イークレムンの憂鬱

　水都をぐるりと囲む、雄大なグラジェオンの足跡の水面が、
陽光を浴びきらきらと輝いている。
遠くの山々まで良く見える、雲ひとつないある日のことだった。
水の巫女イークレムンは、お気に入りの踊り場近くの、神殿に続く階段に腰を下ろして、
いつものようにのほほんとした雰囲気を漂わせながら、ぼーっと日向ぼっこをしていた。
それだけなら普段のイークレムンの姿とたいしてかわりはしない。
だが、今日のイークレムンの膝の上には、なんと、きゃっきゃっと言いながら、
彼女の美しい金髪を弄くっているまんまるい赤ん坊がいたのである。
麗しい水の巫女の両膝を不法に占有すると思われる、
薄茶の髪ととび色の瞳を持った闖入者に、傍を歩く人々は皆一様に不思議そうな視線を向けていた。
膝の上の小さな暴れん坊は、別にこの若い巫女の子供、というわけではなく、
彼女の腹違いの弟妹に当たる赤ん坊であった。
当の赤ん坊の両親は、二人してギルドの要請を受けて遭難者の救出に向かっており、
イークレムンと赤ん坊はその帰りを待ちながら、日向ぼっこをしているというわけであった。
物珍しい光景を眺める、人々の好奇の視線を気にするでもなく、
イークレムンは適当に子供をあやしながら、
「この子がもう少し大きくなったら、私はおばちゃんって呼ばれちゃうのかしら？」
なんてことを考えていた。時折ふっと現れ消えるミズチの魂たちも、
膝の上の赤ん坊と戯れるためというよりは、首をかしげながら、
そんなことを考えているイークレムンを、からかっているかのようでどこか楽しげに見えた。

　多くの吟遊詩人にうたわれる、ディンガルとロストールの戦いの最中に出会った友人と、
その友人と行動をともにしていた、実は生き別れの父だった赤鎧を着込んだ初老の男性が、
くっついただけでも、イークレムンは運命の悪戯に大変驚かされた。
さらには戦争終結後、老父が宝箱やらモンスターに挨拶に出かけるというので、
一緒について行ってもらったら、帰って来る頃には自分の腹違いの家族を作っていた、
という事態に至って様々な感情が混ざり合った、随分と不思議な感情を抱いたものだった。
三人が来てからというもの、赤ん坊の夜泣きが毎日止まらないと、
深夜に憔悴しきった顔で水の神殿に二人が駆け込んできて、急いで神官長にお伺いを立てた結果、
単に赤ん坊がおなかが減ったので泣いていただけなんてこともあったりと、
水の神殿は何かと賑やかになってイークレムンも楽しかった。
それにしても、栗色の大地や剣聖と称される嫁と、ディンガル統一の名将である旦那、
つまりは凶悪無比のモンスターや、大地を埋め尽くさんばかりの大軍を、
平然と相手にできる二人の英雄が、おどおどと水の神官長の指示を仰いだり、
一人の赤ん坊に右往左往する姿は、イークレムンから見て何ともかんとも微笑ましかった。

　イークレムンは髪を引っ張られたお返しに、赤ん坊のほっぺたを指先でぷにぷにしたり、
軽く引っ張ったりして遊んでいると、遥か彼方に水都に向かう連絡船の甲板に、赤い鎧の姿を認めた。
（お父様から、この子に私の呼び方を考えるよう、言ってもらわなきゃ。）
イークレムンはそう決心すると、赤ん坊を胸に抱きながらすっと立ち上がり、
自分の父とその近くにいるであろう義母に向かって大きく手を振った。