんでいく。
互いが必殺の一撃を加える事ができる間合いまでくると、
ベルゼーヴァは歩を止め魔法剣を擁する左腕をぴぃんと目の高さに構えた。
超人類ベルゼーヴァも規格外の化け物であるが、かたや剣聖ダランベールも同時に怪物である。
それゆえにさしもの二人も、これ以後数十秒に渡り石像の様に硬直し、
彼ら以外に両人の間で何がおきているのか知ることはできなかった。

　これより少し前。
岩山を転げ落ちたカルラは傷が浅いことを確認し、
元気の薬によって傷を癒すと、山上で決闘する両者を見た。
するすると前に出て構えたまま固まったベルゼーヴァ、
そこにカルラは密禎らしい嗅覚によって、致命的な隙と言うものを感知したのである。
これはまさに密禎カルラの実力があればこそであった。
カルラは気配を完全に絶ったまま岩場の頂まで飛び上がった。
ベルゼーヴァがカルラの存在に気がついたのは、
飛び上がり様にカルラが左腕目掛けてデスサイズを振り下ろした時であった。
無常にもベルゼーヴァ唯一の腕は跳ね飛び、眼下に落ちていく。
両腕を失ったベルゼーヴァの体をダランベールがその二刀をもって刺し貫いた。
のみならずダランベールは、自らが持っていたあらゆる武具道具を取りだし周囲に突きたてると、
真っ赤な奔流を浴びながらそれらを次々ベルゼーヴァに叩き付けたのである。
巨大な両手剣である竜破が、名もないショートソードが、スピアが、グランクラフトが、
あらゆる武器と戦闘用アイテムがベルゼーヴァの腹と背を貫いた。
「…フレイム！」
ベルゼーヴァが絶叫する。
漆黒の炎がカルラとダランベールを襲い、二人は後退を余儀なくされる。
右手を失い左手すらも奪われ戦うことはおろか、全身に突きたてられた刃を抜くこともかなわない。
そして致命的とも言える滝のような流血で全身を汚しながら、
それでもベルゼーヴァは執念ますます燃え上がった。
いや、全てを捨て去り、加えてこれほどの犠牲を払ったからこそ、
彼は全ての禁呪を奪い竜王を倒し人類を革新に導かなくてはならないのだ。
ベルゼーヴァは吹き飛ばされた二人にさらに一撃を加えるべく呪文を唱えようとした。
だがもはやその口からは「…ぁあ」「うぅ…」といったうめき声が漏れるだけ。
ベルゼーヴァは呪文のできそこないのうめき声を上げながら、
前に一歩二歩と足を進めると、がっくりと立ったまま息絶えた。
その超人的肉体の力もついに尽き果てたのだ。
「我、勝者を見たり。」
精霊神ウルカーンの声とともに岩場の頂でベルゼーヴァが火炎の棒となった。
それは盛大な火葬だった、一人の執念に生きた悲劇の英雄への鎮魂の火。
カルラとダランベールが光に包まれると同時に、戦場そのものが溶岩の坩堝となった。

「よくやった…無限のソウルを持つ者よ……。よくぞ死闘を生き残った。
約束通り、汝に至高の炎を授けよう。
汝の魔道の資質満たされ、内なる炎燃え盛るならばこの至高の炎、必ずや汝を助けん。」
精霊神の座所に戻ってから、ダランベールは精霊神が何を言ったか良く覚えていない。
精々体の内側から凄まじい熱気がわき上がったことと、
「では、さらばだ。ダランベール、無限のソウルを持つ者よ。」
という言葉とともに火の神殿の入り口に戻っていたことくらいだ。
傷はふさがり体力は回復していたものの、体の内側からくるズンとした重さはどうしようもなく、
二人は肩を貸し合いながらウルカーンにもどっていく。
ダランベールは何度も何度も寂しげに遥か後方になった炎の神殿のを眺めた。
「どしたの？」
カルラの問いにダランベールは頭を振った。
「ベルゼーヴァは一人で人類を変えるっていってた。
そしてそれが本当にできるかもしれないって思うほど強かった。
でも、なにもせずに死んだ。たった二人に勝つ事すら出来ずに。」
「…ベルゼーヴァは傲慢過ぎたのよ。
世界を一人でどうこうこうしようだなんて、あまりに傲慢すぎたんじゃない？」
「そうだね。世の中に比べて人一人の力なんてまったくの無力…無意味か。」
ダランベールはカルラを肩に抱えながら、
その言葉をかみ締める様に頷くと、憂いに満ちた微笑を浮かべながら、
ゆっくりとウルカーンの町へと歩いて行った。