竜を食む鳥
〜３７．死神動く〜

　一旦話は戻る。
事実上ディンガル帝国が分裂状態に陥って以来、
ロセンの総督府では今後の方針について激論が日夜行われていた。
カルラは勿論にしても、青竜軍の兵員が生き残るには勝つしかない、
負ければその段階で今までディンガル帝国で築いてきた、
ありとあらゆる物だけではなく、命すら失いかねない。
それだけに皆必死であった。しかし反面、大帝国は分裂、
南の大国は既にクーデターなどで混迷の極に達しているなど、
激動の戦乱からうける大きな不安を払拭するために皆議論に熱中しているとも言えた。
その結果、青竜軍の基本的な方針は、ロストール攻撃の継続に決まった。
何故ならばロストール王国が弱いからである。
ロセンから西に行くか南に行くか、それを考えた時、
ロセン方面から見て大河の河口を水掘とする帝都エンシャントに篭り、兵数でもカルラを上回る上、
拠点防衛のエキスパートである玄武軍を擁するザギヴ・ディンガルはあまりに強敵であった。
強敵を避け、弱体化しているロストールのレムオンを滅ぼし、王都を拠点に体制を整え、
ザギヴとの決戦を挑む、それが青竜軍のとるべき道であったのだ。

――リベルダム。
カルラによって完膚なきまでに破壊された自由都市は、
大陸一の商業都市の座こそロセンに譲ったものの、
信じられぬことにたった数年で以前の繁栄をかなり取り戻していた。
もともとバイアシオン内海を使った三角貿易は大陸経済の中枢だけに、
一度復活への取っ掛かりをつかめば後は早かった。
現在そのリベルダムの支配権を握るのはクリュセイス率いる解放軍であった。
リベルダムが最も苦しい時期に難民の救助などを地道におこなって来た彼女の人気は高く、
さらに都市内でカルラへの敵対心が高いこともあり、いまやクリュセイスは統治者のみならず
リベルダムの復活と対カルラの象徴になりつつあったのである。
一方リベルダムの敵である青竜軍はロストール攻略のため、
リベルダムは後回しにするという戦略をとったが、流石に放置するわけにもいかず、
解放軍にある謀略を仕掛けることにより時間稼ぎを狙っていた。
解放軍はクリュセイスの人気などにより、その勢力を徐々に強めている。
だが、クリュセイスを慕う人間新しいメンバーと、
古くからいるメンバーで軋轢が大きくなってきた、という問題も同時に抱えていた。
もちろんカルラと戦うという点では共通するものの、
主にリベルダム陥落とそれに伴う破壊でカルラを憎む者で構成される比較的新しい面子と、
ロセン王国滅亡で特権を失った子息たちが主である古株では、
自ずとカルラ打倒にかける優先順位や方法論はかわってくる。
言い換えれば、リベルダムの復興などカルラ打倒よりも、
まずリベルダムを優先する「リベルダム」解放軍と、
ロセン王国復興を至上目的とする「ロセン」解放軍ともいう、
二つの立場の対立が強まっていたのである。
そしてリベルダム陥落で多くの同志を失っていた「ロセン」側は、
指導者であるクリュセイスが故郷であるリベルダムを優先することもあり、
「リベルダム」側に主流派の立場を明け渡さざるを得ず、
さらに解放軍全体の勢力が大きくなればなるほど、
相対的には右肩下がりで発言力が弱まり続けるという八方塞りの状況だったのだ。
青竜軍がつけこんだのは、まさにそこであった。
現在のリベルダム復興偏重路線に不満を持っていて、なおかつロセン王国で特権階級にあった連中。
青竜軍はそれらをさまざま甘言を使い、取り込み、反逆を決意させたのだ。
そして反逆者たちを支援するための刺客として、
王城生まれの無限のソウル、ダランベール・エルメスをリベルダムへ派遣。
そして彼らはカルラ出撃の報とともに決起を果たしたのだ。

　蒼々たる月明りの下、リベルダムはしんと静まり返っていた。
バイアシオン内海の波も風も穏やかで、微かな潮の香りを街まで運んでいる。
だが、街を覆う不穏な空気は隠しようがなかった。
カルラ出陣の知らせは、それだけの衝撃をリベルダムの住人に与えていたのだ。
解放軍のリーダーであるクリュセイスも、
本部として使用している建物から夜の町並みを眺めながら、それを鋭敏に感じ取っていた。
建物からもロセンの方角を眺めれば、時折ディンガル帝国の軍船が燈す松明が見える。
リベルダムの周囲では着々とディンガル軍が動いていた。
もとより最も衝撃を受けているのはクリュセイス本人である。
見知らぬ母国とはいえ、亡き母の故郷を滅ぼしたカルラに対しては心穏やかにはいられない。
なにより、一度はリベルダムを完膚なきまで瓦礫と化したカルラである。
その崩壊からあっというまにここまで復興したと言うことは、
時代が、人が、いまだリベルダムを必要としていると言うことでもある。
それはリベルダムで生まれ育った人間としてとても嬉しいが、
そのリベルダムが青竜軍と激突する場になると思うと気が重かった。
クリュセイスは考え込んだ。
解放軍としても即座に抵抗の方針を決め、夜を徹して守りを固め戦いの準備を進めているが、
寡兵であり援軍が期待できない以上、当然限界はある。
まだ正面から総攻撃で落ちた事はない難攻不落のリベルダムであってもだ。
しかし、青竜軍としてもリベルダムに時間をかけたくはないはず…
そこまで考えた時クリュセイスは、「あっ」と声を上げた。
（内通…？　おじさまと同じように？　
でも……。でも、今の解放軍でカルラが通じる事ができる人がいるのかしら。）
そこまで考えを進めたとき彼女はふいに呼びかけられた。
「クリュセイス・クロイス。」
月光をあび、おぼろおぼろの靄にふちどられて浮かび上がったのは入り口付近に立つ
黒い覆面をした黒衣の一団だった。
いったい何時からそこに立っていたのであろうか。
厳しい警備を敷いているはずにもかかわらず、簡単にここまで侵入を許したことに
クリュセイスは驚いた。
「誰っ！」
一団が発する凶暴な殺気を受けてクリュセイスは絶叫した。当然のごとく返答はない。
「死ね。」
静かに一団のリーダー格と思わしき男が告げると、一団は次々に短剣を抜き払った。